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2008年6月15日 (日)

『悩む力』を読む

熱心なファンがいるらしい政治学者、姜尚中(カンサンジュン)の新著『悩む力』(集英社新書)。「なぜ死んではいけないか」と題された第八章、その冒頭で著者は池田小学校の事件(2001年)のような「無差別殺人」を取り上げて、「何の恨みもない、自分とはまったく無関係な他者を殺す」とは、いったいどういうことなのかと問いかけながら、その「不条理」な死の意味を見出すことは絶対にできないがゆえに、被害者や遺族は救われないとしている。つまり、「人生に起こる出来事の意味を理解すること」が人の生きる「力」なのであり、「意味を確信できないと、人は絶望的に」なってしまうのである。
さらに、人の生きる力とは最終的には自我、心の問題に帰結すると著者はいう。

「人は一人では生きられない」とよく言います。それは経済的、物理的に支えあわなければならないという意味だけではなく、哲学的な意味でも、やはりそうなのです。自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか、自我はありえないのです。

・・・つまり、私が私として生きていく意味の確信は、社会における相互承認の中から生まれるということ。働くことの意味もまた以下のように述べられる。(第六章)

社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。

・・・さらに相互承認以上の関係性として、愛が定義される。(第七章)

愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。

・・・シンプルでなかなか良い定義と思われるが、とにかく著者が強調するのは、人とのつながり方を考えてほしいということ。悩むこと大いにけっこうで、私が私として生きていく意味を確信できるまで大いに悩んだらいいのです、と静かに言い切っている。

(人を殺す程のエネルギーがあるのなら、とことん自分について悩め!)

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