« 佐倉城址公園へ行く | トップページ | マーティの「Jポップ愛」 »

2008年4月 7日 (月)

「セイゴオ世界史」第2弾

誰も知らない世界と日本のまちがい』(松岡正剛・著、春秋社)を読んだ。『17歳のための世界と日本の見方』の続編として昨年末に出ていた本である。例によって思想や文化も含めた「セイゴオ世界史」の講義が縦横無尽に展開されるのだが、今回中心となるテーマは「ネーション・ステート」(国民国家)だ。

最初の方で、ネーション・ステートとは「戦争ができる国民国家」であると端的に定義される。そしてまずはイギリスを理解することの重要性が強調される。なぜならば「イギリスがわからないと『植民地主義』のことがわからないし、それがわからないと『資本主義』の確立がわからないし、ひいてはアメリカのこともわからない」からである。つまり、「近代史と現代史の原点にイギリスはいる」のだ。

さらに決定的だったのはナポレオンの登場だ。ヨーロッパは1800年の時点で大きな変化を迎えていた。フランス革命、アメリカ独立、イギリスの産業革命。そしてナポレオンが、大陸全土を戦争に巻き込んだ結果、ヨーロッパに次々と「ネーション・ステート」すなわち「国民国家」が誕生する。それらの国々はさらに「列強」へと変貌し、植民地を求めてアジアやアフリカの支配に乗り出していくことになる。

列強の世界支配の大波を被ったのが徳川時代の日本である。日本は、「列強が用意したグローバル・スタンダード」を自ら進んで受け入れることにより、この危機を乗り切ったが、それはまた、近代国家として戦争を繰り返す道に入ることであり、昭和の悲劇につながることになった。

帝国主義の全面展開から第1次世界大戦、そして株価大暴落と金融恐慌を経て、世界は第2次世界大戦へとなだれ込む。セイゴオ先生の嘆きは深い。

5000万人以上が死にました。生物兵器も毒ガスも原爆も使用され、どんな戦場でも無差別の殺戮がまかりとおった。いったいなぜこんなことになったのでしょうか。みんな、おかしいんですよ。敗けたほうもおかしいし、勝ったほうもおかしい。ネーション・ステートは断乎として戦争をし、そして断乎として勝たなければならない。それが近代史がつくったロジックで、ただそれだけが現代史が証明したことだったのか、そんなふうに言いたくなります。まことに大きな「まちがい」です。

新世紀に入った現代。セイゴオ先生は、「グローバル資本主義」や「新自由主義」が人間の文化や社会を危うくしているのではないかと強く疑う。

世界が、たった一つの強力な原理や制度で動いていくなどということは、はなはだおかしなことなんです。それが世界の多文明に、また多文化にあてはまるような、ふさわしいものとはかぎらないのです。これはあきらかに「まちがい」です。

・・・かつて国民国家と資本主義は、帝国主義の両輪だった。いまや資本主義は国家の枠を大きく超えたグローバル資本主義として活動し、国家の役割はかつてと比べて良くも悪くも縮小している。国家を超えたグローバル秩序に対して「帝国」という呼び名が与えられたりもしているが、資本主義、国民国家、帝国主義についてあらためて考えることは大いに必要なことだと考える。

|

« 佐倉城址公園へ行く | トップページ | マーティの「Jポップ愛」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/12361936

この記事へのトラックバック一覧です: 「セイゴオ世界史」第2弾:

« 佐倉城址公園へ行く | トップページ | マーティの「Jポップ愛」 »