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2008年3月30日 (日)

織豊期の城(歴史読本)

雑誌「歴史読本」5月号の特集は「織田・豊臣の城を歩く」。本文記事では、研究者が「織豊系城郭」と呼ぶ城として国内65、韓国の倭城7を紹介。さらに巻頭カラー、鼎談、付録も含め、これでもかこれでもかという感じの大特集になっている。

特に但馬竹田城(兵庫県)は、「織豊期城郭の傑作」として、カラーページと鼎談(中井均、加藤理文、木戸雅寿の各氏)で念入りに取り上げられている。写真で見ると、山の上に大きな石垣がずらりと並び、現地に立てば圧倒されそうな雰囲気が伝わってくる。織田・豊臣の城といえば、まずは安土城や大阪城などが思い浮かぶわけだが、それらの巨大城郭は為政者が支配力を誇示するシンボル的な性格を強めていたのであり、織豊期が戦国期の最終段階でもあることを考えれば、むしろ竹田城のような高い石垣を備えた山城こそが、軍事的拠点としての城郭の完成形を示していることになる。戦乱が終結し平和な時代が到来すると共に、織豊期の山城の多くは廃城となったのだが、打ち捨てられたが故に当時のまま石垣等が残されていることも、歴史を感じる探訪の興趣を大いに高めるものだろう。

また、朝鮮に侵攻した秀吉軍が半島沿岸部の拠点として作った倭城を、カラーページで紹介しているのも興味深い。自分も去年、肥前名護屋城に行ってみただけに、やはり次は海を越えて石垣を見に行かなきゃいかんかな~とか思ったりする。

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2008年3月29日 (土)

アウシュビッツと広島

NHKの世界遺産番組で「記憶の遺産」、アウシュビッツと広島が取り上げられていた。

広島・原爆ドームの世界遺産指定に対して、アメリカと中国が異議を唱えたとのこと。アメリカは「原爆が戦争を終わらせた」、中国は「日本の戦争認識が問題」と、いつものパターンなのだった。

アウシュビッツ強制収容所はナチス・ドイツの国家的犯罪として、ひとまず戦争とは切り離して考えられるのに対し、その辺は広島はややこしくなるのは仕方ないのかとも思う。確かに、当時の敵対国から見れば、戦争という国家同士の殺し合いの中で行われた大量虐殺という意味では、広島を特別視する理由は無いのかも知れない。しかし原爆という新型兵器の実験という意味では、アウシュビッツと同等以上の悪魔的な意思に基づいて実行されたと言って構わないだろう。それは戦争を終わらせたという以上に、来るべき冷戦に向けたデモンストレーションでもあった訳だし。

広島については、原爆を落としたアメリカはその行為を正当化し続けるだろう。これに対して、アウシュビッツが正当化されることは有り得ないだろう。しかしその絶対に正当化できない行為がなぜ起こったのかということについては、正直自分には分からない。自分がアウシュビッツを訪れたのは2001年夏のことだが、広大なビルケナウ収容所(監視塔と列車の引込み線がある)を目の前にして、何でこんなものを作ったのか、その意思とエネルギーの不可解さにただ唖然とするほかなかった覚えがある。

ところで長崎って、こんな言い方するのもナンだけど、やっぱり二発目ってことで何か割り喰ってる感じ。モニュメントも残ってないしなあ・・・。

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2008年3月23日 (日)

あすなひろしの名作

書店で、あすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった』(ビームコミックス文庫、エンターブレイン社)が目に入った時は「へぇ~」って感じだった。帯には、きらきらと輝く「昭和」の青春、とある。今は「昭和」(おそらく30年代~40年代のことなんだろうけど)が商売になるらしい・・・。しかし、あすなひろしって、もう亡くなっていたとは知らなかった。2001年に60歳で世を去ったという。考えてみれば、このマンガももう30年も前の作品なのだ。オドロキ。いくばくかの懐かしさを感じながら、上下巻を購入。

最初の3回は、主人公ツトムの通う中学校に「リョウ」(諒、亮、凌と毎回違う男子あるいは女子)というワケありの転校生がやってきては、クラスに波紋を巻き起こして去っていくというパターンのお話。メインキャラクターはツトムのほか、幼なじみのヨシベエ、英語教師の夏子先生(必殺技は「抜き打ちテスト」!)そして(学園ものには欠かせない?)番長。さらに5回目にツトムの両親が登場(割烹着姿の母というのも「昭和」だな)。以降はそれぞれのキャラを生かしたお約束のギャグを飛ばしながらのドタバタ的な展開が中心になるが、時にシリアスで叙情的な気配も漂わせているのが、ただの青春コメディに終わらないところ。実に多彩な表情や動きが、人物の心理を効果的に描き出す。

当時のコミックスのカバー見返しにあった「著者近影」を見たら、凄くごっつい感じの人だったので、これがホントにあの繊細な画を描く人なのかと、それはそれは意外に思ったことを覚えている。エピソードとして、タクシーに乗っていて「久しぶりの東京はいいなあ」とか言ったら、運転手がビビッた、というようなことが書いてあったので、実に納得してしまったのだった。

みなもと太郎の考えでは、あすなひろしは「マンガ家である以上に詩人」である。その評価に同意しつつも、しかしあすなは本質的にマイナーポエットだなという感じがする。そのマイナーポエットの作品の中で、「青い空を~」は傑作とまでは言い切れないにしても、多くの人に記憶される名作として比較的メジャーな地位にあることは確かなようだ。しかしそれもまた、掲載先が当時(70年代後半)最もパワフルだった「少年チャンピオン」だったことが、サポート要因として大きく作用したのではないか、とも思えるのである。

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2008年3月22日 (土)

広島城に行く

春分の日20日の柳井に続き、休暇を取った21日は広島城を訪ねた。

P1020327 毛利輝元(元就の孫)が築いた広島城。その天守閣は国宝に指定されていたが、原爆により倒壊。現在の天守閣は昭和33年(1958)に再建されたもので、今年は再建50周年に当たる。写真は天守閣、手前に並べられている石の列は天守閣の礎石で、再建時に移設されたもの。

毛利氏の後、二代目城主は福島正則。言うまでもなく、豊臣秀吉子飼いの武将。関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し勝利に貢献した正則は、安芸備後49万石を与えられ、広島城に入り城下町の整備を図った。しかし元和5年(1619)、広島城の「無断修復」を咎められる形で改易、領地没収の憂き目にあう。以降は浅野氏が歴代城主となった。

先月2月13日に放映されたNHK「その時歴史が動いた」で、福島正則改易の経緯が描かれていた。
関ヶ原の戦いの後、秀吉の遺児・秀頼を守る同志・加藤清正が世を去り、豊臣と徳川の関係も方広寺鐘銘事件をきっかけに急速に悪化。正則は秀頼・淀殿を諫めるなど事態改善のために動くものの、結局大坂夏の陣で豊臣氏は滅亡する。おそらくは深い失望を味わったであろう正則に対して、追い打ちをかけるかのように下された改易命令。これは2代将軍徳川秀忠が、自らの権勢を示すために豊臣恩顧・外様の大大名・福島正則を狙い撃ちしたという面もあるようだが、反乱を招きかねない危険な賭けでもあった。しかし正則は、もはや平和を破り秩序を乱す時代ではないことを悟ったのか、潔く改易処分を受け入れる。関ヶ原から19年後、豊臣氏滅亡から4年後のことだった。

福島正則というと武闘派というか、石田三成という理知派と対比されて余計に強面イメージだけど、平家納経の修理という文化的事業も手がけているし、酒好きで義理人情に厚いという、いかにも豪傑な感じで憎めない面もあったようだ。そんな人物が時代の大きな流れの中で没落してしまう姿に、悲哀を感じずにはいられない。

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柳井を歩く

20日の春分の日、山口県の柳井を歩いた。古い商家が残る瀬戸内の小さな町。

P1020305 広島から更に西に向かって快速電車に乗ること1時間15分。目指す「白壁の町並み」は柳井駅から歩いて5、6分程の所にある。およそ200mにわたって江戸時代の商家の町並みが続くこの場所は、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。国森家住宅、商家博物館むろやの園、甘露醤油資料館、しらかべ学遊館などの入場見学可能な建築や施設があるほか、三角餅(みかどもち)、金魚ちょうちん、柳井縞の木綿織物を扱うお店などが並ぶ。

こじんまりした感じで悪くはないです。しかし「白壁の町並み」と言えば、やはり倉敷が観光地としては圧倒的なのは間違いないのだな・・・。

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2008年3月12日 (水)

経営努力が足りない!

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(企業魅力度の減退)からメモ。

日本の株価の下落は、企業業績のピークアウトに大きな要因がある。米国経済に変調の兆しが見えたため、多くの日本企業の経営無策ぶりが露呈したともいえる。

では昨年度まで日本企業の業績が二ケタ増益を記録してきた事実とは何だったのか。

まず、資産の効率性はどうか。資産当たりの売上高は増加してはいるが、遅々たるものである。
その売り上げが十分な利益を生み出しているかといえば否である。売り上げに対する総付加価値(人件費、営業利益、減価償却費)の割合が低下を続けている。
資産の効率性が高まらず、総付加価値率が低下すれば、企業利益は圧迫される。にもかかわらず増益を記録できたのは、総付加価値に占める人件費の割合、いわゆる労働分配率が低下したからだ。

つまり、大企業の多くは、海外景気の好調と、その好調な海外景気に起因した円安と、(高賃金の)団塊の世代の退職効果に支えられ、二ケタ増益を謳歌しただけだ。経営努力の積み重ねがもたらしたものではない。

今後の企業経営は、資産のスリム化と、総付加価値率の向上に重点が置かれるべきだ。さもなければ、日本企業の魅力度が一段と減退し、株価も低迷を続けよう。

・・・日本企業の収益拡大は結局、世界的好景気と賃金抑制の賜物だったのだろうか。とすればやはり、日本株の脆さは企業経営の脆さの反映ということになるのか。何にせよ、企業活動においては資産効率を高め、より多くの付加価値を生み出す、要するに企業価値向上を目指す経営努力が不断に求められるってこと。

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2008年3月10日 (月)

「未婚化」克服は「婚活」で

今週の「週刊東洋経済」(3/15号)に掲載されている山田昌弘・東京学芸大学教授のコラム記事(少子化を防ぐには「婚活」支援が必要)からメモ。

日本で少子化が進んだ要因は、結婚する人が少なくなったことにある。
私は未婚化の主因は、若者の経済状況の悪化にあると判断している。

ただ、今の若者を観察していると、結婚に至るプロセスが20年前とまったく変わったことも、大きな要因として挙げられる。80年ごろまでは、就職と同じように「流れに乗っていれば」、ほぼ全員が自動的に結婚に至るシステムが用意されていた。

しかし、男女交際が活発化し、自由になる。そして、結婚後のライフスタイルの選択肢が増える。すると、かえって、結婚がしにくくなってきたのだ。
それは、①出会いに格差が生じ、②未婚男女が出会っても、お互いが好きになる確率は低下する。相手に対する選択肢が多くなればなるほど、自分が選択されない機会が増えるからだ。
また、たとえ恋人になったからといって、結婚するとは限らなくなった。結婚後の生活の選択肢が
増えただけ、2人のすり合わせが必要になってくる。そうしている間に、破綻して別れることも多くなる。

つまり、黙っていたら、①結婚にふさわしい異性に自動的に出会えない、②異性と出会っても、相手から選ばれない、③恋人になっても結婚に至らない――。かくして、日本社会では未婚化が進行することになる。

つまり、「就活」しなければよい就職ができないように、主体的に努力しなければ結婚ができない時代に突入したのだ。①を防ぐためには、積極的に異性と出会う場に行く。②を防ぐためには、自分の魅力を高める。③を防ぐためには、将来の結婚生活に関するすり合わせを積極的に行う。

これらの活動を山田先生は「婚活」(結婚活動の略)と呼び、「婚活」を公的私的にサポートすることが少子化対策になると説く。

・・・「自然な出会い」を待つだけでは、おそらく何事も起こらないまま時が過ぎていく。結婚したいのならば、常に意識的に努力することが必要。シビアな時代だと思う。

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2008年3月 2日 (日)

ウイルスは遺伝子の断片

雑誌「サピオ」(3/12号)が「新型感染症」について特集。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者である福岡伸一・青山学院大学教授の書いたレポートからメモ。

細菌などの微生物は言うまでもなく生物だが、ウイルスが何物であるかについては、生物学者のなかでも「生物か、無生物か」で定義が分かれている。

生物とは「自己複製するもの」との定義に立てば、確かにウイルスは生物だと言える。私の考えでは、生物とは絶え間なく分子の入れ替わりやエネルギーの入れ替わりのある「動的な状態」を持つものである。この視点に立てば、栄養を摂取することもなければ、呼吸もなく、一切の代謝を行なわないウイルスは無生物である。

もう一つ、ウイルスが無生物だと言える根拠は、ウイルスは、元をたどると、我々高等生物のDNAの一部が外に飛び出していったものなのである。
生物が細胞分裂する際、DNAも正確に2倍量コピーされて分かれるが、そこでは常に少しずつのDNA断片をつくり、つなげていくという作業が行なわれている。その過程は不安定で、DNAの一部がくるっとまとまって、どこかにひゅるひゅると行ってしまうことは、よくあることだ。その場合、DNAの一部は、体液に紛れ込み、唾液や呼気、尿、糞などとともに排泄されていく。
こうして、さまよえる遺伝子となったウイルスは常に我々の元に戻りたがる。再び生物の体に組み込まれれば、増えることができるからだ。

もちろん、大半の遺伝子断片は戻れないまま壊れていく。しかし、ごくまれに新しい宿主に移って断片が保たれたり、増殖できる状態にたどりつくケースがある。そして、さらにそこを飛び出して、別の宿主の元で増殖する。つまり、複製可能な遺伝子断片をウイルスと見ることができる。

細菌は殺すことができるが、ウイルスは生物ではないので殺すことはできない。ウイルスが我々自身の一部である以上、我々はウイルスとなんとか共存していくしか道はないのである。

・・・それにしても、DNAとは不思議なものよ、とあらためて思う。

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2008年3月 1日 (土)

黄長燁の語る対北朝鮮外交

雑誌「サピオ」(3/12号)のブックレビューで、『北朝鮮を告発する 黄長燁の語る朝鮮半島の実相』(久保田るり子・著)が取り上げられている(評者は作家の鈴木洋史)。その中から対北朝鮮外交の部分についてメモ。

〈結果を見たら明白なのに、なぜ皆が騙されるのか。いままで南朝鮮がこれまで発展してきたのはアメリカとの同盟関係、日本との親善関係があったからだ。北朝鮮が戦争を仕掛けられないよう、米軍が駐屯して、(韓国は)それを利用して経済発展した。特別な戦略戦術などは必要ない。原則的なもの(米韓、日韓関係)を守っていればいい(中略)なぜ、金大中のように金正日を訪れ、カネをやりながらアメリカに反対し、民族同士で協調する必要があるのか〉
黄はこう分析し、太陽政策を進めてきた韓国を〈最大のばかものたちだ。彼ら(注・北朝鮮)からすれば、ここの人たちはまるで子供だ。本当に何も(北朝鮮について)知らない〉と最大級の言葉で批判し、〈金大中の政策はすべて失敗だ〉と切って捨てる。

同様に、6か国協議についても〈惨敗だ。疑いない〉、国際的な包囲網や制裁で北朝鮮に核を放棄させることについても〈不可能だ。おしゃべり屋たちが集まって話をするだけ無駄だ〉と、容赦ない批判を浴びせる。

黄によれば、北朝鮮の核問題を解決するためには金正日政権を除去しなければならない。唯一の解決策は〈北朝鮮に中国式の改革開放を実行する政権が立つ〉ことをアメリカが中国に保証することだ。その場合にのみ中国は金正日政権の除去に同意する。

・・・黄氏の失望と苦悩は深い。金大中政権以降、監視体制の下に置かれてきたという黄氏。韓国新政権の誕生を契機に、自由な活動のできる状況に置かれることを願う。

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