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2008年2月11日 (月)

『人間・この劇的なるもの』

2月9日付日経新聞文化面「名作・古典に脚光 復刊や新訳続々」との記事を読んで、俺はあんまり関心無いけどなあ~とか思っていたら、福田恆存の『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫名作復刊シリーズ)があたかも新刊のように書店に置いてあるのを発見して驚いた。やっぱ若い頃に読んで影響された本(当時は中公文庫版)なので、ついつい手に取ってしまうんだな~。で、結局購入、何十年か振りに再読(ざーっとですが)してみました。復刊商売ってどうやら成り立つみたいです。(苦笑)
ハムレットの分析を中心に、様々な論点が提出されているが、やはり昔読んだ時と同様、自由と必然性の考察が自分には印象深い。以下に関連箇所を引用。

私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。

生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。

私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。

失敗者は失敗の必然を、成功者は成功の必然を欲する。だが、ひとびとは、なぜそうまで必然性を身につけたがるか。いうまでもなく、それは自己確認のためである。私たちは、自己がそこに在ることの実感がほしいのだ。

純粋な意識の真の緊張感を呼び起すもの、それが私のいう演戯である。

自分を他人に見せるための演技ではない。自分が自他を明確に見るための演戯である。

自我は自分と他人という相対的平面のほかに、その両者を含めて、自他を超えた絶対の世界とかかわりをもっているのである。

のいう演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。

真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。

・・・福田はこの本で、人間的意識においては、自由と個性という近代的原理よりも、必然性と全体という演劇的枠組みが優位であることを説いている。少々理解しづらい部分もあるけれど、自分にとっての「古典」、マイ古典と呼べる本であることを再認識した。

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