« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

鮎川・吉本対談、再読

容疑者が再逮捕された、いわゆる「ロス疑惑」。激しい報道合戦が繰り広げられたのはもう20年以上も昔のことだが、この事件を巡るお互いの意見の対立が、鮎川信夫と吉本隆明という二人の文学者の「訣別」につながった(らしい)ことを思い出してしまうワタシは、やっぱりオールドな文学青年なのだな。事件を巡る両者の意見が読める「全否定の原理と倫理」という対談が収められた同名書籍(1985年)を図書館から借り出して、あらためて目を通してみた。(この対談本が出てから一年後に鮎川信夫は死去)

この対談のメインの話題は、当時の「埴谷-吉本論争」や「反核運動」だったりする訳だが(ありましたねえ、そういうの)、とりあえず事件についての部分では、まず吉本が鮎川の著述に対する異論を示す形で語る。

「それこそぼくが戦争体験から原則的に学んだところではね、つまり、本当に鮎川さんが目で確かめ、手触りで確かめ、書類で確かめた上で、これは確実だということがない限りは、人は人を犯罪者として否定してはいけないんだというのがぼくの原則の中にあるんですよ。仮りにその人が非常に確からしく犯罪者であったとしても、犯罪者であることはその人の死命を制することですから、これはもう本当に確かめてでなければそれを断定してもいけないし、また疑念を持ってもいけないと思うのですよ」

これに対して鮎川は、

「変な言い方かもしれないけれど、確証よりは、ぼくは人ってものを見なけりゃいけないと思うの」。「ぼくはつまらない事件だったら問題にしないよ。しかしちゃんと二人の人間が殺されて死んでいるわけだしね」。「彼がおかしいってことを追及することはまったく、ぼくは自由だと思う」。

と述べるのだが、吉本も、

「この人は限りなく黒に近い人だなあと思いましたが、そのこととそれを犯罪者と決めてそれを追及することが正当かどうかということとは別のような気がするんですね」。

と基本線は譲らない。その後も水掛け論のようなやり取りが続き、最後は鮎川が「まあ、でも答えというのはいずれ出るからね。五年かかるか十年かかるか知らないけれども、答えは必ず出るからね。二人がいくら議論したって片付くわけじゃないしね」と引き取っている。

吉本は原理原則から、鮎川はごく常識的な見地から互いの意見を述べていて、これだけだと「対立」というよりは単に話が噛み合っていない、という感じではあるけれど。事件の話題の後で、鮎川の以下のような発言もある。

「話を聞いていて、やっぱりきみは原理主義者なんだよ。ぼくはあんまり原理的な見方はしなくて、それこそケース・バイ・ケースなんだよ。ただその場合の唯一の見分け方は一種の人間性の判断だね」

こういう認識を持ちながらも、なぜこの「対立」が二人の「訣別」にまで至ったのか、第三者にはよく理解できない。あるいはもっと別の要因があったのかも知れないが、結局それは当人たちにしか分からないことだな、と至極当たり前の感想を持つしかなかった。

ま、事件については、とにかくいずれあらためて「答えは出る」のだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

「JAPAiN」

何となく冴えない日本。その原因は、外から見てもやはり政治家なのか。本日付日経新聞は国際面で、英エコノミスト誌最新号の特集記事「なぜ日本は失敗し続けるのか」を紹介。表紙に「JAPAiN」、すなわちジャパン(日本)とペイン(痛み)の合成語を掲げ、日本経済が回復できないのは、改革の歩みを止めた自民党、党内の意思統一ができない民主党など「政治家」が“元凶”だと指摘したそうな。とりあえず日本の政治家に対する辛辣な論評を、紹介記事からメモ。

安倍晋三前首相については「経済を放置し愛国心教育などお気に入りのテーマだけ追求した」と批判。福田康夫政権については「旧来自民党が復活し、官僚は怖くて改革案を提示できない」と解説した。民主党の小沢一郎代表が目指した大連立構想についても「かつての一党支配に逆戻り」と批判した。

で、この「ジャペイン」状況?を打破する手段として、エコノミスト誌は早期の選挙を主張。たとえ政局の一層の混迷を招いても、それが軌道修正の第一歩だとしている。
・・・
しかし早期の選挙って言われても、今のところ総選挙は7月のサミット以降だっていう話だし、何より政界に次世代のリーダーが育ってないのがもどかしいよなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月21日 (木)

「グローバル経済」を復習

本日付日経新聞「経済教室」執筆者は水野和夫・三菱UFJ証券チーフエコノミスト。以下にメモ。

かつての資本主義を貫く原理は資本と国家の一体化だったが、95年を境に資本が国家を超越するというグローバル資本主義に質的変貌を遂げた。

旧来型が行き詰まった主因は、先進国経済の成長につれ資本が積み上がり、投資の限界収益が逓減したからだろう。

95年に米国は「強いドル政策」に転換した。これは米経常赤字増大は米国の過剰消費ではなく、高い収益を求めて米ドルを欲する外国人が原因と断じ、赤字とドルの因果関係を逆転させて、古典的資本主義が陥った超低利潤化を脱却する意図があったと見るべきだろう。これを機に、金融のグローバル化が加速した。

グローバル化で先進各国は低コストと割安な新興国通貨をにらみ生産工場をBRICsなどに移転して実物投資の収益を稼ぎ、先進国内においてはキャピタルゲインからの収益を求めた。

株式時価総額、債券発行額、預金を合計した152兆ドルの世界の金融資産のうち、およそ80兆ドルは実質GDPを生み出すことなく、金融資産にとどまり、資産価格を大幅上昇させた。金融資産化した資源価格も同様である。

グローバル資本主義下では、先進国のBRICsへの投資ブームは先進国の消費ブームと表裏一体化しながら、世界経済の成長をもたらし、日本も景気回復の恩恵を被った。しかし、先進国経済は資産価格の上昇をてこにすることでしか景気が回復しない「資産価格依存症候群」に陥り、IT関連、住宅、資源と対象を変えながら、バブルが頻発することになる。

・・・投資のフロンティアがある限り、資本主義の運動は続いていく。フロンティアが消滅した時に資本主義も終わるのだろうが、それがどのような世界なのか想像できない。投資主導のグローバル経済においてバブルの発生は避けられないのだが、バブルはまた将来への過剰な期待を現在に繰り込んだ価値でもある。それが「幻想の未来」であるとしても、人類に未来がある限り、バブルは生まれ、その崩壊も繰り返されるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

経済「政策」は二流以下

「もはや日本経済は一流ではない」という大田弘子・経済財政担当大臣の言葉をどう考えるか。「経済の一流国の定義とは何か」という村上龍の質問に対する専門家の回答(JMMのホームページ掲載)から、まず山崎元氏の意見をメモ。

経済一流国の定義として一番はじめに頭に浮かぶのは、国民一人あたりGDPですが、この比較方法には、為替レートの影響があまりに大きいこと、「平均」でデータを見るのが適当なのかどうかの疑問、そもそもGDPが大きいことは立派か、ということの三点の疑問を覚えます。

一方、財政金融政策だけでなく規制や法制も含めて、経済政策には適否があり、経済政策の主体は国なので、国ごとに一流、二流があってもいいでしょう。例えば、今の日本の状態で、金融引き締めと消費税の増税を目指すことは不適切でしょうし、こうした状況を指して、「日本は二流以下だ」と呼ぶのは構いません。しかし、この場合、真にいけないのは政治であり、「日本の経済政策は二流以下だ」と言うのが適切でしょう。「日本の経済は一流ではない」と言うと、批判の対象が曖昧になるように思えます。

次に、津田栄氏の意見からメモ。

一人当たりの名目GDPだけで経済が一流だとか、あるいは二流、三流というのは、どこかおかしいと感じます。そもそも、このデータは米ドルで換算したもので、直近の円高では順位も自動的に上がる可能性があります。

名目GDPだけで見れば、依然としてアメリカに次いで2位であり、3位のドイツをはるかに上回っています。まだまだ日本は世界経済においては、大きな地位を占めているといえ、その点では「経済は一流ではない」と卑下する必要はありません。

大田大臣が言うように、日本がもはや経済の一流国ではないとするならば、それは民間の問題ではなく、政府そのものの問題であると捉えるべきではないかと思います。つまり、これまでの金融経済財政を含めた政策がうまくいかなかった結果であるということです。

・・・日本は経済活動の質・量は高水準ではあるが、経済政策はダメダメってことだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

『人間・この劇的なるもの』

2月9日付日経新聞文化面「名作・古典に脚光 復刊や新訳続々」との記事を読んで、俺はあんまり関心無いけどなあ~とか思っていたら、福田恆存の『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫名作復刊シリーズ)があたかも新刊のように書店に置いてあるのを発見して驚いた。やっぱ若い頃に読んで影響された本(当時は中公文庫版)なので、ついつい手に取ってしまうんだな~。で、結局購入、何十年か振りに再読(ざーっとですが)してみました。復刊商売ってどうやら成り立つみたいです。(苦笑)
ハムレットの分析を中心に、様々な論点が提出されているが、やはり昔読んだ時と同様、自由と必然性の考察が自分には印象深い。以下に関連箇所を引用。

私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。

生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。

私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。

失敗者は失敗の必然を、成功者は成功の必然を欲する。だが、ひとびとは、なぜそうまで必然性を身につけたがるか。いうまでもなく、それは自己確認のためである。私たちは、自己がそこに在ることの実感がほしいのだ。

純粋な意識の真の緊張感を呼び起すもの、それが私のいう演戯である。

自分を他人に見せるための演技ではない。自分が自他を明確に見るための演戯である。

自我は自分と他人という相対的平面のほかに、その両者を含めて、自他を超えた絶対の世界とかかわりをもっているのである。

のいう演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。

真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。

・・・福田はこの本で、人間的意識においては、自由と個性という近代的原理よりも、必然性と全体という演劇的枠組みが優位であることを説いている。少々理解しづらい部分もあるけれど、自分にとっての「古典」、マイ古典と呼べる本であることを再認識した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 8日 (金)

「日本経済は一流ではない」

1月18日、通常国会での演説で「もはや日本の経済は一流ではない」と述べた大田弘子・経済財政担当大臣。人口減少下の成長実現という難題解決を訴えるため問題提起を行ったという大臣自ら、本日付日経新聞「経済教室」に寄稿しているので要点をメモ。

経済演説では、世界の国内総生産(GDP)に占める日本の地位の低下を例として挙げた。しかし、問題は、単にGDPという経済の規模だけではない。今後、GDPが伸びる力をもっているか、将来への成長力こそが問われる。この観点から、日本経済は三つの大きな問題を抱えている。

第一は、サービス産業の生産性が低いことだ。
第二は、金融資本市場や航空、港湾など経済インフラの国際競争力が低いことだ。
第三は、人材を生かしきれていないことだ。
これら三つの問題は、人口が減る日本で成長エネルギーが細っていくことを示している。

成長力をつけるために必要なのは、①弱みを克服すること②強みを伸ばすこと③世界のパワーを取り込むことの三点である。
日本経済の「弱み」は、前述のようにサービス産業の生産性の低さに加え、労働力人口が減ることである。「強み」は技術力、なかでも省エネなどの環境技術だろう。「世界のパワー」を取り込むには、日本への投資を増やすとともに海外との経済連携を強化し、金融資本市場など
世界への窓口になる分野を改革することが必要である。

日本経済の最大の「強み」は、柔軟に自己変革する力だと私は思う。ところが過去の成功体験に引きずられ、日本経済の柔軟さが失われている気がしてならない。

・・・改革の内容は明快ではあるが、この10年以上言われ続けてきたようなことでもある。なので、そういう改革が実行されない、できないというのは、日本経済がもはや一流ではないという以上に、日本人の質が低下しているのではないかと何だか心配になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

お見合いか合コンか

本日付日経新聞に、お見合い復権を唱える内田樹・神戸女学院大学教授のインタビュー記事(お見合いで弱者救済を 結婚こそ「安全ネット」)がある。「結婚は生きるためのコストやリスクを減らすから本来、弱者のための生存戦略」であるとして、内田先生は自らお見合いをセットしてまで、若者に結婚を勧めている。とりあえず結論的部分のメモ。

「皆、自分の強さを過大評価しすぎです。一人で生きられるのは強者だけ。人間の大多数は弱者なんです。弱者でも幸せに生きることができるのが社会のはず。人間として信頼できると周りの人間が判断し、引き合わせる見合いはいい仕組み。ベストパートナーを夢見て一人でいるより、縁があった人と結婚する中で『他人と一緒にうまくやっていく』知恵や技術も見につく。共同体で生きるためのマナーにもつながると思うんです」

先生は合コンには批判的だ。

「合コンは恋愛市場における勝者総取りシステム。勝つ人間が勝ち続けるから見合いの代わりにはなりません。生涯のパートナーに出会えないのは自由競争に負けた自己責任だから仕方ない、などと納得してほしくないんです」

ところで、今週の「読売ウイークリー」(2/17号)特集記事は、そのタイトルも「合コンは日本を救う」(笑)。記事は経験談やアンケート結果などで構成されているが、とりあえず国立社会保障・人口問題研究所の調査(夫婦が出会ったきっかけ)によると、2005年に「職場や仕事で」(30%)を僅かの差で抜いてトップになった「友人・兄弟姉妹を通じて」(31%)の中に一定数、合コンが含まれていると推測されるとのこと。

お見合いにせよ合コンにせよ、広い意味での「紹介」が、結婚への入口として重要度を増しつつあるのは確かなようだ。非婚化・晩婚化に歯止めをかけるには、「紹介の輪」を広げる国民的運動を起こす必要があるかも知れない・・・(おいおい)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

賞品マグカップ到着

JR東海さわやかウォーキング賞品の一つ、オリジナルマグカップが到着。

P1020297_3 このマグカップは、去年から賞品リストに加わったものだが、自分は春に転勤で名古屋から東京に戻ってしまったというのに、新賞品欲しさに静岡地区、名古屋地区開催のウォーキング参加を続けて、このマグカップ獲得のため膨大な交通費をつぎ込んでしまった。(←ただのアホ)

ま、JR東海のおかげで、あちこち知らなかった所を歩くことができました。見聞が広がって良かったです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »