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2008年1月27日 (日)

桶狭間、正面+背後攻撃か

桶狭間の戦いで、織田方は別働隊を今川義元本陣の背後から襲撃させた可能性がある――雑誌「歴史群像」2月号の記事(再考 桶狭間合戦)からメモ。

「善照寺の城より二手になり、一手は御先衆へ押来、一手は本陣のしかも油断したる所へ押来り、鉄炮を打掛」(『松平記』)
『松平記』によれば、信長は善照寺で兵を二手に分け、今川前軍と本陣にそれぞれ攻撃を開始したとする。
『松平記』のいう前軍を攻めている部隊は、信長の本隊になるだろう。そして本陣に鉄炮を放ちかけた織田別働隊というのは善照寺で分派したもの、ということになる。

「服部小平太上之山より突懸り」(『譜牒餘録』)。
「上の山」から攻撃を受けたというのは今川側の共通認識であったらしく、『松平記』にも「上の山よりも百余人程突て下り」と書かれている。

「上の山」が「上ノ山」(という地名)であり、今川軍の背後から服部小平太他100人ほどの部隊がこれを襲ったとすると、今川軍敗北の情景が鮮やかに見えてくる。
信長が善照寺砦から分派して東進させた部隊は、途中今川の分遣隊を撃破して沓掛城周辺に至る。暴風雨が吹きはじめる中、この部隊は大高道を南下して上ノ山に到達する。上ノ山に
到着した際には風雨も止み、東から西に向かって攻め掛かる障害は無くなっていた。

服部小平太は攻撃を開始し、同時に鉄炮も打ちかける。
一方、義元本陣の正面山際に位置した信長は、敵の背後で銃声が起こり戦闘が発生したのを見届けて突撃命令を発する。
敵の前面に攻撃をしかけて行動を制し、その間に別の部隊が側背へ機動する。その機動部隊が、敵の行動を制して、正面からの攻撃を有利に導く、というのは戦闘の基本である。

・・・かつては桶狭間といえば「奇襲」だったが、いまや「正面攻撃」説が優勢。だが今川兵は全軍2万5000、本隊だけでも5000と織田方2000の倍以上、しかも「おけはざま山」という小高い場所に陣を置いていたというだけに、単純な正面攻撃だけで信長が敵を打ち破ったとは考えにくい。桶狭間合戦、その謎の実像に迫る余地はまだまだ大きい。

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