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2007年12月10日 (月)

『大人の友情』

フリーマガジン「R25」のブックレビューで『大人の友情』(朝日新聞社、2005年2月発行)という本があることを知った。著者は今年亡くなった心理学者の河合隼雄。まず書名を見て、これは自分が読まなきゃいけない本かな、と思った。

最近しばしば感じるのだが、人間年を取ると、結局自分はこういう人間なんだなとがっかりすることがある。特に自分の場合は、友だち作りが下手だ、それは結局子供の頃から変わらなかった、という思いがある。長い付き合いの友だちがいないこと、それは結婚していないことよりも後悔するべきことではないか。そう感じている人間が、「大人の友情」と題された本を手に取らずにいるのは難しい。実際読んでみると、平易な文章の中にも、深い洞察が散りばめられている内容だった。余計な話だが、単行本でなく新書にしたら、販売部数はかなり多かったかも知れない。とりあえずいくつかメモ。

友だちが欲しい、と思っても、それほど簡単ではない、と言えるし、ひょこっとできるものだ、とも言える。そこには、人間の力を超えたものがいろいろとはたらいていて、自分の意思や努力だけではどうにもならない面があるからである。とは言っても、そこに相当な努力や工夫が必要になるときがあるのも事実である。いろいろとつき合っていて、好きなときも嫌いなときも、それを吟味していると、「己を知る」ことと共に、友人との関係を深めてゆけるのではないだろうか。そのような深い関係の友人をひとりでも持つことは、その人にとって幸福なことと言わねばならない。

友人との関係が深くなるにつれて、その影の部分が明らかになるにもかかわらず、なお友人関係が続くためには、そこに「やさしさ」がなくてはならない。
このやさしさはどこから来るのだろう。あっさりと言ってしまうと、死すべき者の自覚ということになるのだろう。何のかのと言っても、彼も死ぬし
、自分も死ぬ。このことは絶対確実なことだ。人生は予想不能なことが多くて、未来にいったい何事が起こるかまったくわからないが、人間は死ぬことだけは確実である。このことが、どれほどしっかりと自覚できているかが大切である。互いに死すべき者と感じるとき、善悪とか貧富とか長短とか、この世のいろいろな評価を超えて、束の間のこの世の生を共にしている者に対する、やさしさが生まれてくる。

友情という点で言うと、その友人が自分といろいろな点でよく似ていて、考えていることや感じることもすぐ一致する、というときと、むしろ、自分とはいろいろな点で反対で、そこに憧れを感じる、という場合がある。
非常に割り切った言い方をすると、類似性の高さは関係の維持に役立ち、相反性の高さは、関係の発展のために役立つ、ということになるだろう。
実際の関係の場合は、両者がうまくバランスをとっているわけだが、類似性だけでは退屈してくるし、相反性だけでは、結局は破壊的になる、と言えるだろう。

・・・著者は、恋人や家族関係も含めて、あらゆる人間関係の背後で「友情」がはたらいている、という。(良い結婚には友情の才能が必要だ、と言ったのはニーチェだったか)
友情というのと少し違うかも知れないが、人間関係における化学反応、ケミストリーってやつは大事だと思う。上記の引用では相反性による発展ということになるだろうか。友情でも恋愛でも、相反性を基にした関係は刺激的だろう。特に若い時は。で、年を取ってくると、「刺激」よりも、どっちかっていうと類似性を求めるという流れかな。

何にせよ、友情というものを味あわないと、自分が深くならないような気はする。

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