« 職場でみじめになる理由 | トップページ | 「ナイトの不確実性」 »

2007年11月17日 (土)

講座「信長と南蛮文化」

池上遼一の描く「信長」の印象はとても強い。この劇画の織田信長は、マントはもちろん、帽子や甲冑その他やたらに洋風というか「南蛮バージョン」の出で立ちで登場する。時に「あんた、何処の国の人?」と思わないでもないが、信長は新し物好きだったようだし、そういう人なら、自分の着衣にも最新の南蛮モードを取り入れていたかも知れないなあ、と妙に納得してしまうのであった。

さて、本日は「信長と南蛮文化」と題された講座に参加するため、岐阜市歴史博物館まで出かけた。この講座の予定は新年度の初めから博物館でスケジュールされていて、自分も春に名古屋にいた時にチェックしていた。その後東京に転勤移住したが、こういうテーマで設定された講座は珍しいと思っていたので、とにかく遠路はるばるお話を聴きに行くことにした。講師は土山公仁・学芸員。とりあえず配布されたレジュメからメモ。

信長が西欧文明にはじめて接したのは鉄砲である。日本に鉄砲が伝来した10年後の1553年には鉄砲500挺を所持していた。当時、畿内での確実な鉄砲の生産地は堺に限られていた。信長が鉄砲と火薬をどのように調達したかは確かな史料が残っていないが、堺と密接な関係をもっていたとしか考えられない。

信長は海外から渡来した文物を積極的に収集していたが、単に新奇なものが信長を刺激したわけではなかったことは1569年、当時信長の居城があった岐阜をフロイスが訪ねた書簡からうかがえる。信長からフロイスへの質問はインドにこのような城があるかにはじまり、太陽・月・星にかんする宇宙論、フロイスが見てきたさまざまな国々についての習俗などにおよんだ。新奇な文物に新しい時代の息吹を感じるだけでなく、文物の背後にあるそれらをつくりあげた人々やその国の様子、さらにそこに住む人々がどのような世界観をもっていたかにいたるまで信長は好奇心をむけていたのである。

安土城天主に描かれた壁画に仏教・道教・儒教によるものが多いなど、中国的世界観に強く引かれながら、異なった世界観を決して排除したり序列をつけなかったことが、信長の特質である。

それから信長の南蛮ファッションについては、帽子(南蛮笠)とマントはあり得るけど、西洋型の甲冑となると、さすがにあり得ないらしいです。西洋甲冑が入ってきた記録があるのは秀吉の時代、今も残っている南蛮具足で伝来が明らかなものは家康の時代以降が多いということで、さすがに信長の時代にあったと考えるのは無理とのこと。まあ、時代の先端を行く信長をイメージするアイテムとしては、帽子とマントで充分ですが。

|

« 職場でみじめになる理由 | トップページ | 「ナイトの不確実性」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/8954082

この記事へのトラックバック一覧です: 講座「信長と南蛮文化」:

« 職場でみじめになる理由 | トップページ | 「ナイトの不確実性」 »