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2007年10月27日 (土)

介護と生活苦の悲劇

「私の手は母を殺めるためにあったのか」と男は泣いた』(山藤章一郎・著、小学館)は、週刊誌連載のニュース記事から19のエピソードを集めたもの。取り上げられる人物は、みのもんた、斎藤佑樹、松岡利勝、瀬戸内寂聴、畠山鈴香、城山三郎など、多彩というのか雑多というのか。しかしなかでも強い印象を残すのが、この本の表題にもなっている、昨年2月に京都で起きた事件。生活費の尽きた54歳の男が、自分で介護していた86歳の母を絞め殺し、自らも死のうとしたが果たせなかった事件である。

認知症の母の介護に追われ、仕事を続けられなくなった男は、生活保護も受けられない。生活費が尽きる最後の日に、男は車椅子の母と共に京都市街を巡り歩き、その夜、川原で男は詫びながら母に手をかける。翌朝、死にきれずにいるところを通行人に発見される。

「ぼくが台所で食事の用意をしていると、母は私を呼び、赤ん坊のようにハイハイをし、私のところに寄って来るのです。それがかわいくてかわいくてなりませんでした。そして抱きあげると、にこっと喜ぶのです。で、抱いてやると、強く抱き返してくれるのです」
公判の陳述には、法廷がすすり泣いた。

「母が子供に戻って行くのです。私は母を『見守る』ただそれだけのことしか出来なかった。私の手は何の為の手で、母を殺めるための手であったのか、みじめでかなしすぎる。じっと我が両の手を見る。何の為の手で有るのかと」

担当弁護士の目に男の姿は「武士」に映った。
「母親との心中は、彼にとっては切腹だった。法廷で私も涙を抑えきれませんでした」

懲役2年6月、執行猶予3年。
裁判長は「決して自分が死ぬことを考えず、お母さんの冥福を祈ってください」と諭した。

・・・この社会ではこんなことが起きているのだと考え込んでしまう前に、母と子の強い絆に自分もただ涙するばかりになってしまう。ほぼ不可避的に破滅へと追い込まれていく男の姿は、文字通りの悲劇というほかない。

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