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2007年9月 3日 (月)

講座「信長と本能寺の変」

先日、朝日カルチャーセンターの講座「信長と本能寺の変」を聴講してきた(8月22日、29日の全2回)。講師は藤本正行先生。昨年『信長は謀略で殺されたのか』(共著)を出している。講義の中で印象に残ったことなどをメモ。

明智光秀の年齢については、55歳、57歳、67歳、諸説あるが、変の直前に戦勝祈願のため、亀山から愛宕山を上り下りする体力と気力があったことは事実。(愛宕山を京都側から上った自分としては、結構しんどかったものだから、光秀が例えば67歳というのは無さそうだなという感じ)

信長の言葉「是非に及ばず」は諦観を示したものではなく、謀叛と知るや後は行動あるのみという決意を表す言葉。(浅井氏に裏切られた時も、信長は是非に及ばずと言って越前金ヶ崎から一目散に脱出したことを考えれば、それが妥当みたいだなと思われる。我々はどうしても明智軍1万に囲まれて絶体絶命になってしまったという観点から歴史を見てしまうが、現在進行形の状況の中で当事者の行動を考えないといけないな)

明智軍の兵士は、信長ではなく徳川家康を討ちに行くものと思っていた。当時、3ヶ月前に武田氏を滅ぼしたことから、家康は用済みと考えることもできる、そういう時代の雰囲気があった。(これはもう、戦国時代ってシビアな時代だ~と思うのみ)

先生は光秀の背後に黒幕がいたとする謀略説はもちろん否定、光秀に対するフロイスの人物評にもっと注意を向けてもいいのではないかと指摘して、最後に取り上げたのが、例の信長の四国政策転換に伴う光秀の立場の変化、および明智家の家臣・斎藤利三を巡る動き。講義終了後に先生に質問したのだが、桐野作人氏の仕事について「高く評価している(時に勇み足はあるけれど)」との答えだったので、おそらく桐野氏の近著『だれが信長を殺したのか』についても大筋認めているような感触だった。

今後はしばらく、この四国政策に絡む動きが(史料は少ないとのことだが)どこまで解明されるかが、本能寺の変を考えるうえでの焦点になりそうだ。このような織田政権内部の軋轢や緊張が、変の背景や原因であるとしたら、それはなかなか外部の人間には分かりにくいので、様々な怨恨説が面白おかしく語られることになってしまった、ということはあるのだろう。

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