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2007年9月30日 (日)

織田政権内の暗闘

本能寺の変は、織田政権内の明智光秀と羽柴秀吉の勢力争いを発火点として、信長が息子たち等への権限委譲を進めようとする権力構造の転換時に起きた――『秀吉神話をくつがえす』(藤田達生・著、講談社現代新書)第二章「本能寺の変」からメモ。

(光秀と秀吉の)二人の争いはつまるところ、織田軍団が本格的に開始する西国平定戦における司令官人事をめぐり、どちらが優位に立つかを競うものであった。
秀吉と光秀の派閥抗争の基底には、四国領有とりわけ阿波・讃岐をめぐる長宗我部氏と三好氏との対立があった。その激化が、最有力重臣の座をめぐる二人の抗争をさらに深刻化していった。

藤田先生によれば、天正10年5月7日付で信長が、三男の信孝を讃岐国主に、また三好康長を阿波国主にすることを定め、四国政策の中心から光秀-長宗我部ラインが排除されたのも、秀吉が光秀に対して仕掛けた派閥抗争の結果であるとされる。

天下統一が目前に迫ってきた時期から、信長の政権運営を補佐するブレーンの顔ぶれに変化が現れた。
信長は機内を統一する過程で、岐阜と京都を結ぶ近江の支配を重視した。ここには光秀をはじめ秀吉、柴田勝家、丹羽長秀らの重臣を配置していた。だが、信長が全国的に版図を拡大する過程で、彼らは各方面軍の司令官として最前線に派遣されていく。そして、没収した近畿やその周辺地域には有能な側近たちを取り立てて配置し、政権の中枢に位置づける。重臣層にはさらに国替を強制して、拡大した織田領の最前線を守備させる。
これは、青年期を迎え成長しつつあった一門・近習(きんじゅう、信長の旗本)たちが強権を掌握し、光秀ら政権中枢にあった老臣たちが実質的に退陣すること、すなわち織田政権の世代交代を意味していた。

信長の新たな国家構想を察知した秀吉は、信長の五男秀勝を養子としたほか、一門・近習たちと良好な関係を築いて生き残りを画策していたのである。
こうしたなかで筆頭重臣の光秀は、畿内支配をめぐっては一門・近習と競合する関係にあり、西国支配をめぐっては秀吉との競争に敗北した。改革断行の被害をもっともうける立場にあったといってよい。

・・・ここから、藤田先生は、足利義昭から光秀に働きかけがあって、信長の将軍任官問題や、信孝を大将とする四国攻めの開始予定日も絡めて、天正10年6月2日に必然的にクーデターが行われたとしている。つまり「単独実行説」を否定するのだが、とりあえず光秀と秀吉の勢力争い、織田権力の世代交代で、光秀の心理が謀叛に傾いていった背景は充分理解できる。

昨年の『信長は謀略で殺されたのか』、今年春の『誰が信長を殺したのか』に続いて、この本により、今後の本能寺の変の理解の方向(政権末期の織田権力内の分析と関連付ける)が、かなりはっきりしてきたように思う。

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2007年9月29日 (土)

「バブルは防げない」

本日付日経新聞掲載の、グリーンスパン前FRB議長のインタビューからメモ。

(今回の危機を過去の金融危機と比べると)
1987年の株価暴落(ブラックマンデー)とは、恐怖が価格を決める支配力になったという点のみで似ている。極端な形で流動性不安が起きた点では、98年の米ヘッジファンド、LTCMの破綻に伴う危機やロシア危機の方が近い。

(証券化市場が舞台になった初の危機だ)
問題は証券化市場そのものにはない。(証券化された)サブプライムローンの値付けが適切でなかったということだ。例えば、格付け会社がサブプライムについてもっと低い格付けをしていて、実際にはそれよりちょっと良かったという形になっていれば今回の危機は起きなかった。

(危機がグローバルに広がる時代に金融当局はどう対処すべきか)
危機は予測できない。バブルの発生を予想したり、それを正常な状況で取り除くのも不可能。重要なのはバブルが崩壊した時に、(その悪影響が)生産や雇用を大きく減らすことなくうまく吸収されるように、柔軟な経済システムをつくっておくことだ。

(技術革新やグローバル化に伴う貧富の差の拡大を懸念する声も増えている)
新しい発明と歩調を合わせて人々の技術的能力が高まるわけではない。低い技能しかない人は賃金が低下し、高技能の人は給与が大幅に上がっている。民主社会にとっては危険な傾向だ。富が公平に分配されていると人々が思わなければ、資本主義への支持も得られない。教育によって人々の技能を高め、それによって所得水準を上げていくことが重要だ。

・・・バブルの膨張と崩壊など金融危機は予測できない。やっぱり先のことは分からないってことです。証券会社に勤めていながらこんなこと言うのもナンですが。

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2007年9月24日 (月)

『下流社会 第2章』

ベストセラー『下流社会』の続編、『下流社会 第2章』(三浦展・著、光文社新書)が出た。前著に対して調査サンプル数が少ないと批判されたことに応えて、より大規模な調査によるデータ収集を行っている。もっとも、「あとがき」の中で著者は、「サンプル数が少なくても、さほど間違った分析はしない」と自信を示してはいるけど。実際データ量が多くなったからといって、前著より精緻な印象があるかといえば、そうでもないしね。

本書の中でも「下流ナショナリズム」やら「下流女」、あるいは雑誌の読者別階層意識の分析といった部分は、まあ相変わらず半分与太話みたいなものである。むしろこの本では、若い男たちの下流意識の底に流れる労働観、すなわち正社員に対する懐疑的な意識を、あらためて炙り出してみせたことに意義がありそうだ。以下は第3章「上流なニート、下流な正社員」から引用。

非正社員は、将来的には正社員になることを希望している人が多い。しかし、すぐに正社員になりたいわけではない。なぜなら、正社員になると束縛が多いからだ。だから、もし非正社員のまま待遇が改善されるなら、非正社員のままでもいいと思っている。あるいは、正社員でも束縛の少ない働き方ができる会社があるなら、正社員になってみようかと思っている。

フリーター大量発生の当初、豊かな社会はまともに働かなくてもすむ若者を大量に生み出したとの見方があった。それが、たとえば玄田有史教授の実証的研究などから、長期不況を背景にした新卒採用抑制という構造的要因が指摘された。そしてまた今回、やっぱり若者は働きたくない、少なくともこれまでのようなスタイルでは働きたくないという意識がある、という見方が示されたことになる。若者が正社員に抱くイメージはかなり酷いらしい。以下は「新しい正社員像を描くべき時代」と題された結語的部分から引用。

つまりこういうことだ。これまでの制度では、正社員と非正社員の格差が非常に大きい。しかし、正社員は残業が多く、過労であり、ストレスに悩んでいる。だから非正社員は正社員になることに躊躇する。
だとすれば、正社員と非正社員の間に現在ある大きな溝を、もっと埋めていく必要があるのではないか。
個人のその時どきのライフスタイルに応じた働き方が可能になるならば、多くの人は不安定な非正社員ではなく、正社員という立場を選ぶであろう。
今の時代に即した夢と希望のある新しい正社員像が描かれるべきだ。

という著者は、現実の試みとして、ユニクロの「地域限定正社員」を高く評価している。いま柔軟な雇用形態や労働スタイルが、求められていることは間違いないのだろうが、具体的な提案や施策は、著者ではなくまた別の専門家が考えることなんでしょうね。

何にせよ非正社員の置かれている状況が問題化している今、実は正社員の在り方もあらためて問われているのだ。

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2007年9月22日 (土)

高天神城跡へ行く

今日は高天神城跡へ出かけた。遠州制覇を賭けて武田と徳川が攻防を繰り広げた城である。といっても、自分がその存在を認識したのは、6月に掛川城内の「戦国の館・掛川」の展示を見た時なんだけど。それと同時に、高天神城初めいくつかのポイントを巡る「掛川市南部周遊バス」の運行も知る。6月でいったん終了したバス運行が、この9月8日から再開(11月25日までの土・日、ただし10月6日と7日は運休)されたこともあり、久々の城跡探訪という感じで、まずは新幹線に乗って掛川に向かった。

周遊バスは1日3回運行、掛川駅南口から朝9時30分の第1便で出発。大東温泉シートピアやサンサンファーム(観光農園)、徳川方の拠点である横須賀城跡を巡って、11時に目的地である高天神城の北側にある搦手門入口に着く。バスを降りたのはワタシ一人であった。次のバスが来る1時25分まで見学する予定で、搦手門を上り始める。

P1020197 道そのものは高天神社の参道として広い石段に整備されてはいるが、結構急な上りなので、例によって息を切らしてしまうのだった。標高は132mということだから、ざっくりいって300mの岐阜城、200mの安土城よりも低いのだが、やっぱり山城に上るのって結構根性が要る。ひとまず上りきると城の中央部に当たる場所に出る。そこから東側の本丸、西側の高天神社、馬場平(展望台)と回る。来る前は、大きくて複雑な形の山城かと思っていたが、歩いてみると意外とこじんまりした感じ。およそ2時間で主要な曲輪(くるわ)等を見て回った。全体的な印象がやや物足りなかったのは、石垣らしきものが残っていないせいか。

P1020226 城とは関係ないけど、搦手門の道にはハンミョウがたくさんいた。ごくごく小さーい甲虫だけど、赤や青のカラフルな模様の付いたとても綺麗な昆虫である。人の動く気配を感じると、すぐに数メートル先に飛んでいってしまう。都会暮らしをしている人間には、こういう虫は物珍しくてたまらない。

で、やっぱりこんな場所に来る人ってあんまりいない。気候が暑かったこともあるとはいえ、自分の他には、やはり単独行動の男性を二人、それと家族連れ一組を見たのみ。散策後は予定通り1時25分のバスに乗る(入れ替わりに若い男女ペアが下車)。駅まで戻った後は、掛川城の敷地内にあるお茶室で一服してから、帰途に着いた。

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2007年9月21日 (金)

『死体は悩む』

法医学の専門家である上野正彦先生は、その道ではかなり知られた人だろう。著作もかなりの数にのぼるはずである。なのに自分は何となく読まないできてしまったのだが、新刊『死体は悩む』(角川書店)は新書という手軽さもあり、迷わず購入。

冒頭、自分の心臓に釘を3本打ち込んで自殺した大工の話から始まり、様々な死体の有り様が次々に語られる。腐敗した溺死体や、列車に飛び込んだ轢死体の無残さ、青木ヶ原樹海の自殺死体の末路等々を読むと、肉体の死後の物理的変化を直視するような機会は、できれば無い方がいいなと感じる。人間いずれは死体になるとはいえ、人様に処理してもらうことも考えれば、やはり畳の上で最期を迎える方がよろしいなと思う。

上野先生は現役の監察医時代、30年間に2万体の死体を見てきた。一週間のうち3日が「検死当番」、1日か2日が「解剖当番」で、毎日のように変死体に接していたという。仕事とはいえ、そういう生活が日常というのも、一般人には想像もつかないとしか言いようがない。

そんな職業生活の中で、上野先生は「死者の通訳」ができる「死者の名医」を目指してきた。例えば焼死体でも水死体でも検死によって、火や水の中で死んだのか、死んでから火中や水中に投げ込まれたのかが分かるのであり、それによって自殺・事故死なのか殺人なのか、全く異なった判断がなされるのだから事は重大である。死体の語る真実を聞き取らなければならない。だというのに、今は「死体の声」を聞き取ることのできる人間が減っている、と上野先生は嘆く。・・・でもこの分野で専門家になるのって、かなり特別な資質が求められるような気もするけど。先生は現役を退いて久しい自分の出番が減らない(事件に対するコメントを求められる等)というのも困ったものだと書いているが、やはりそれだけ本物のプロになるのが難しい仕事だということなんだろう。

で、ひとつ面白いと思ったのは、渡辺淳一が『失楽園』のラストシーンを書く前に、上野先生と会っていたという話。作家が自らの構想が現実的かどうか尋ねると、上野先生は自分が昭和30年代に担当した、男女が交わったまま毒を飲んで心中した実際の事件について語ったのである。さらに死体検案調書、まあカルテみたいなものについて、作家と編集者が興味を示したので、小説のために架空の「調書」を作成したという。あの、性の絶頂における死という、やや時代錯誤とも思えるロマン主義的小説の最後に、死亡調書という事務的な現実を置くことで、作家は自らの作品を軽く相対化してみせたのかな、という印象を持っていたのだが、そこに上野先生が関わっていたということで、個人的にはなるほどなあ、と妙に納得してしまったのだった。

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2007年9月16日 (日)

『平成男子図鑑』

「おやじ」になることなく大人になるということ。『平成男子図鑑』(深澤真紀・著)を読んで、そんなことを考えた。

この本のタイトルにある「男子」とは、おもに1970年代生まれの団塊ジュニア世代、すなわち20代半ば~30代半ばを中心とした男性を指す。豊かな時代に生まれ、旧来の男らしさにこだわらない、そんな彼らの考え方や行動スタイルを、「~男子」とキャラクター化して、著者は次々に紹介していく。いわくリスペクト男子、マッスル男子、オカン男子、チェック男子、ツッコミ男子、欧米男子、ロハス男子、スピリチュアル男子、ガンダム男子等々。全体的なイメージとしては、自分が大好きで、友だちや家族を大事にする、酒・タバコやギャンブルはやらず、欧米コンプレックスとも無縁で、情報のチェック能力に長けて、人間関係もケータイで整理するという、何ともスマートな感じ。

けれども、この世代は朝日新聞のいう「ニュー・ロスト・ジェネレーション」でもある。10代でバブルがはじけて、20代では「失われた10年」を生きてきた彼らはこれからも、「将来や希望の見えない日本」を生きていかなければならない。そんな彼らは、所ジョージ、関根勤、高田純次といった「テキトーおじさん」に憧れている。それは、不安を抱えながらも、「ほどよく」生きていこうとする男子のサバイバルのひとつの形なのだ、という。

おやじや女性にはウケが悪い平成男子の面白さを伝えるために、著者はこの企画を立てたそうだ(当初はウェブサイト連載)。「男がダメになった」「いい男がいない」と嘆く声が多数派らしい今の日本社会の中で、著者は彼らを温かい目で観察し、足りない部分についても優しく示唆する。そんな著者も本の最後で、いつまでも男子はそのままではいられない、男子はどんなおやじになるのだろうかと、彼らの将来を案じて?いる。

しかし、これからの男はおやじになることなく、男子のまま大人になればいいのではないだろうか。大人とはどういうものか、実は本書の中で著者もちらほらと書いている。

たとえば、若さや健康を保つことに価値を見出すマッスル男子に対して、著者は「若さからきちんと降りることも、人生の大事な仕事です」と諭す。あるいは、母親を大事にするオカン男子は、「母親から受けてきた愛情を、きちんと返す相手を自分で見つけること」で大人になれる、と説く。さらに、前世や霊や魂をなんとなく信じるスピリチュアル男子について、彼らは「生きていくことの意味や物語を強く求めていますが、実際の人生には意味のないことや、理不尽なことのほうが多く起こるもの」として、「それを、きちんとわかることが大人になるためにはなにより大事なことなのです」と指摘する。

おやじの生き方を拒否する男子。これまでの男らしさにこだわらない彼らの在り方は、当然社会の変化を映しているのであり、それに対して不平・不満・グチを言うおやじや女性は、世の中の変化に鈍感なのだろうと思う。彼らの不満はつまるところ若い男たちの頼りなさに行き着くのだと推測するが、こんな先の見えない世の中で自信を持って生きることができるとしたら、その方が余程おかしいことのように思える。男子たちには、おやじの生き方を「自信を持って」拒否し続けてもらいたい。そして、おやじとは別の形で大人になってもらいたい。

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2007年9月15日 (土)

甲府を歩く

今日、JR東海さわやかウォーキング(静岡地区)が開催されたのは身延線の金手(かねんて)。どこにある駅かというと甲府駅から一個目。要するにウォーキングin甲府。ということで、新宿から朝8時2分発の特急あずさ臨時列車に乗って1時間40分で甲府着。そこから身延線に乗り換えて、中央本線に平行して走る線路を戻る格好で金手駅へ。JR東海主催のイベントに参加するのに、電車賃の大部分をJR東日本に落としていることに多少の後ろめたさを感じつつ(ウソ)、駅から程近い場所にある愛宕園(ぶどう園)からウォーキングスタート。

P1020171 当初曇だった天気は、10時過ぎくらいから晴れて陽射しも強くなり気温上昇。真夏日の暑さの中、距離およそ12kmのコースを歩く。武田氏ゆかりのお寺、信玄の墓、愛宕山の自然公園などを巡るのだが、メインとしては、やはり観光地的にも盛り上がっている様子の武田神社(武田氏の居館である躑躅が崎館跡)なんだろう。宝物殿(入場料300円)を見学し、境内で行われた太鼓の実演(写真)も見る。太鼓は結婚をお祝いするものらしく、側には新婚カップル(新郎は外国人、ていうか白人だった)と近親者らしき人々が数名いて、太鼓演奏を見守っていた。

今回、JR東海は特急を金手駅に臨時停車させてはいたが、ウォーキング参加者は通常よりは少なかった。やはり特急で来なきゃならんとなると、参加者が減るのは仕方ないかも。しかしウォーキングイベントでは回りに歩いている人がいることで、自分の歩くペースもできるということはあるので、今日みたいに参加者の少ないウォーキングは、前進するのにいつもより根性がいるのだった。暑かったし。

武田神社でうろうろした分を含めて、3時間15分程でスタート地点のぶどう園まで戻ってゴール。帰りは甲府駅前の舞鶴城公園(甲府城跡)、武田信玄像をざっと見て、2時9分のあずさで帰京した。

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2007年9月12日 (水)

安倍首相、辞任表明

テロ特措法の延長に職を賭すと言っても冷ややかな反応しか返ってこないし、党首会談をやろうと言っても相手に拒否されるし、どうしてみんなボクをいじめるんだ~と感じて辞めたのか安倍首相。

このところ「空気が読めない」などと揶揄されてきた安倍首相だが、そもそも就任当初から「美しい国」やら「憲法改正」やら、景気回復にも係らず生活の苦しい庶民の実感からかけ離れたトンチンカンな言葉を語っていたわけで、国民大衆との感覚のギャップは遂に埋まらなかったという感じ。

やっぱり(ワタシも出ている)成蹊大学の人には総理大臣は無理だったみたい。

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2007年9月11日 (火)

サブプライムとLTCM

サブプライム問題の潜在的脅威は1998年のLTCM危機をはるかに上回る可能性がある、との見方を示すのは、9月7日付日経金融新聞の一面コラム「複眼独眼」。以下にほぼ全文を引用。

まず問題の規模について見ると、LTCM危機における損失額は当時の米国GDPの0.4%に過ぎなかったのに対し、今回のサブプライム問題の潜在損失は、その数倍・数十倍となる可能性がある。さらにLTCM危機では、問題の所在が比較的少数のヘッジファンドなどに特定できたのに対し、サブプライムは証券化商品を通じてリスクが世界中の金融機関や投資家にばら撒かれた結果、白と黒の区別が判然としない、いわば「全ての牛が灰色」の状況となり、問題を複雑化している。

一方、良い材料は1998年当時と較べると、世界的に企業部門のバランスシートが健全であること、新興国の財政状態が良いことなど、問題が他のセクターに拡散するリスクは限定的であることだ。またリスクが広く投資家に分散された結果、サブプライムに特化した一部のファンドを除けば、サブプライム問題の直接的損失だけで破綻する金融機関・投資家も比較的少ないと見られる。

危機の克服と市場のコンフィデンス回復のための必要条件は、リスク保有者の大半が適正に損失を認識し、膿を出し切ることだ。問題は潜在損失の規模とリスクの所在の複雑性からみて「膿を出し切る」プロセスに相当の時間がかかると見られることである。

・・・リスクが分散された結果、問題の全貌がなかなか見えない一方、いきなり破綻する金融機関やファンドも多くはないというのが、これまでの金融危機とは違うサブプライム問題の独特なところだろう。とりあえずは、サブプライムに関連した各投資主体の「損切り」がスムーズに行われるかどうかが、事態の収束に向けた一つの鍵になりそうだ。

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2007年9月10日 (月)

株価とサブプライム

今週の「週刊エコノミスト」(9/18号)の特集は「株価大動乱」。グローバル経済分析の両雄、武者陵司氏と水野和夫氏がサブプライム問題についてコメントしているのでメモ。

(サブプライム問題の深刻度)
水野:日本の不動産バブル崩壊以上に深刻
武者:日本の不動産バブル崩壊に比べれば、はるかに軽微

いきなり真逆。(汗)

(収束時期)
水野:3~4年後
武者:ネガティブサプライズが出尽くすのが10月

これまた対照的。(汗)
でも、サプライズは近いうちに出尽くすとしても、その後の影響度はまだ計り知れないという感じ。

(理由)
水野:90年代後半から米国経済を牽引してきた住宅価格の上昇、それに下支えされた個人消費の拡大が終わった。住宅投資を含めた個人消費は米国のGDPの約76%まで達しており、ここの拡大が止まったから、成長率は1.0%前後まで低下する。
武者:事態が信用収縮、サブプライムローンだけにとどまるか、または需要収縮の悪循環が起こるか、に尽きるが、今の米国経済にはリセッション(景気後退)の条件が整っていない。今は企業部門が健全なので、雇用も賃金も順調で、それが家計所得を支え、消費の源泉になっている。信用の問題では当局が手を打つことは確かだろう。住宅の落ち込みも最悪期を過ぎた。

(今後の注目点)
水野:9月以降、FRBとECBが連続的な利下げに転じるか、どうか。米利下げの際、ドル下落をどう防ぐかが今後の大きな注目点である。
武者:①金融緩和、FF金利の引き下げ、②財政的なサブプライム救済策、③米国景気の減速具合。

で、年末までの株価予想は、水野氏が日経平均14500~16500円、NYダウ11000~13500ドル、武者氏が日経平均16000~19900円、NYダウ13000~14000ドル。武者氏は強気を残しているが、おそらく今年はもう相場の高値更新は無いという感じがする。

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2007年9月 3日 (月)

講座「信長と本能寺の変」

先日、朝日カルチャーセンターの講座「信長と本能寺の変」を聴講してきた(8月22日、29日の全2回)。講師は藤本正行先生。昨年『信長は謀略で殺されたのか』(共著)を出している。講義の中で印象に残ったことなどをメモ。

明智光秀の年齢については、55歳、57歳、67歳、諸説あるが、変の直前に戦勝祈願のため、亀山から愛宕山を上り下りする体力と気力があったことは事実。(愛宕山を京都側から上った自分としては、結構しんどかったものだから、光秀が例えば67歳というのは無さそうだなという感じ)

信長の言葉「是非に及ばず」は諦観を示したものではなく、謀叛と知るや後は行動あるのみという決意を表す言葉。(浅井氏に裏切られた時も、信長は是非に及ばずと言って越前金ヶ崎から一目散に脱出したことを考えれば、それが妥当みたいだなと思われる。我々はどうしても明智軍1万に囲まれて絶体絶命になってしまったという観点から歴史を見てしまうが、現在進行形の状況の中で当事者の行動を考えないといけないな)

明智軍の兵士は、信長ではなく徳川家康を討ちに行くものと思っていた。当時、3ヶ月前に武田氏を滅ぼしたことから、家康は用済みと考えることもできる、そういう時代の雰囲気があった。(これはもう、戦国時代ってシビアな時代だ~と思うのみ)

先生は光秀の背後に黒幕がいたとする謀略説はもちろん否定、光秀に対するフロイスの人物評にもっと注意を向けてもいいのではないかと指摘して、最後に取り上げたのが、例の信長の四国政策転換に伴う光秀の立場の変化、および明智家の家臣・斎藤利三を巡る動き。講義終了後に先生に質問したのだが、桐野作人氏の仕事について「高く評価している(時に勇み足はあるけれど)」との答えだったので、おそらく桐野氏の近著『だれが信長を殺したのか』についても大筋認めているような感触だった。

今後はしばらく、この四国政策に絡む動きが(史料は少ないとのことだが)どこまで解明されるかが、本能寺の変を考えるうえでの焦点になりそうだ。このような織田政権内部の軋轢や緊張が、変の背景や原因であるとしたら、それはなかなか外部の人間には分かりにくいので、様々な怨恨説が面白おかしく語られることになってしまった、ということはあるのだろう。

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2007年9月 2日 (日)

キャメル・ライブDVD

先月、「Burrn!」誌に小さくレビューが載っていたのを見て、キャメルのライブDVD「トータル・プレッシャー」が3月に出ていたことを知り、ネットで取り寄せた。品物が着くまでやや時間がかかったけど、内容は1984年のライブで見たことがあるものだったし、プログレを聴くのは秋が良い(と自分は思う)ということもあるので、特に観るのは急いでいなかったが、妙に涼しくなっていきなり秋めいてしまったので、観ることにした。(変かな)

叙情派プログレッシブ・ロックの雄とも呼ぶべきキャメル。しかし正直言うと、自分はこのバンドの良いファンではない。はっきり分かる曲としては「レディー・ファンタジー」しかなくて、アルバム作品をきちんと聴いた覚えも無いので。フォーカスの「悪魔の呪文」もそうだけど、インストゥルメンタル主体、アンサンブル重視のバンドの曲の中に、とんでもなくキャッチーなメロディーまたはリフの曲があると、それが強ーく印象付けられてしまって、そのバンドといえばもうその曲だけ、みたいになってしまうのであった。できればバンドの音楽性全体を受け止めないといけないのに、申し訳ない話ではあります。まあ、聴く側の身勝手として許してもらいましょうか。

で、やっぱりアンコールの最後に演奏される「レディー・ファンタジー」が良いのだ。お世辞にもハンサムとはいえないギタリストのアンディ・ラティマーが、情感たっぷりに美しいメロディーを奏でる姿は、ぞくぞくするような妙な感動を誘う。変幻自在なギターの音色に引き込まれて、ひどく切なく胸苦しい感情を呼び起こす「レディー・ファンタジー」1曲を聴けるだけでも、このDVDを持っている価値があるというものだ。

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