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2007年8月20日 (月)

記録映画「東京裁判」

先週、東京裁判関連のNHK特集2本を見て、未読だった『パール判事』(中島岳志・著)に目を通して、更にDVDで所有している記録映画「東京裁判」(小林正樹監督、1983年)を久々に見た。

この映画を見るといつも、裁判開始早々のブレークニー弁護人の発言に圧倒される。裁判管轄権に関する動議、いわば裁判の正当性を問う審理において、ブレークニーは戦争は合法的な殺人であることを指摘して、原爆投下についても触れる。

「我々はヒロシマに原爆を投下した者、投下を計画した参謀長、その国の元首について承知している。彼らは殺人罪を意識していたか。してはいまい。それは彼らの戦闘行為が正義で敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる!その人達が裁いているのです」

映画の中でも「法廷の日本人を驚かせた」とナレーションされるが、被告たちの弁護をアメリカ人がまともにやってくれるのかと疑わしく思っていた人々もブッ飛んだことだろう。裁判の公正を保とうとするその強い意思と姿勢に、アメリカという国の凄さをつくづく感じる。映画の後半でも、日米開戦やソ連の対日参戦の審議で活躍しているものだから、ブレークニーさんってホントに凄い人だな~と改めて感心しきり状態になってしまう。

裁判は被告たちが「共同謀議」により「侵略戦争」を行ったという前提で進められていくのだが、この「共同謀議」の概念は被告たちにも違和感があったと推測される。以下は映画の中でナレーションされる賀屋興宣(かやおきのり)被告の感想。
「ナチと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたという。そんなことはない。軍部は突っ走ると言い、政治家は止まると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできず戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」

本当に濡れ衣というのか買い被りというのか、明確な意志と目的を持って日本の戦争が遂行されたとは全く思えない。大した見通しも無いまま軍部が暴走し暴発した結果、戦禍が拡大したとしか見えないわけで・・・。軍部の暴走は統帥権の濫用が大きな原因という話も出てくるが、そうなると昭和の戦争というのも、幕末に挫折した尊皇攘夷運動の大々的な復活とも思えてくる。明治の40年間が青雲の時代で、その後の40年間が暗黒の時代なのかも知れないが、それは結局は日本の近代化の表裏で、二つの40年間を切り離して考えることはできないのだろう。

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