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2007年8月26日 (日)

闘い続ける加藤九段

22日に公式戦通算1000敗を記録した将棋棋士・加藤一二三九段。本日付日経新聞1面コラム「春秋」も加藤九段について取り上げていた。

コラムは加藤九段の伝説、例えば、将棋盤に強く打ちつけすぎて駒が割れたとか、一手に7時間長考した、カトリック信者で対局場でも賛美歌を歌う、対局中に相手の後ろに回って盤面を見下ろす、などの逸話を紹介するなどした後、神武以来の天才と称された大ベテランのなお続く挑戦に期待する、と結んでいる。

あらためてデータ(8月22日時点)を見ると、加藤九段の対局数は2262局で、あの大山康晴名人の2216局を上回り堂々の第一位。50年以上の長期に亘り現役で活躍していることはもちろん、基本的に強くなければ対局数は増えないわけだから、対局数にしても敗け数にしても恐るべき記録であることは間違いない。

ちなみに加藤九段の勝ち数は1261勝で、第二位の中原誠名人の1299勝に追いつく可能性は充分にある。で、勝ち数第一位は大山名人の1433勝で、まさに稀代の勝負師、その強さは驚異的というほかない。現役A級棋士のまま世を去ったことも含めて、まさに将棋界の巨人だったとの感慨を深くする。

将棋については自分は、昔は良かったという感想しか出てこない。大山、加藤をはじめ、中原、米長、二上、内藤、有吉、桐山、大内といった棋士がA級で活躍していた頃が一番良かったな~と思うばかりである。そんなオールドファンである自分もまた、加藤九段にはいつまでも闘い続けて欲しいと願う者であります。

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2007年8月23日 (木)

バブルは繰り返す

今回の金融危機の本質は、サブプライムローンや証券化ではなく、古典的なバブルの生成と崩壊だ、というのは小幡績・慶応義塾大学准教授。本日付日経新聞「経済教室」からメモ。

現実に起きているのは、急速な円高及びその裏にある円借り(円キャリー)取引の収縮である。そして、円キャリー取引の収縮とは、世界のリスクマネーの収縮の一例であり、本質は、リスクマネーの収縮によるバブル崩壊なのである。

高度に発達した金融技術とは、リスクをリスクでなくすシステムだ。リスク資産をプールして、リスクを定量化し、それを分散して小口で売る証券化も、実体経済のリスクは不変だが、投資家のリスクは低減する仕組みである。

金融技術が発達して、金融商品価格が合理的と考えられると、投資リスクは低く認識され、大規模なレバレッジをきかせても安全な気がしてくる。こうしたリスクテークの連鎖でリスクは低下したと認識され、リスクマネーは膨張する。リスクテークバブルである。

そして、合理的であれ非合理的であれ、一定規模の投資家がリスクが高いと認識を変えた瞬間、このバブルは崩壊する。

・・・結局のところ17世紀オランダのチューリップ投機の昔から、バブルの本質は変わってないってことらしい。その生成と崩壊の論理は心理的な色が濃い。自分の掴んでいるのがトランプのババではないと思っているうちは良いが、これはやっぱりババなのだと思ってしまったらもう要らない、ってことになる。赤信号みんなで渡れば恐くない、けれどそれでも恐いと思ってしまったらもう終わり、である。

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2007年8月22日 (水)

防衛省へ行く(市ヶ谷記念館)

P1020132_3 先週のNHK特集2本を見てから、『パール判事』読書、記録映画「東京裁判」を久々に鑑賞と、気分は軽く「東京裁判モード」に。で、NHK特集の番組冒頭で市ヶ谷見学ツアーの様子が映し出されていたのを見て、そういえばそんなのやってるって何かで見た覚えがあるなあと、あらためて調べてみると、月から金の平日、毎日午前と午後の2回、「市ヶ谷台ツアー」として案内しているとのこと。本日、休みを取って行ってみた。

ツアーは午前の部が9時30分から、午後の部は1時30分からで、所要時間は2時間余り。自分が申し込んだのは午後のツアーだが、集合場所である防衛省正門に行ってみると団体客(福島からという)も来ていて、総勢約50人と結構多数の参加。

P1020134_2 正門から出発して巨大庁舎群を眺めながら歩き、敷地内の奥まった場所にある市ヶ谷記念館まで移動。建物の内部に入り、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われた大講堂へ。最初にビデオで市ヶ谷の歴史をざっと見た後、各種展示物などを見学。上の写真は大講堂内の様子。今あるのは見学者用の座席だが、東京裁判時は判事席の置かれていた側。奥の2階席は裁判時に一般傍聴席として使用。下の写真は裁判で使われた太平洋地域の大き な地図。こちらの側には判事席と向き合う格好で被告席が置かれていた。映像で見ると広い法廷のように思えるが、実際に入ってみるとそれ程でもない。かつての判事席側の片隅には「パール判決書」も展示されていた。

次に2階にある旧陸軍大臣室と天皇の休憩所を見た後、再び徒歩で移動。隊舎の横を通って厚生棟2階にある広報展示室へ。ここで自衛隊のイラク・クウェートでの支援活動のビデオを見るなどして、1階の売店近辺で休憩。そこから正門まで戻りツアー終了。

市ヶ谷記念館の建物は移築・復元ということで、何から何まで昔と同じという訳ではないが、歴史的な空間を維持・保存しておくのは大事なことだなとあらためて思う。

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2007年8月20日 (月)

記録映画「東京裁判」

先週、東京裁判関連のNHK特集2本を見て、未読だった『パール判事』(中島岳志・著)に目を通して、更にDVDで所有している記録映画「東京裁判」(小林正樹監督、1983年)を久々に見た。

この映画を見るといつも、裁判開始早々のブレークニー弁護人の発言に圧倒される。裁判管轄権に関する動議、いわば裁判の正当性を問う審理において、ブレークニーは戦争は合法的な殺人であることを指摘して、原爆投下についても触れる。

「我々はヒロシマに原爆を投下した者、投下を計画した参謀長、その国の元首について承知している。彼らは殺人罪を意識していたか。してはいまい。それは彼らの戦闘行為が正義で敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる!その人達が裁いているのです」

映画の中でも「法廷の日本人を驚かせた」とナレーションされるが、被告たちの弁護をアメリカ人がまともにやってくれるのかと疑わしく思っていた人々もブッ飛んだことだろう。裁判の公正を保とうとするその強い意思と姿勢に、アメリカという国の凄さをつくづく感じる。映画の後半でも、日米開戦やソ連の対日参戦の審議で活躍しているものだから、ブレークニーさんってホントに凄い人だな~と改めて感心しきり状態になってしまう。

裁判は被告たちが「共同謀議」により「侵略戦争」を行ったという前提で進められていくのだが、この「共同謀議」の概念は被告たちにも違和感があったと推測される。以下は映画の中でナレーションされる賀屋興宣(かやおきのり)被告の感想。
「ナチと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたという。そんなことはない。軍部は突っ走ると言い、政治家は止まると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできず戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」

本当に濡れ衣というのか買い被りというのか、明確な意志と目的を持って日本の戦争が遂行されたとは全く思えない。大した見通しも無いまま軍部が暴走し暴発した結果、戦禍が拡大したとしか見えないわけで・・・。軍部の暴走は統帥権の濫用が大きな原因という話も出てくるが、そうなると昭和の戦争というのも、幕末に挫折した尊皇攘夷運動の大々的な復活とも思えてくる。明治の40年間が青雲の時代で、その後の40年間が暗黒の時代なのかも知れないが、それは結局は日本の近代化の表裏で、二つの40年間を切り離して考えることはできないのだろう。

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2007年8月19日 (日)

『パール判事』を読む

先週初め、NHK特集で2夜続けて「東京裁判」関連の番組を見た(13日の「A級戦犯は何を語ったのか」、14日の「パール判事は何を問いかけたのか」)ものだから、とりあえず購入していた『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(中島岳志・著)をざっと読む。同書の第三章「パール判決書」からメモ。

パールは「通例の戦争犯罪」については国際法上の意義を認め、その罪を東京裁判で審議することを肯定した。しかし裁判所憲章第5条に示された「平和に対する罪」と「人道に対する罪」に関しては、国際法上の根拠がないとして、その罪そのものを否定した。これは罪刑法定主義の原則に関わる問題である。「事後法」による遡及処分は、近代法の原則からの逸脱であり、法によって支えられる秩序を根本から覆しかねない。

パールが繰り返し指摘したことは、張作霖爆殺事件から日米開戦にいたる歴史過程には一貫した方針などなく、指導者による共同謀議なども存在しなかったということである。日本の為政者たちは、検察側が立証しようとする「共同謀議」などしていなかった。「孤立した事件」が巧みにつなぎ合わされ、一貫した侵略政策によって日本が運営されていたかのように仕立て上げられているだけである。

パールが厳密な意味での判決対象と見なしたのは、あくまでも「通例の戦争犯罪」のみに関してである。
パールは、南京虐殺をはじめとする日本軍の虐殺行為を厳しく非難し、それを事実と認定した。しかし、これらの事件に関する刑事上の責任をA級戦犯容疑者に問うことは、証拠不十分のため不可能であるという結論を出したのである。

・・・パール判事は、東京裁判の被告人は全員無罪であるとの結論を下した。「道義的な戦争責任と法的な戦争犯罪は別」という立場を堅持した上での結論であることを考えれば、パール判決書(反対意見書)を「日本無罪論」と呼ぶのは確かにミスリードの恐れがある。それは東京裁判そのものへの批判であり、たとえば「東京裁判無効論」とでも呼ぶべきものではないかと思われる。

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2007年8月11日 (土)

生命科学の目標とは

知られざる日本の恐竜文化』(金子隆一・著、祥伝社新書)から「生命科学の目標」についてメモ。

恐竜学は最後にどのような段階にまで行き着くのだろうか? 恐竜学に、終極的な目標というものはあるのだろうか?

これは要するに、生命というものを対象とするすべての科学の最終目標を問われているのと同じである。それはひじょうに遠大な、今のわれわれにはかぎりなく不可能に近い夢物語としか聞こえないものであろうが、それでも、要約すれば次のようなものになるだろう。

すなわち、すべての生命科学は、究極的には、地球の生命の全歴史を分子レベル、原子レベルで完全に記述し、自由自在に再構成できる段階に達した時、科学として完成したと言えるのである。別な言い方をすれば、われわれはその時、DNAという化学物質とそれをとりまく環境との相互作用を完全に理解したことになる。もし、十分な容量と演算速度のコンピュータさえあれば、われわれは地球最初の自己複製分子と代謝系の誕生から、一億種とも言われる今日の地球生命圏の全構成要素が成立するまでの過程を、完璧にシミュレーションできるようになるだろう。

むろんそのなかでは、既知のすべての恐竜ばかりでなく、いまだ見つかっていないが確実に存在したであろう恐竜までがゲノム・レベルで再構成され、その生態の謎もすみずみまで解明されるはずだ。

それを不可能とする原理的な理由が見当たらない以上、生命科学はいつの日か、必ずこの次元に到達するに違いない。その時、現生、絶滅を問わず、あらゆる生命の探究はひとまず幕を下ろす。

・・・生命科学の探究、その道のりの遥か彼方にある、しかし条件さえ整えば達成可能であると考えられる目標。何かもうただ唸ってしまうばかりである。

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2007年8月10日 (金)

日経金融にジェイコム君登場

昨日9日付日経金融新聞1面の記事(ザ・コジン/資産運用 光る「自分流」)に、あの「BNF」または「ジェイコム」君(記事の中では「Kさん・29歳」)が登場。メモしてみる。

運用資産は175億円。株取引を始めた7年前に160万円だった元手は1万倍以上に膨れあがった。それでも極端なぜいたくはしない。株取引に楽しさを感じるわけでもない。ただ、もうけ損ねたくないという衝動だけが彼を突き動かす。

眼前には5台のモニターを配し、100―200銘柄の株価の動きをにらむ。チャートで買いと判断するなり、素早い手つきで数千万―数億円単位の注文を次々と執行。1日の売買代金は300億円に達することもある。東証1部の売買代金の「1%を握る男」だ。

金額が膨大なため空売りはしない。それにもかかわらず、7月下旬以降の急落局面で大きな損失は発生しなかった。不安定な海外株をみて、持ち高を極力減らしていたからだ。

売買の判断に特段ルールのようなものは設けていない。その時々によって、様々な要因を総合して判断する。いまは米国株、アジア株、円相場、商品市況などをにらみながら反発のタイミングを見定めているという。

相変わらず、ジェイコム君は快調に株取引を続けている様子。こうなるともう、いくら稼ぐまでやる、というよりは、スポーツ選手のように、能力の衰えを感じた時に「引退」する、って感じなのだろうか。もうひとつ、記事はこう付け加えている。

ただし、取引は1日―1週間程度の短期に特化している。本人いわく、「数ヵ月先の相場なんて、想像もつきませんから」。

・・・本当に、日銀の金融政策や参院選が株式相場の不透明要因になるという声はあったが、サブプライムローン問題がこれ程までに相場に影響を与えるとは誰も思っていなかったようだ。やっぱり先のことは分からない、ってことだな。

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2007年8月 2日 (木)

解散か大連立か再編か

本日付日経新聞1面のコラム記事「与党惨敗」からメモする。

議院内閣制は衆院の多数派が内閣を組織し、議会の信任を得て安定した政権運営を行う仕組みである。日本のように解散のない参院が衆院とほぼ同じ権能を持っていると、衆院と参院の多数派が異なる「ねじれ」の場合にたちまち政権運営は行き詰まる。これは憲法上の矛盾・欠陥である。
制度上の矛盾・欠陥を是正するには英国やドイツのように上院の権限を制約するか、イタリアのように上院にも解散を設けることなどが考えられる。

制度上の欠陥をすぐに是正できないとすれば、当面は有権者と政治家の共同作業によって欠陥を補うしかない。参院選によってもたらされた政局の動揺を収束させるには、基本的に衆院解散で民意を問い直すことが出発点となる。

そこで民主党が第一党多数派になれば政権交代となり、ひとまず衆参のねじれは解消する。衆院選で自民党が第一党となり政権を維持した場合、衆参のねじれを解消する手段として民主党との「大連立」が浮上する。政界再編によって新たな多数派形成を模索する動きも出てこよう。

日本では大連立をかつての「大政翼賛会」と同一視する声もあるが、こうした見方は間違いである。ドイツでは大連立のメルケル政権下で政治を安定させ、税財政改革などで成果を上げてきた。

大連立を成功させる条件は解散を棚上げすること、重要課題で精緻な政策協定を作ることである。衆参のねじれによって日本の政治は大きな試練に直面するが、これは政治の新生面を切り開くチャンスにもなり得る。

・・・政界再編・大連立か~。個人的な希望を言えば、小泉前首相が「チルドレン」をベースに民主党若手を引っ張り込んで「小泉新党」を立ち上げて、自民党と大連立するのがいいな。

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