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2007年7月22日 (日)

オシムの『日本人よ!』

サッカー日本代表を率いるオシム監督の著書『日本人よ!』から、組織論としても学べる言葉などをメモしてみる。

言うまでもないことだが、サッカーは団体競技である。数多くの選手たちがプレーするには、コレクティブ(集団的)に振る舞わなくてはならない。それは最も基本的なことである。
だが、個人技に優れた一人や二人の選手が常に脚光を浴びる「スター・システム」が、昔から現在に至るまで、日本に限らず世界中で蔓延している。その「スター・システム」を支持する人たちは、集団はあくまで集団であるからこそ機能し、スタープレーヤーも集団にフィットし、逆にスタープレーヤーたちが集団によって活かされていることを忘れてしまっている。
ある選手がいなくては駄目であるかのような風潮が、サッカーという団体スポーツで頻繁に見られるが、元来、団体競技とはそういうものではないのである。

サッカーでは、常にインディビジュアルとコレクティブが織り交ざる。常にお互いが行き来するのだ。だから、そこではノンストップで自分と集団のために責任を持つことになる。

サッカーでは、全員で問題を解決しなければならない。しかし、誰のサポートも受けられない状況下で、一人で責任を背負って解決しなければならない場面もある。
そこでミスするかしないかは重要ではない。サッカーはトライとミスなしで進歩することはできないのだ。
日本人選手に責任感がないとは言えない。しかし、問題はその責任感に自分で限界を作ってしまうことだ、というのが私の印象である。

サッカーは非常に複雑である。そこで大事なのは、頭脳である。どこに、何が、どうやって、なぜ、どこが危険か、どこが危険ではないかを一瞬にして見る空間的な頭脳である。それが戦略なのだ。

すべてをポジティブに考える必要はあるのだが、それは無理な話である。だから人間はできる限り客観的になる必要があるのだ。楽観主義や悲観主義、どんな方向であれ、一つの陶酔感が支配したときは危険なものなのだ。

・・・昨日のアジアカップで、日本はオーストラリアと延長戦も含め120分を闘い抜き、最後はPK戦でようやく勝利を手にした。試合の展開にはもどかしさを感じた部分もあったとはいえ、高原の執念のゴール、川口の超人的なセーブには目を瞠った。自分は特にサッカーファンという訳ではないが、オシム・ジャパンが自分たちのサッカーを作り上げながら、アジアカップ優勝を成し遂げる場面を見てみたい。

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