« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月30日 (土)

トップアナリストも失職

今月20日に発表された、ドイツ証券の佐藤文昭・株式調査部長の退任。誰もが認めるトップアナリスト退任の背景について、昨日29日付日経金融新聞が伝えているのでメモ。

「なぜ?」。疑問を複数の関係者にぶつけていくと、2年前あたりから同社内ではセールス部隊とリサーチの関係が悪化していたという事実が浮かび上がる。「毎朝、外国人セールスから『ワッツ・ニュー・アイデア?』と聞かれる」とあるアナリスト。リポート執筆よりも、顧客投資家への電話や訪問を最優先。5年、10年先の担当業界を見通すような分厚いリポートを書く暇はなく、「今日上がる株は何か」を伝える役回りを強いられるようになっていた。佐藤氏はそうしたセールスからの「短期的な要求」の防波堤となって奮闘したが、万策尽きたというのが実情だろう。

別にドイツ証券だけの問題ではない。佐藤氏の退職は、日本の株式市場にいま横たわる「アナリスト冷遇」という構造的問題の一つの表れに過ぎないからだ。

「アナリスト冬の時代」の端緒は01年―02年あたりだろう。本国でのアナリスト不祥事を受け、米系証券を手始めに投資銀行部門とリサーチの間のファイアウオールが強化されたのだ。98年に始まった株式手数料の自由化を受けて機関投資家からの手数料率は下がるばかり。投資銀行手数料という兵たんが完全に絶たれたことで、花形職だったアナリストは一気に「食えない職業」に転落した。各社はヘッジファンドという「上顧客」への対応を重視し、短期的な運用収益につながらないアナリストの基礎的な企業調査や業界調査は切り捨てられた。

佐藤氏にはいま、同業他社のほか、投資銀行、ファンドなどから移籍の誘いが殺到。だが同氏は「アナリストだけは断っている。必要とされていない職業にはやりがいがないから」と周囲に語っているという。

・・・昨年末から今年初めに日経本紙、日経金融が「アナリスト冬の時代」について伝えていた(このブログでもメモした)が、トップアナリストも例外ではなかったことに、あらためて状況が大きく変化したことを痛感させられる。

(6~7年前のドイツ証券は凄かった。佐藤文昭アナリストがハイテクバブルの崩壊を予見し、武者陵司ストラテジストの唱えた日経平均1万円割れが現実化したのだから。その印象は今も強烈である)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

「美しい国」は後回しだ

本日付日経新聞の市況面コラム「大機小機」(国民の悲鳴と参議院選挙)からメモ。コラム氏はまず、小泉前総理の、歳出削減が限界に達すると増税の議論が出てくる、という趣旨の発言を紹介して、以下のように続ける。

わが国の現状は、もう増税の方がいいというところまで歳出削減が進んでいるのだろうか。いまだ政治家の金の使い方への不信感、談合や効果のない事業への補助金等、税金無駄遣いの例は枚挙にいとまがない。

一方で、国民の間からは、うめき声、悲鳴も出始めている。医療費の自己負担引き上げ、生活保護老齢加算や母子加算の削減への反発、小児科医・産婦人科医の不足と過酷な勤務状況の実態等、マスコミが報道する国民の声は、歳出削減が決して楽なものではないことを物語っている。

政治家の金の使い方が変わるのを待っていたのでは、悲鳴が命の問題になりかねない。わが国経済は順調に拡大しつつある。成長を通じての格差解消、財政再建は間違ってはいないが、同時に所得再分配政策が必要である。安定的な財源を確保し安心できる社会保障を確保することこそが政治家の仕事だ。「歳出削減の具体的なメニュー」と「負担増(財源)」の選択肢を国民の前に提示し、国民に問わない参議院選挙に、いったいなんの意味があるのだろうか。

・・・本当に、何の意味があるのだろう?
日本経済の復活を唱える向きもあるけれど、「美しい国」やら「憲法改正」やら、抽象的なお題目あるいはコンセンサス形成に時間がかかる大テーマに取り組む、そんな余裕は国民の多くにはまだ無いのだよ、安倍ちゃん。まあ、もう年金問題で憲法どころじゃないだろうけど、とにかく生活向上に直結する制度改革を地道に進めてくれよな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月28日 (木)

グローバル経済と「連結家計」

今週の「日経ビジネス」(6/25号)の特集は「崖っぷち親子会計」。その中の記事「あなたも連結予備軍」からメモ。

団塊親子の連結はかつての「積極消費型」から、貧しい者同士が身を寄せ合って固定費の削減などに努める「生活防衛型」に姿を変えている。

家計がもたれ合うように連結に向かうのは、①景気が回復しても賃金が増えないのと同時に、②政府が十分な富の再配分を行えなくなっているためだ。この2つの理由の裏側には、国の枠組みが揺らぎ、「世界がいよいよ『新しい中世』の時代に入りつつある」(三菱UFJ証券の水野和夫チーフエコノミスト)ことがある。

世界中の国や企業が複雑に関係し合った相互依存の世界が「新しい中世」だ。国民国家と呼ばれる従来型の国の力が相対的に弱まり、国籍に縛られないグローバル企業の存在感が大きくなっている。
グローバル企業は利益のほとんどを海外で稼ぐため、過去最高益を達成しても、国内部門の従業員の賃金を上げようとは考えない。一方、雇用の大半を占めるドメスティック企業は、海外市場の成長の波に乗れず、低成長を続けている。

国が揺らぎ、中国やインドの勤労者との競争にさらされるようになったことで、先進国の中流層が苦境に立たされている。賃金が上がらないだけではない。グローバル企業に見捨てられた国が年金や医療、教育、治安などの必要なサービスを提供する力を失い、家計がそれらを自前で調達せざるを得なくなっている。

こうした世界の構造変化が連結家計の広がりとその質的変化の背景にあるならば、時計の針を逆に戻すことは難しい。家計は好むと好まざるとにかかわらず、脆弱さを補うために寄り添い、連結する方向に進んでいくことになる。

・・・家計の変容の背後にグローバル経済あり。景気拡大の持続に伴いデフレ脱却が云々されてはいるが、世の中の生活者の大半は、余計なコストは極力抑える、デフレ的生活態度を基本的に継続するほかないような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

ウォーキングの旅(三河一宮、掛川)

この土日は、「JR東海さわやかウォーキング」に参加する一泊旅行に出かけた。

23日(土) 天気:曇
P1020078 まず「砥鹿神社と山本勘助ゆかりの地めぐり」に参加するため、豊橋駅に停車する「ひかり」に乗って朝9時に豊橋着。飯田線に乗り換えて20分程でスタート地点の三河一宮に着く。例によって中高年の大群が押し寄せて、小さな駅のホームには人が溢れて歩くのもままならない。砥鹿神社~賀茂神社~本願寺(山本家の菩提寺)~山本勘助生誕碑(写真)~玉林寺~三明寺を経てゴールの豊川駅に至る約11.8kmのコースを、3時間10分かけて歩いた。
午後はそのまま豊橋から掛川へ行き、当地で宿泊。

24日(日) 天気:曇のち雨
P1020087 「千代と一豊ゆかりの城下町ウォーキング」、このコースを歩くのは2回目。朝8時40分頃、掛川駅南口を出発。コース距離は約12km、キリシタン燈篭~資生堂アートハウス~十九首塚(平将門)~龍尾神社を経て2時間余りで掛川城に到達。ここで昨年は、特設会場でNHK大河ドラマ「功名が辻」関連の展示を行っていたが、今年も(しつこく?)「功名が辻」プラス「風林火山」関連の展示を行う「戦国の館・掛川」を開館しており、いちおう見学。展示を見ながら、武田と徳川の攻防が繰り広げられた高天神城を、次に訪れる目的にしようかと、城跡ファンになりつつあるワタシは思うのだった。木造再建が売りの天守閣は昨年一度上ったのでもう十分、むしろ国の重要文化財である御殿の方が何度も見るべき建物だろうと再訪する(写真は御殿の内部)。高い天井、畳と襖、板の間、日本建築のベーシックな感じを確認する思い。見学と食事などでお城周辺に1時間半ほどたむろしてから、駅へ向かう。10分程でゴールの掛川駅北口に到着。13時5分の「こだま」に乗って帰京した。

ところで、山本勘助誕生地の碑は、静岡県富士宮市にもあるそうだ。どっちやねん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

『近江から日本史を読み直す』

名古屋生活の間に城跡巡りなどをしながら、近江は戦国期の重要地域であることを実感した自分にとって、『近江から日本史を読み直す』(今谷明・著、講談社現代新書)は、とりあえず「書名買い」の本でしょう、という感じ。

古代の継体天皇から始まり、近世の井伊直弼まで、本書を通読すれば近江関連の人物や出来事が、日本の歴史にいかに重要な影響を与えたかが理解できる。なかでも平安時代に最澄が開いた比叡山延暦寺から発する日本仏教の展開は、後々の世まで伝わるこの国の「こころ」を作り出したとも言えるだろう。延暦寺で修行に励んだ法然、栄西、親鸞、道元、日蓮は、いわゆる鎌倉新仏教の開祖になるのだから(・・・叡山は日本仏教「虎の穴」だな)。

そして近江を舞台にした戦国大名の攻防。
街道がいくつも走り、琵琶湖の水運も利用できる近江は、まさしく「交通」の場所である。もとより経済的に豊かな地域である近江は、京都への物資の供給基盤にもなっていただけに、天皇や将軍の力が凋落して京都が荒れ果てた戦国時代においては、近江を支配していたもの、支配しようとするものが歴史の表舞台に立つことになったのも当然と思える。六角氏の観音寺城、浅井氏の小谷城、織田信長の安土城、石田三成の佐和山城という、戦国ファンにはおなじみの、山城の世界では超メジャーな城(著者も「最近は山城がブームだそうである」と記していたりする)が近江には集中しているが、まさに近江を制するものは天下を制する、という状況が出現したこの時期は、日本史の中でも近江の重要性がとりわけ高まった時代だと思われる。

本書の内容は、もともとは新聞連載記事だったものを「通史」の形に整えたということでもあり、全体的な記述の構成が、近江で起きた日本史の出来事を並べてみたという感じになっているのは、少々不満を感じる。新書という形にまとめるのであれば、簡単でいいから総論的なものを書き足して欲しかったと思う。

(で、サイト「講談社BOOK倶楽部」を見たら小冊子「本」6月号の内容として、著者のエッセイあり。これが日本史における近江の位置付け、その果たした役割の簡潔なまとめになっていた。こんな感じの文章が、本書にも収められていたら良かったのにね)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

「3びきのくま」展

えっ、「3びきのくま」展って今やってるのか。
ネットで発見した時は驚いた。なぜ驚いたかっていうのを順番に書くと、まず「ゴルディロックス」経済という言葉の意味(理想的な経済状態)を知った時に、その言葉が「(ゴルディロックスと)3匹の熊」という民話に由来することも知り、それなら自分も小さい頃絵本で読んだ話だな、と思い出しながら少しネットで調べていたら、その絵本(トルストイ作、バスネツォフ絵、福音館書店)について、あのジブリ美術館が企画展示を行うという話を見たもんだから驚いた、のであった。
先月から始まった企画展は一年間、来年5月まで行われる予定だ。

ということで昨日行って参りました、三鷹の森ジブリ美術館。ここって入館日時が予約制なので、土日に行く場合、かなり前に入場券を買わないといけない。正直ジブリにはあんまり興味が無いので、ここに入ってみるなんてことは夢にも思わなかった。中年男が一人で来るような場所でも無いし。(苦笑)

自分の入場時間は午後4時。閉館が午後6時なので、一日のうち最終回の入場。それでも家族連れや若いカップルなどで結構賑わっている。差し当たり自分はジブリ関係の常設展示は流して、企画展の「3びきのくま」をじっくり見た。まあじっくりと言うほど展示物が多い訳ではなかったが。

メインは熊の家である丸太小屋内部の再現。部屋には大きなテーブルとイスが置かれ、テーブルの上には熊一家のそれぞれの食器。大きいの、中くらいの、小さいの、というやつだ。それから熊たちのでっかいヌイグルミも置いてある。後はストーリーと解説などの展示。

口承民話「3匹の熊」は最初にイギリスで作品化された後、いくつか文章化された物語が作られていて、会場には別バージョンの絵本も数点展示されていたが、熊の絵はリアルすぎたりマンガチックすぎたりという具合で、やはりバスネツォフの熊の絵の印象が際立って強い。展示の解説にも、バスネツォフの絵は、大きくて怖い熊、暗くて深い森、ロシア人の生活様式を映した熊の家を描くことなどにより、トルストイのお話に現実感をもたらしている、とある。以下はバスネツォフについての展示紹介文。

ユーリー・バスネツォフ
(1900~1973)
ロシア中東部ヴャートカ市(現キーロフ市)生まれ

ロシアの口承文芸をもとにした動物絵本や昔話絵本の挿絵を数多く手がけた画家。
バスネツォフの描く絵には、物の質感と色の質感、となりあう色同士が放つ力強い調和が感じられ、新鮮な驚きを覚えます。これは、生まれ故郷の民芸品ヴャートカ人形の素朴で楽しげな色彩に心躍らせた子供時代の感覚を大人になっても失わずに持ち続け、その美しさに魅せられた時の気持ちを挿絵の世界に描いているからなのでしょう。
文化
の西欧化や近代化の影響を受けずに、伝統的な民衆芸術を、独自の作風に作り上げたことは彼の大きな特徴といえます。

P1020058_1 やはり絵本は絵の力が大きい。当たり前っちゃ当たり前だが。ていうかバスネツォフの絵は、絵本の挿絵というレベルを大きく超えて、アートの香りすら漂うわけで。とりあえずポストカードを数枚買って帰りました。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 9日 (土)

懐かしのスキゾ・キッズ

〈ポストモダン〉とは何だったのか』(本上まもる・著、PHP新書)の著者は1970年生まれ。80年代のポストモダン・ブームをリアルタイムでは受け止めていないと思われる。そういう若い人がポストモダンをどう論じているのかと思って読んでみたら、全体的に割りとオーソドックスな構えだったので、少々物足りない感じがした。

著者は、80年代前半に『構造と力』が10万部以上も売れた理由はよくわからない、としながらも、時代の空気は知的なものとポップなものの融合を目指していた、と記す。
自分の記憶では、浅田彰にははっきりしたスタイルがあったと思う。思想という難解で重くて深刻なものを、スピードと強度を備えた軽やかな文体により明快なチャートとして提示してみせたこと。それが時代の空気を表していたのかどうかは別にしても、読者の範囲を大きく広げるパワーになったのだと思われる。
浅田に比べると、東浩紀はテクニカルな作家という印象で(著者は絶賛しているが)、その影響力は広がりには欠けていたと思う(一般人が、デリダやラカンをより深く理解してどうする?)。今の東がオタク文化評論家みたいになっているのも、もともと限定的な場所で才能を発揮するタイプなんだろうな、という感じ。

とりあえず本書の結論部分をみると、ポストモダンの高度大衆情報化資本主義社会における4つの人格類型が提示されている。スキゾフレニー、パラノイア、ニューロティック、動物である。哲学的形象で言えばスキゾはニーチェ的超人、パラノはヘーゲル的主人、ニューロはハイデガー的世人、動物はニーチェ的末人に当たる。これらのうち最も対立的に示される「スキゾ」と「動物」についてメモしてみる。

「動物」とは、情報テクノロジーに囲い込まれたなかで、ただそのときの欲求にしたがって、「ヤりたいときにヤる」だけの人格類型のことである。
「動物」は「超越」や「崇高」、「不可能なもの」等について考えることはなく、そもそも世界観としての体系的表象を立てることができない。表象を立てないということは理念がないということであり、理念がないということはもはや人間ではないということに等しい。その場その場
での刺激に対して、そのつど反応しているだけだ。

「スキゾ」は超越への志向を持ちながら、もはや全体性を表象しえないことを承知している。超越的なものは実体としては存在しないが、体系的世界観の構築自体を放棄するわけではない。体系は築かれるが、ただちに破壊される。スキゾの世界観はこうしたダイナミックな破壊と創造のプロセスとしてある。構造としてきわめて不安定であるが、変化には対応しやすい。
「スキゾ」とは絶えざる解体と統合のプロセスを生きることだ。両義性あるいは分裂情況そのものを生きること。自己同一性を解体しつつ、変化していくことだ。

「ポストモダン思想はスキゾの革命思想であったのに、動物の現状肯定になってしまった」と現状を憂える著者は、「西洋哲学史の総体を引き受けたうえで、批判的に乗り越え、近代の理念の徹底のうちに近代の限界を乗り越えようとする」ポストモダン思想の地平を再度確認しなければならない、と訴える。

ポストモダンはただのブームだったのか、あるいはそれは速やかに社会の中に織り込まれた(価値相対主義として?)ということなのか。いつのまにか世の中は、「近代の限界を乗り越える」作業無しに、グダグダに「ポストモダン」化していて、上記のポストモダン思想の地平そのものが無用になってしまったのかも知れないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

バブルの遠い約束

P1020037 東京駅大丸デパート屋上のビアガーデンは、今年の夏が最後。この秋には、八重洲口に新しく建てられたツインタワービルの一つにデパートが移り、現在店舗が入っているビルは取り壊される予定。
ということで、デパート屋上に上り、丸の内方面を記念撮影してみた。左が丸の内ビル、中央が新丸の内ビルだ。

時は1980年代終わり、いわゆるバブルの頃。「丸の内マンハッタン」計画という話があった。東京の国際都市化に伴いオフィスが足りなくなるということで、丸の内を再開発して高層ビルで埋め尽くそうとするものだった。
しかしバブルはあえなく弾け、そんな話はどこかへ消えたかと思われた。
ところが21世紀に入り、幻の計画が忽然と復活したかのように、丸の内はプチ・マンハッタンとも言えるような景観になっている。

最近、豊洲に行ってみたのだが、こちらも風景は一変していた。
かつての工場地帯は、いまやタワーマンションが建ち並び、大型商業施設にたくさんの人が集まる街に変貌していた。人口も急増し、学校が次々新設されているという。
やはりバブルの頃。東京湾岸の再開発構想、いわゆる「ウォーターフロント」開発という話があった。東京湾岸に土地を持つ鉄鋼、造船、電力などの株価が大きく上昇し、バブル相場の中心になった。しかし再開発そのものは長らく本格化することはなかった。
ところがそのウォーターフロントにもまた、忽然と新しい都市が出現したのである。

バブルの約束が、20年の時を経てようやく実現したという感じがする。
何とも妙な感慨がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

ウォーキングin薮原~木曽平沢

「JR東海さわやかウォーキング」の中で、春の妻籠宿、夏の奈良井宿、秋の馬籠宿の宿場町コースは定番になっており、東京からだって行く価値のあるコースではないかと、ワタシは評価する。という訳で、わざわざ東京から一泊旅行という感じで、昨日行って参りました、「鳥居峠越えと奈良井宿場祭・木曽漆器祭」コース。前日金曜日の夜、8時丁度の~スーパーあずさ33号で~(字余りすぎ)塩尻まで行き当地で宿泊。

P1020029 翌朝、午前8時10分塩尻発の電車に乗る。列車の本数がめっちゃ少ないので、時間厳守のスケジュール。8時40分過ぎに薮原到着、ウォーキングスタート。このコースは最初、鳥居峠に上る道、御嶽遙拝所までの上りが結構つらいが、そこを過ぎた後は比較的平坦な道が続く。峠を下りた所にある奈良井宿では太鼓演奏を見る。小さい子が頑張ってやってました(写真)。さらにその先の木曽平沢で漆器祭りを眺めながら、ゴールの木曽平沢駅に到着。約10kmのコースを何とか予定通り3時間で歩いて、午前11時51分発の松本行き列車に乗る。塩尻まで戻った後は、12時25分発のあずさ18号に乗って帰京した。

中年単独者は(幸か不幸か)、おカネとヒマはそこそこあるので、あとは根性出せた場合、これからも時々は名古屋地区開催の「さわやかウォーキング」にも出没しようかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

男の薬指の謎

「ギターを弾く男の人の指を見るのが好き」という女性の御意見を、何度か目にしたことがある。ちょっと意外な視点だったので、頭の中に残っていたら、今夜10時のNHK「解体新ショー」は「なぜ女性は男の指に魅せられるのか」。ついつい見ることに。

初めて見る番組なんだけど、冒頭のテーマ音楽が金井克子「他人の関係」だったので、古い曲だな~(ということを知ってるワタシも古い人間)と思ってしまった。毎週コレなのかい?それとも今日は手がテーマ(金井の振り付けが印象的な歌)だから?

さて男の手の話。まず街頭アンケートで、女性が注目する男のパーツは第1位が顔、そして第2位が手であるという調査結果が示される。次に指摘されるのは、男の薬指は人差し指より長いのに、女の薬指と人差し指は同じ長さという事実。そんなこと言われるまで意識したことなかった。これは驚き。では男の長い薬指が何を意味しているかというと、それは男性ホルモンの多いこと、男性の身体能力を示しているという。イギリスの学者が調査研究を行い、サッカー選手の薬指が一般人男性の薬指よりもさらに長いことが確かめられたうえで、上記のような学説を発表したとのこと。

つまり女性は男の手指を見て、男性の能力が高いかどうかを検証しているらしい。それは無意識の行為である、とか言われるんだけど、スタジオに来ていた一般の方々(女性が多い感じ)は全員納得していたのだった。

無意識って説明もちょっとどうかと思うんだけど、やっぱり生物学的プログラムということなのかなと思う。男が若い女を、女が背の高い男を求めるのも、すべては良い子孫を残すためのプログラムであると。男の手指もまた、女性が良い子孫を残すために異性を判断する一つの手がかりなのかなと。

ギターを弾く指を見るのが好きだという女性も、やはりそこに男性能力の高さを感じているのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »