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2007年5月31日 (木)

グラハム・ボネット参上!

グラハム・ボネットがアルカトラス名義で来日、ジョー・リン・ターナーとジョイント・ライブということで、本日東京公演2日目のステージを観た。場所は渋谷O-EAST。初めて行ったけど、渋谷のホテル街という変な場所にあるライブハウス。スタートの夜7時直前に会場に入ると、それ程大きくもないハコは既に人がぎっしり入っていた。

P1020034_1 自分がアルカトラスを見たのは1984年10月。随分昔だね。場所は新宿・厚生年金会館。バンドはギタリストにスティーブ・ヴァイを加入させていた(写真は当時の公演パンフより)。青いスーツ姿のグラハムは、ライブの進行と共に上着やシャツを脱いで「ストリップ」、上半身裸で熱唱。ジェイムス・ディーーーン!とか歌ってたけど、やはりハードロックらしい曲は、イングヴェイ・マルムスティーン在籍時のアルバムに集中しているという感じ。

さて第1部はアルカトラス。定刻の7時過ぎにステージに登場したグラハムは、トレードマークのサングラスをかけて服装は上下とも白、開襟半袖シャツのラフな出で立ち。オールバックの髪の毛ぺったんこで、横山やすしというよりは、タモリになってしまったと思った。アイズオブザワールドでスタートしたライブの演奏曲目は、トゥヤングトゥダイ・トゥドランクトゥリブ、ジェットトゥジェット、ナイトゲームス、アイランドインザサン、オールナイトロング、シンスユービーンゴー、ロストインハリウッドなど。中盤に、このバンドの曲の中で一番好きなクリーナクリーとヒロシマモナモールを、メドレー風にやってくれたので、もう充分という気持ちになってしまった。往年のシャウトは健在。背筋をピンと張って、鳥が首を絞められたような姿(声じゃありませんよ)でシャウトするのが、凄いんだけれども、妙に可笑しいというか、笑いを誘うんだよねえ。

1時間20分程でアルカトラスのステージが終了。15分程のインターバルを経て、第2部のジョー・リン・ターナーがスタート。演奏したレインボーの曲は、デスアリードライバー、アイサレンダー、ストリートオブドリームス、パワー、キャントハプンヒア、スポットライトキッドなど。最後はロングリブロックンロール。こちらも1時間20分程のステージだった。

グラハムとジョーリン、どっち目当ての人が多かったんだろうか。印象としては、ジョーのレインボーソングに対する反応が良かったような気がするけど。グラハムさん、アルカトラスを名乗るなら、キーボードプレーヤーを入れてくんなきゃ。まあバンドの再結成というよりは、復活プロジェクトみたいな感じがするし、ジョー率いる梶山章以下日本人ミュージシャンを、そのまま借りても良かったかもね。

まあこれで7000円なら(ドリンク代別)お得かな。でも3時間立ちっぱなしだけど。(疲)

自分はこの春名古屋から東京に移ったので良いけど、名古屋公演が無いのは解せない(札幌はあるのに)。ジョーリンは好物の手羽先を食べに行かないのか。(あの手羽先屋さんは東京にもあるとはいえ)

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2007年5月30日 (水)

関ヶ原と「明智光秀」

あまり因縁話の類は自分の趣味ではないけれど、関ヶ原合戦に「明智光秀」の力が働いていたのかも、という話が『関ヶ原 誰が大合戦を仕掛けたか』(武光誠・著、PHP新書)に書かれている。

関ヶ原合戦の当日、家康の本営の家康のすぐ前に南光坊天海という僧侶が控えていた。この天海は、家康の相談役をつとめた怪僧として知られる。じつは、天海は明智光秀だという俗説がある。

関ヶ原の戦場には、光秀と深い関わりをもつ二人の人物がいた。小早川秀秋の家老、稲葉正成まさなりと、3万3000石の大名、脇坂安治わきざかやすはるである。

光秀の妹の子(甥)に、斎藤利三としみつという猛将がいる。この利三は、光秀の家老をつとめ山崎の戦いで奮戦したあと、秀吉に処刑されている。
斎藤利三の娘が、のちに春日局になるお福で、お福の夫が稲葉正成だ。天海は、このお福を通じて稲葉正成を動かし、小早川秀秋を裏切らせようとしたらしい。正成はこのとき小早川家の筆頭家老で、主君にかわって家中を動かし得る立場にあった。

脇坂安治は、近江国の浅井郡小谷の出で浪人であったところを光秀に見込まれて光秀の近臣になった人物である。さらに脇坂についで西軍を裏切った朽木元綱と小川祐忠も、光秀の元部下だった。

稲葉正成と脇坂安治が、光秀に心を寄せていたことは確かである。天海が光秀でなかったとしても、光秀に思い入れのあるかれらが豊臣政権がまさに倒れようとするときに、光秀の仇討ちとして反豊臣の動きをとることは十分あり得る。

うーん、因果は巡る風車?・・・ここに、西軍の人質となることを拒んで命を捨てた細川ガラシャ(光秀の娘)も加えると、死せる明智光秀の「影響力」が、東軍有利の流れを作るのにかなり寄与したように思えてくる。さすがに天海が光秀その人というのは信じ難いけど、あるいは光秀と関係の深い人物だったのかも知れない。

「光秀のチカラ」はともかく、同書が示すように、「反石田三成」で東軍は一致団結していたのに対し、西軍は思惑がバラバラだった。『敗者から見た関ヶ原合戦』(三池純正・著、洋泉社新書y)によれば、三成は用意周到な計画を立てて挙兵し、十分な勝算をもって関ヶ原で東軍を迎え撃ったとされるが、結局は西軍の武将たちの心を束ねることができなかったために、練り上げられた戦略も有効に機能しなかったものと思われる。

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2007年5月26日 (土)

ウォーキングin上野~浅草

名古屋生活ではJR東海さわやかウォーキングを愛用していたのだが、3年半ぶりに東京に戻ってきたら、東京メトロ(地下鉄)でも沿線ウォーキングなるイベントを開催していた。ということで本日は、第14回東京メトロ沿線ウォーキング「浅草・墨堤・入谷界隈を歩く」に参加。予約不要、上野駅で朝9時から10時30分までに受付を済ませて浅草方面をウォーキング、午後2時までをメドに上野駅に戻るというスケジュールである。個人的には子供の頃、浅草は生活エリアの一部でもあった場所で、この機会に昔を少し思い出すかという気持ち。

上野駅を朝9時15分に出発。参加者多数。ウォーキングイベントなので、基本的にはやはり中高年の大群ですが、「JR東海」よりは「中年」の比率が高いようです。かっぱ橋道具街、雷門、吾妻橋、墨田区役所、隅田公園、桜橋、言問通り、入谷鬼子母神、上野公園を経て再び上野駅に戻る、距離約9kmのコースを3時間余りでゴールしました。参加賞は小鉢をくれる。コースの要所要所には警備会社の人が配置されていたし、結構イベント費用をかけてるような感じ。

P1010891 吾妻橋からの眺め(写真)は、自分の原風景である。原風景というやつは自分が当時を覚えているというよりは、事後的に自分で「認定」するものらしいが、子供の頃、母の手にひかれて橋の上を散歩しながら、橋の北側にある鉄橋を走る東武電車を飽きずに眺めていた、というのが自分のストーリー。
橋の台東区側には水上バスの駅。昭和40年代の頃、隅田川が汚れていて、水上バスもいつ潰れるかと言われていたが、川の水質が改善されると共に息を吹き返し、今では「ウォーターフロント」観光の足にもなっている。橋の墨田区側にはかつてアサヒビールの工場があった。小学生の頃、朝夕は工場横の通学路を往復した。夜には工場の大きなネオンサイン(海と太陽のデザイン)が川に光を投げかけていた。それが今は周知の如くアサヒの本社、墨田区役所、住都公団(いまURだっけ)の高層住宅が建つ。
吾妻橋そのものもかなり変わった。今は赤い橋だが、昔は色褪せた水色で、所々ペンキが剥げかけていた。橋の歩道も昔は狭かったのが、広げられている。
こんな原風景を持つ自分は、都会には大きな川があってほしいと思う。そういう観点からは大阪、博多はマル、名古屋はバツ。

浅草に関する記憶。
田原町にある三善堂という仏壇屋さん。地下鉄の駅にもある広告に記された「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」という言葉は、子供心にも印象的だった。
レコード店のヨーロー堂で「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)を買った。自分が求めて買ってもらった初めてのレコード。
ナカヤマというプラモデル店によく通ったが、今はない。店の若き主人だった中山よしかつさんは、いま政治家になっている。

プチ・センチメンタル・ジャーニー?・・・しかしもう本当に昔のことなので、懐かしいというより、「いっさいはすぎていきます」てな感じかなあ。

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2007年5月21日 (月)

武者陵司VS水野和夫

おお、これはちょっとコーフンする組み合わせ。
今週の「週刊エコノミスト」(5/29号)掲載の「激突対談」(「グローバル化」の意味を問う)で語るのは、武者陵司と水野和夫。いうまでもなく『新帝国主義論』、そして『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』の著者であります。ちょこちょことメモ。

武者:私は、世界を「中枢」「辺境」「未開」に分けて認識していますが、1人当たりの年間の国民所得が4万~5万ドルと非常に高い日米欧の「中枢」が、同数千ドル程度の中国、インドなどの「辺境」が提供する安価な労働力を使い生産活動を行っている。この極端な労働賃金の格差によって、「中枢」に「辺境」の富が吸い上げられるグローバルな構造が今後も続き、世界経済は繁栄を続けると考えます。
水野:各国ごとに固有の経済の仕組みが存在する「国民国家」のレジームが解体され、全世界が資本主義というレジームの下で一つの「帝国」になったという共通認識が、私たちにあると思います。
ただ私は、グローバリゼーションというものを、武者さんとは少し違う捉え方をしていると思います。グローバリゼーションとは、国民国家が解体する過程のことを言い、それによってますます市場の統一化が進むのでしょうが、それから取り残されたところほど、国民としての意識の一体感がなくなっていき、経済にとってもマイナスに働くのではないか。今後は、成長だけでは解決できない問題が増えていくでしょう。

武者:米国経済は持続可能だと思います。米国は今後も景気は拡大し、強いドルは維持されるでしょう。なぜ、ドルの購買力とドル資本の収益性がかくも強いのでしょうか。それは、ドルの過剰供給が、単なる米国一国内の通貨発行の役割にとどまらず、グローバルな成長通貨として機能しているからです。
水野:私はドルは持続可能とは考えていません。06年の米国の所得収支が戦後初めてマイナスになりました。これにより今後、米国のGDP(国内総生産)成長に対し、所得収支のマイナス分が足を引っ張ることになります。
武者:しかし、今の所得収支の赤字は大した額ではありません。現在のドル体制や世界経済の繁栄は、いずれ、たとえば20~30年後に終わるのは確かでしょう。しかし今後10年間の短期で考えると、そのようなリスクが顕在化する余地はかなり小さいと思います。

武者:日本は現在の世界経済の繁栄の「受益者側」です。日本経済も中国から非常に安く物を買っている超過利潤の恩恵を、米国同様に享受しています。
日本の製造業は「オンリーワン」の技術力を持ち、さまざまな最先端分野で日本の製品がなければできないものが多数あります。日本からしか買えないから、商品は、円高になっても外国は高い値段で買わざるを得ない。
一方日本は、中国やインド、韓国、台湾から価格競争をしている商品を安く買い叩けるわけです。つまり製造業の強さは、日本の交易条件を非常に有利にするのです。
水野:儲かっている輸出型産業は国内にお金を落とさず、日本国内の非製造業はより低迷していくと思います。日本全体としては、非製造業の下に引っ張る力の方が大きいと思います。
武者:今の局面では、資産デフレの後遺症があることや、企業の賃上げがスローなことで消費に結びついていないことなど、多くの障害があります。日本経済では今後、内需の拡大によってリスクを取る動きが目立ち始め、投資や消費環境に大きなプラスの変化が起こると思います。

強気な武者さんに対して水野さんは慎重。予想通りの展開ではありましたが、今後の現実の推移はいかに。

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2007年5月19日 (土)

『新帝国主義論』

メインシステムである世界経済を、サブシステムである各国経済が支えるグローバル経済の現実は、一国経済分析を前提とする経済学では把握できないのではないか。そのような認識に立脚しつつ、現在の世界経済の繁栄は、アメリカを中心とした資金循環と、中国・インドの大量かつ安価な労働力の結合の賜物であると分析、いまや「地球帝国」と呼ぶことも可能なシステムが成立している、という仮説を提示するのが『新帝国主義論』(武者陵司・著)である。以下に要点をメモ。

まず「地球帝国」経済の繁栄を可能にした二つの基本特質について。

第一の基本特質とは、「地球帝国」の辺境、つまり中国やインドにおける生産性の飛躍的上昇、第二の特質とは先進国の多国籍企業で恒常的に発生している労働力の不等価交換に基づく膨大な超過利潤、チープレーバー・ギフト、経済学の用語では差額地代の存在である。

先進国の多国籍企業は、著しい労働コストの引き下げの恩恵に浴している。先進国と中国・インドなどの巨大新興国との間で10倍、20倍という著しい労働賃金の格差が存在し、その格差が差額地代・超過利潤となって先進国の多国籍企業の所得を支えている。そして多国籍企業で生成する巨額の超過利潤を起点とした所得分配、資本形成という再生産のメカニズムが世界経済の推進力になっている。

このメカニズムを担保する資金循環、それは「地球帝国」循環と呼ばれる。

「地球帝国」循環とは、アメリカ多国籍企業を媒介とするアメリカへの所得集中→アメリカの輸入増加→海外諸国での生産増・経常黒字増→アメリカへの資金還流→アメリカ多国籍企業の海外投資促進とアメリカ人の旺盛な消費→アメリカ輸入増、という循環である。「地球帝国」循環は、アメリカが「地球帝国」の中枢に位置して、集積した富を世界に還流・散布するメカニズムと言っていいだろう。「地球帝国」循環により、ドルは経済実態のある金融力と政治軍事ヘゲモニーに裏打ちされた完全なる本位通貨となった。

(完全なるドル本位制の下で)アメリカの債務拡大は、グローバルな成長通貨供給として機能し、特に中国・インドなどに存在する未活用の労働予備軍(超低賃金労働力)を稼動させることで著しい成長と生産性上昇をもたらした。

今後、「地球帝国」繁栄の持続力を左右するのは、やはり中国である。

最大のリスクは「地球帝国」繁栄の二つの論理的鍵である辺境(フロンティア)での生産性革命と、先進国における差額地代(超過利潤)が断たれることであろう。辺境喪失は、最終的には先進国と途上国(超低賃金労働力提供国)間の交易条件の劇的変化、中国の場合には何倍というような人民元の大幅な切り上げとなって現れるであろう。
中国は「地球帝国」最大のフロンティアであり、繁栄のエンジンである。中国がフロンティアであることをやめれば、世界経済は直ちに暗転する。

・・・地球上にフロンティアがある限り、資本主義の運動は続くことになる。著者は、「極めてダイナミックな運動体」である「地球帝国」分析ツールとしては、マルクス経済学やウェーバー社会学が有効であることを示唆するが、「存在するものはすべて合理的である」、「異なる矛盾体が止揚され、統一物に転化するという、弁証法的発展の中で流転する現実を把握する必要があるのではないか」、「『地球帝国』は、誰かの意思によって目論まれたものでも、アメリカの戦略によってもたらされたものでもない。神の論理の自己実現と考えるのが妥当である」、などの言葉を目にすると、思考の基本的枠組みはヘーゲルみたいな感じがする。ただし、その中心にあるのはヘーゲルにおける理性ではなく、「資本のあくなき増殖衝動」なのではあるが。

(書名について。グローバル秩序を「帝国」と呼ぶ流れを意識してると思うけど、いくら「新」を付けても帝国「主義」ではミスリードの恐れ。「地球帝国論」の方が良かった?)

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2007年5月18日 (金)

ゴルディロックス

最近、「ゴルディロックス」経済という言葉をしばしば目にする。何というのかインフレでもない不況でもない、とにかく理想的な経済状態の意味らしいということで、何か変な言葉だなーと思いつつも、とりあえず言葉そのものの由来を調べることもなかったのだけど、たまたま『新帝国主義論』(武者陵司・著)の中に注釈の形で説明されているのが目に付いた。大体こんな感じ。

ゴルディロックスとは、英語の童話に出てくる少女の名前。3匹の熊の留守宅に迷い込んだ少女は、お父さん熊のスープは「熱すぎる」、お母さん熊のスープは「冷たすぎる」、子供の熊のスープは「丁度良い」(just right)と言って、子供の熊のスープを全部飲んでしまう。ここからゴルディロックスとは、ほどほど適度の経済状態を表す慣用句となった。

Photo_4 てなことで、こう言われると、ああ、あったなあそんな話。でも女の子の名前ってそんなんだったっけ?(日本語の語感としては、えらいごっつい名前の女の子やな~)と思ったので、もう少し調べてみると、英語圏では「ゴルディロックスと3匹のくま」、日本ではおおむね「3匹のくま」と題されている童話で、欧米ではよく知られているお話らしい(だから「ゴルディロックス」経済と言えば、「just right」な経済のことだなと、欧米では何となく通じるんだろうけど)。で、もともとは民話だったものをベースに各国バージョンがいくつかあるみたいで、たとえばトルストイによる作品化(この絵本、ワタシも小さい頃読みました。絵もロシア風でてっきりロシアのお話かと思ってた)では、女の子には名前が無い。なるほど話は知っていても、ゴルディロックスなる名前は知らない訳だ。さらにゴルディロックスとは固有名詞ではなくて、「金髪ちゃん」という感じの呼び名らしい。ということは、「ゴルディロックス経済」も直訳すると、「金髪ちゃん経済」になるのだろうか。(脱力)

(それにしても、小さい頃に読んだ絵本の印象というのは、後々まで残るものだな~)

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2007年5月13日 (日)

メガデス、新作&ライブ盤登場

4月下旬にメガデスのライブDVD「ザット・ワン・ナイト」、そして5月に入り新アルバム「ユナイテッド・アボミネイションズ」が出た。

「ザット・ワン・ナイト」は、2005年10月9日のアルゼンチンはブエノスアイレスでのショーを収めたDVD。当時、ツアー終了後はソロ活動を予定していたデイブ・ムステインが、当日のライブでメガデス名義での活動継続を決心したという。確かに観客の熱狂振りが凄い。2万5,000人という、大観衆というか群衆に近いというのか、広大な会場を埋め尽くした人々がメガデスの音楽に合わせて歌い、飛び跳ね、腕を振り上げ、喚声を上げ続ける様は圧倒的で、時にサッカーの熱狂的なサポーターを思い起こさせる。これだけ大量の熱狂的なファンを前にしたら、誰だってバンド活動を続ける決心をするよな。

新作「ユナイテッド・アボミネイションズ」は、全体的に割りとすーっと流れていくような感じ(もっと八方破れな曲展開を希望)で、印象に残るのが旧作のア・トゥー・ル・モンドのリメイクと、ボーナス・トラックのレッド・ツェッペリン曲のカバー(アウト・オン・ザ・タイルズ。曲の終わりにモービィ・ディックとカシミールのフレーズが重ねられるのがちょっと嬉しい)だったりするのも、ちとどうかという気はするが、自分としては作品の出来うんぬんよりも、ムステインが活動していてくれればそれで良いのだ。

自分がメガデスを聴くようになったのはごく最近のこと、旧作のリマスター盤が出てから、つまり一度解散した後のファンです。何しろ基本的にアメリカのバンドは趣味じゃなかったので、リアルタイムではまるで聴いてなかった。しかしたまたまムステイン復帰後のインタビュー(Burrn!誌)を読んで関心を持ち、復活後の来日公演は3回(05年ツアー、06年ラウドパークそして名古屋単独)足を運んだのであった。

自分はメガデスの歴史を実感していないので、過去のアルバムでどれが良くてどれがダメかとか、あの時のメンバーが最高だったとか、そういうことはどうでもよい。いまやムステイン=メガデスであることは明々白々だし、個々の作品の中からカッコイイ曲をステージで演奏するバンドの姿を見に行くことができれば、それでもう充分だ。

新アルバムに再収録されたア・トゥー・ル・モンドは、「ジャイガンツアー」CDでも選曲されていたし、もちろんライブDVDでも聴ける。「別れを告げる」歌であるこの曲へのこだわりは、ムステインがロック・ミュージシャンとしての「晩年」を意識していることを示しているのかも知れないが、もしそうだとしても、その「晩年」が長く続くことを願いたい。

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2007年5月12日 (土)

ウォーキングin興津~由比

東京駅にも、「JR東海さわやかウォーキング」のポスターが貼ってある。ただし「新幹線で行く」という文言が追加され、「静岡地区」開催が明示されている。そりゃそうだね。さすがに名古屋地区開催イベントまでは、東京から行くのは難しいもんね。で、別に宣伝に乗せられた訳ではないのだが、本日の静岡地区開催、興津(おきつ)~由比(ゆい)のウォーキングに参加してみた。

P1010867 天気は好い。少し暑いくらい。まず新幹線(往路は「ぷらっとこだま」使用)で静岡まで行き、そこから在来線に乗り換えて戻る格好で興津まで来る。午前10時前に駅をスタート、清見寺(せいけんじ)~坐漁荘(西園寺公望の別荘)~薩埵峠(さったとうげ)を経て由比駅にゴールした時は午後1時を回っていた。約10kmのコースを歩くのに、途中見学も含めて3時間20分程かかりました。写真は、薩埵峠から見た富士山。

P1010860 清見寺は、徳川家康ゆかりの寺。幼少の頃、今川氏の人質としてこの寺に預けられていたということで、当時の「手習いの間」なるものも遺されている。で、いま静岡では家康の駿府入城400年を記念して、「大御所四百年祭」という企画イベントをこの春から一年間開催中。さらに親善外交団の「朝鮮通信使」も、400年前に第一回の使節が来日して、ここ清見寺で家康の歓待を受けたということで、関連資料の展示も行われていた。

朝鮮通信使は、豊臣秀吉が起こした「朝鮮戦争」の後、徳川家康が朝鮮との関係修復に動き、国交回復のため実現に尽力したもの。先週、名護屋城博物館を訪れて、日朝関係についていえば「秀吉の戦争、家康の平和」ということを遅まきながら認識したので、今年はこの辺のことをマイ・テーマとして、少し齧っておこうかと思う。

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2007年5月11日 (金)

『日本の戦争力VS.北朝鮮、中国』

豊富な知識を備えているのはもちろん、提言力においても優れた軍事専門家・小川和久の新著『日本の戦争力VS.北朝鮮、中国』は、軍事力も含めた日本の危機管理能力の在り方を分かりやすく説いている。以下にいくつかメモ。

(北朝鮮という国の最大の脅威とは何か)
それは北朝鮮の体制崩壊であり、そのことが引き起こす大量の難民の発生、軍事組織の混乱などである。また、まず北朝鮮を押さえ込むのか、あるいは核開発で北朝鮮と協力関係にあるイランを屈服させるのか、その優先順位もしくはバランスが今後重要なテーマになってくる。

(日本は中国に対してどう向き合えばいいのか)
アメリカの対中戦略(建設的関与)が参考になる。それは平たくいえば、「中国を経済的にはアメリカの利益となる国に、軍事的には脅威とならない国にしていく」という戦略であり、そのキーワードは「民主化」である。中国をアメリカなしには生きていけない国にする、そのための必要な道具(強制力)としてアメリカの軍事戦略があり、日米の同盟関係がある。

(日本の憲法と自衛隊の位置付け)
自衛隊は他国を壊滅させる能力、つまり国家としてのパワー・プロジェクション能力(戦力投射能力)を備えていない。そして今後も、日本は現在の「自立できない軍事力」を日米同盟で補うにとどめるしか現実的な道はない。だからこそ日本は今、「自立した軍事力を持たず、戦力投射能力なき軍隊を今後も維持する」ことを宣言するとともに、恒久的な「安全保障基本法」を整備していく必要がある。憲法に「侵略戦争は放棄する」と定めたうえで、安全保障基本法に「日本が持つ戦略投射能力のない軍事力とはどういうものか」を書き込むだけでも、これまで曖昧模糊としたまま棚上げにされてきた問題がクリアになる。

(危機管理の基本について)
日本には「平和や安全はコストである」という発想がない。安全は最初から見込んでおくべきコストなのだ。危機管理の「基礎問題」、それは防災や医療であり、国防やテロ対策は「応用問題」である。まず必要なのは、「過去の戦争や災害に備える」ことだ。つまり過去に起こった戦争、テロ、大規模災害などの危機的状況について、可能な限り事例を洗い出し、類型化して、それに対してシナリオを備えること。「この事態には、こう対応をする」というモデルを確立すると同時に、起こる可能性や想定される被害額を見積もり、優先順位を付けておくのだ。

著者は「はじめに」の中で、「外交・安全保障に関心のあるむきにとどまらず、ビジネスマンが民間企業の経済活動に置き換えて活用してくださると望外の幸せである」と記しているが、たとえば「戦略的」という言葉の好きなビジネスマンには、以下のような部分が役立つかも知れない。
私たちに必要な戦略的思考とは、日本にもっとも望ましいビジョン(目的)を長期的視野に立って明確に描き、そこにいたるまでに必要な道筋と手立てを洗い出し、人材、組織、資源、技術、資金などさまざまな要素の最適な配分と組み合わせを考えて、実現のための方法を開発することでしょう。方法がわかれば、変化に応じて柔軟に対応しながら、狙いを外さずに決断を重ねていく。これが戦略的思考に基づいた行動です」

インタビュー形式で読みやすい本書から我々は、データに基づいた現実認識から出来ること、すべきことを導き出していく、小川流の冷静で着実なリアリズムを学ぶことができるだろう。

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2007年5月10日 (木)

これぞ最強の古城マニアか

こういう人もいるんだな~。今日の日経新聞文化面には、全国の城&城跡1400ヶ所を回った飯塚修さんという人の話が書いてある。

飯塚さんは中学三年生の時、修学旅行で熊本城を見て以来、お城の魅力に取り付かれ、学生の頃はあれこれ本を読み、列車で全国の著名な城を見に出かけ、さらにサラリーマンになって車を持ってからは、無名の城も本格的に回り始めた。しかし全国に3万~4万ヶ所あるという城跡を全部回るのは不可能なため、「日本名城大図鑑(厳選千名城)」(新人物往来社、1978年)にある城を巡ることにして、最終的に50年をかけて950ヶ所の訪問を達成した(千名城以外のものも含めると1400ヶ所)というから、これはもう最強の古城マニアだといってよいだろう。

ちなみに、飯塚さんのベスト5は、①熊本城、②津和野城(島根県)、③但馬竹田城(兵庫県)、④岡城(大分県)、⑤岩村城(岐阜県)とのこと。

自分も名古屋にいる頃に、周辺エリアでは東は浜松城から西は丹波篠山城、北は北庄城から南は安土桃山文化村の安土城(それは違うだろー)と、そこそこお城巡りをしているうちに、城よりも城跡の方が好きになってきた。まあ自分が行ったのは基本的に割とメジャーな所なので、そこにストーリーがある訳だし、そういう意味ではマヌケな模造天守が建っているよりは、石垣だけが残っている方が興趣は大いにあるのだ。

で、城跡といえばやはり近江ですね。琵琶湖の東側、北国へ向かう街道と東西を結ぶ街道の交わる辺り、浅井氏の小谷城から、石田三成の佐和山城、織田信長の安土城、六角氏の観音寺城まで、実際に行ってみたおかげで、このラインは戦国の重要エリアなのだという感じをとっても強く持ってます。

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2007年5月 9日 (水)

名護屋城跡を訪ねる

先週5月3日、肥前名護屋城跡を訪ねた。豊臣秀吉の築いた朝鮮攻撃基地である。

名古屋生活の間に城よりも城跡が好きになったみたいで、春先に出た『信長・秀吉・家康の城』(別冊歴史読本)の中で紹介されていた名護屋城跡を見て、ゴールデンウィークの旅行先はほぼ決まり。去年の島原に続き、再び九州へ。

飛行機は好きではないけれど、東京からでは止むを得ず、前日に空路で博多に入る。当日朝7時半頃、地下鉄中洲川端駅から電車に乗って出発。そのままJR筑肥線に入り、筑前前原駅で唐津行き列車に乗り換える。余計なことだけど、「ちくぜんまえばる」と読むので、宮崎県の東国原知事を思い出しながら、九州では別に変わった読み方ではなP1010829いのかな、と。車窓には所々で玄界灘の海が広がり、海を見るのは久しぶりだなと思いつつ8時50分、唐津着(運賃1,110円)。駅を降り、近くの商店街を通り抜けてバスセンターへ。名護屋城跡を通るのは「波戸岬」行きバスとのことだが本数が少なく、とりあえず「呼子」行きに乗る。9時45分に呼子着(運賃730円)、そこからはタクシーを使って5分程(運賃1,040円)で、名護屋城跡に隣接する佐賀県立名護屋城博物館に到着。

名護屋城博物館(入場無料)は、文禄・慶長の役を中心に、日本と朝鮮の歴史的関わりを展示している。1時間半程かけてじっくり見学、「総合案内」冊子(800円)も購入。その後城跡へ。遺構の規模はかなり大きく、整備も進められている(上の写真は本丸、天守台跡)。2時間程ブラブラ。さらに、この城の周囲には、出兵のため全国から集めP1010846られた大名たちの陣屋跡(その数130以上)も残っているということで、各陣屋の場所のビューポイントを示す案内板巡りをする。いくつかコースもあるのだが、時間も考慮して適当に取捨選択しつつ1時間半程ウォーキング、その後「名護屋城博物館入口」バス停前の道の駅「桃山天下市」で休憩。午後3時48分発の唐津駅行きバスで帰路に着いた。

博物館では今秋、特別企画展「秀吉と文禄・慶長の役」(10月12日~11月25日)を予定、10月28日の日曜日には記念シンポジウムも開かれるとのこと。

城跡ファン(って、どれくらいいるのか)は是非行ってみてください。さすがは天下人の城、信長の安土城跡に匹敵する程の構築物です。
秀吉ファンの方にもオススメ、大阪城だけでは秀吉の凄さは分からないぞ~。

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