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2007年5月26日 (土)

ウォーキングin上野~浅草

名古屋生活ではJR東海さわやかウォーキングを愛用していたのだが、3年半ぶりに東京に戻ってきたら、東京メトロ(地下鉄)でも沿線ウォーキングなるイベントを開催していた。ということで本日は、第14回東京メトロ沿線ウォーキング「浅草・墨堤・入谷界隈を歩く」に参加。予約不要、上野駅で朝9時から10時30分までに受付を済ませて浅草方面をウォーキング、午後2時までをメドに上野駅に戻るというスケジュールである。個人的には子供の頃、浅草は生活エリアの一部でもあった場所で、この機会に昔を少し思い出すかという気持ち。

上野駅を朝9時15分に出発。参加者多数。ウォーキングイベントなので、基本的にはやはり中高年の大群ですが、「JR東海」よりは「中年」の比率が高いようです。かっぱ橋道具街、雷門、吾妻橋、墨田区役所、隅田公園、桜橋、言問通り、入谷鬼子母神、上野公園を経て再び上野駅に戻る、距離約9kmのコースを3時間余りでゴールしました。参加賞は小鉢をくれる。コースの要所要所には警備会社の人が配置されていたし、結構イベント費用をかけてるような感じ。

P1010891 吾妻橋からの眺め(写真)は、自分の原風景である。原風景というやつは自分が当時を覚えているというよりは、事後的に自分で「認定」するものらしいが、子供の頃、母の手にひかれて橋の上を散歩しながら、橋の北側にある鉄橋を走る東武電車を飽きずに眺めていた、というのが自分のストーリー。
橋の台東区側には水上バスの駅。昭和40年代の頃、隅田川が汚れていて、水上バスもいつ潰れるかと言われていたが、川の水質が改善されると共に息を吹き返し、今では「ウォーターフロント」観光の足にもなっている。橋の墨田区側にはかつてアサヒビールの工場があった。小学生の頃、朝夕は工場横の通学路を往復した。夜には工場の大きなネオンサイン(海と太陽のデザイン)が川に光を投げかけていた。それが今は周知の如くアサヒの本社、墨田区役所、住都公団(いまURだっけ)の高層住宅が建つ。
吾妻橋そのものもかなり変わった。今は赤い橋だが、昔は色褪せた水色で、所々ペンキが剥げかけていた。橋の歩道も昔は狭かったのが、広げられている。
こんな原風景を持つ自分は、都会には大きな川があってほしいと思う。そういう観点からは大阪、博多はマル、名古屋はバツ。

浅草に関する記憶。
田原町にある三善堂という仏壇屋さん。地下鉄の駅にもある広告に記された「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」という言葉は、子供心にも印象的だった。
レコード店のヨーロー堂で「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)を買った。自分が求めて買ってもらった初めてのレコード。
ナカヤマというプラモデル店によく通ったが、今はない。店の若き主人だった中山よしかつさんは、いま政治家になっている。

プチ・センチメンタル・ジャーニー?・・・しかしもう本当に昔のことなので、懐かしいというより、「いっさいはすぎていきます」てな感じかなあ。

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