2019年7月20日 (土)

「日本青年党(仮)」を待望する

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(参議院は本当に必要か)から以下にメモする。

3年に1度の参院選は「政治の安定」を主張する与党と、「変化」を求めるだけの野党との間の不毛な論争で盛り上がりを欠いている。

二院制度はチェック・アンド・バランスのためと教科書にはある。しかし、衆参で過半数の政党が異なるねじれ国会では重要な政策は決められない。他方で同一政党が過半数を占めれば、同じ審議を繰り返すだけである。

本来は高齢化社会での社会保障のあり方など、長期的な課題を議論することが参院の役割にふさわしい。しかし、そのための大事な情報である年金の財政試算の公表は、従来の6月から選挙後に先送りされた。年金制度の問題点を明らかにして波風を立てたくない与党と、明確な改革案なしに批判するだけの野党との間で、参院選の意義はますます低下していく。

高齢化が進む日本では、投票率の低い若年層の声が軽視されるシルバー民主主義の弊害が深刻になる。

年金制度改革の争点の一つは世代間格差の是正である。仮にこれを訴える「青年党」が登場すれば選挙も活性化するだろう。

・・・二大政党制の元で、今の野党はバラバラで弱すぎる、与党に対抗できる大きな塊が必要、というのはよく聞く話。とはいえ今の野党が一緒になるのは、どうみても無理がある。しかし各野党から40代以下の人が集まって「日本青年党(仮)」を作り、与党からも参加者を募れば大きな塊を作ることは可能だろう。思うに、今の日本では政策やイデオロギーよりも、世代間の利害対立こそが最も大きな政治的争点になり得るからだ。

若年層の投票率が低いらしい。と言っても、票を入れたい人がいなければ、ましな人に入れよう、というのもやっぱり限界がある。とにかく今、政治の世界は需要と供給のミスマッチが甚だしい。若い世代の利害を代表する政党が登場すれば、当然ながら若年層の投票率も上がるだろう。

ついでに言えば、憲法改正は自衛隊の明記じゃなくて、参議院を廃止するための改正を掲げてくれれば、個人的にはポジティブに受け止められるんだけどね。

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2019年7月15日 (月)

とりあえずの結論

とりあえず結論を出しておこうと思った。

人生の目的は、昨日と違う自分になること。

幸せとは、誰かと何かを共有すること。

今日は初めてあの店でランチを食べた、というのでも十分昨日と違う自分だ。昨日と違う自分になる一番手っ取り早い方法は、本を読むことだ。この程度の目標設定にしておけば、ハードルは低いかなと。

誰かと何かを共有するのは、独り者の自分には結構ハードル高いかも知れないけど、とにかく自分がそう思える時間があれば良いということにしよう。

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2019年7月14日 (日)

動物園は「絶滅危惧種」だらけ

先日、「絶滅動物研究所」展(名古屋市科学館)を見た。マンモス、ドードー鳥、リョコウバト、トキ、ニホンオオカミ、ニホンカワウソなど絶滅してしまった動物の復元模型や剥製、骨格標本などの展示が中心。これら絶滅動物の多くは乱獲(虐殺か)や開発など人間の振る舞いが絶滅の理由と考えられていて、それだけでも居たたまれない感があるわけだが、より深刻に思われたのは、今やゴリラやライオン、ゾウやサイなど、特に珍しくもない感じの動物も絶滅の可能性が結構あるという事実だった。

国際自然保護連合(IUCN)による「絶滅危惧種」の区分は以下の3種類。
CR(Critically Endangered、ある生物種の個体数が極めて減少している場合、または今後個体数が激減すると推測される場合)
EN(Endangered、CRほどではないものの、近い将来野生下で絶滅する危険性の高い動物)
VU(Vulnerable、中期的にみて野生下で絶滅する危険性がある種)

東山動植物園の人気動物ベスト10は、すべて絶滅危惧種だという。以下に人気第1位のニシゴリラから第10位のホッキョクグマまで、絶滅危惧種の区分を示す。
ニシゴリラ(CR)、コアラ(VU)、アジアゾウ(EN)、アミメキリン(EN)、ライオン(VU)、スマトラトラ(CR)、フンボルトペンギン(VU)、フクロテナガザル(EN)、ユキヒョウ(EN)、ホッキョクグマ(VU)

地球上の動物たちが滅んでいくという話は、自分も子供の頃から聞かされてるわけだが、その流れに歯止めがかかっていない印象。あらゆる動物が動物園でしか見られなくなるというのも、あながち想像で終わる話とはいえない感じがしてくる。

とにかく今後も、動物たちを保護し繁殖させる地道な努力が継続されるだろう。ていうか人間の数を減らした方がいいのかもと、つい思ってしまうけどね。

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2019年7月 7日 (日)

江戸川区「沈没」

東京・江戸川区が区民に対して、水害時は「ここにいてはダメ」と訴えている。7月3日付日経新聞記事から以下にメモ。

「ここにいてはダメ、全員が区外に避難を」――。東京都江戸川区が作った水害ハザードマップが住民や専門家の議論を呼んでいる。
区が5月20日から全世帯に配布したハザードマップは33ページの冊子形式。高潮や洪水が起きるとほぼ全域が最大2週間、浸水すると予測。約70万人の区民に千葉や埼玉などへの広域避難を求めた。区の山口正幸危機管理室長は「水害時に区内にとどまることは極めて危険」と言い切る。

江戸川と江東、墨田、葛飾、足立の5区は15年、大規模水害への備えを検討する協議会を設置。「5区で250万人の避難が必要」と想定し、「当面は100万人以上の避難体制をつくる」とした。

江戸川区などの対策づくりを助言したのは片田敏孝・東大特任教授。片田氏は「避難先や移動手段の確保は区の努力だけでは限界がある。見切り発車であることは承知しているが、どこかが一歩を踏み出さないと何も変わらない」と危機感をにじませる。

・・・自分も2年前まで葛西に住んでいたから、江戸川区「沈没」の可能性に対して「ヤバイよヤバイよ」感が結構ある。さらに自分は墨田区と江東区に住んでたこともあるし、学校は墨田区の小学校と中学校、江戸川区の高校を出てるから、江戸川、江東、墨田、葛飾の4区は「第6学区」という括りで馴染みがある。なので「江戸川区沈没」だけでなく、「第6学区水没」の可能性を考えるのは忍びない。逃げるほかに水害対策はないのか?

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2019年7月 6日 (土)

福島正則はリアリストだ(推測)

福島正則の「暴れ者」イメージは正しいのか?と問うのは本郷和人先生。新刊『怪しい戦国史』(産経新聞出版)から以下にメモする。

正則は無類の暴れ者だったけれど、一方では誰よりも豊臣家に対して忠誠心をもっていた。そこで徳川家康は正則の「石田三成嫌い」の部分をこれでもか、と刺激し続けた。そのクライマックスが、三成挙兵の報を受けて開かれた「小山評定」。正則はいの一番に「徳川内府にお味方をし、にっくき三成めを成敗する」と獅子吼。ここに「東軍」が誕生した、というストーリーがしばしば描かれています。これは、正則は「三成憎し」の怨念にとらわれた、という見方ですね。家康は「正則の単細胞っぷり」につけ込み、結局、関ヶ原で勝利した、ということになります。

本当でしょうか? ぼくにはそうは思えません。正則は堂々たる一国一城の主、つまり多くの家臣たちの生活に責任をもつ大企業の経営者なのです。自分の感情だけで去就を決するとは思えない。それに彼は「弱肉強食」の戦国の様子、より具体的に言えば、羽柴秀吉が織田家の天下を奪い取るさまを現場で見ている。家康が勝利すれば、三成が滅ぶだけでなく、豊臣の天下が終わることも十分に分かっていた。それでも「福島家」が生き残り、より繁栄することを目指して、家康に味方したのではないでしょうか。

・・・福島正則はリアリストだった、と推測する。幾多の戦国大名の栄枯盛衰を見ていた正則は、ここでは家康に味方するのが福島家にとって最善と判断したのだろう。そして家康も、自軍の勝利のために正則を最も必要としていた。「小山評定」以降、関ヶ原合戦に至るまで、家康が最も多く書状を出した相手は正則だったことからも、そのことが窺える。要するに、正則と家康は利害が一致していた。こう考えると、「三成憎し」の理由は後付けの感が強くなる。

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2019年6月23日 (日)

「関ヶ原」シンポジウム in 小倉

本日は九州・小倉で開催された歴史シンポジウム「関ヶ原の戦いを再検討する」(佐賀戦国研究会の主催)に足を運んだ。はるばる遠征したのは、講演者の顔ぶれに引きつけられたからだ。関ヶ原新説をリードする白峰旬、高橋陽介、乃至政彦の3氏が揃い踏みなのである。名古屋からだと新幹線で3時間乗れば着くから日帰りでOK。転勤で名古屋在住である我が身を有り難いと思った。

会場のKOKURAホールは、小倉駅から徒歩10分程度の場所にある。ビルの中の大きめの会議室という感じで、参加者はざっと50名程度か。シンポジウムの進行は、白峰先生(豊臣七将襲撃事件はあったのか)、高橋先生(「九州の関ヶ原」と加藤清正)、乃至先生(上杉景勝の用兵思想と政変戦略)の順に、各40分程度講演。その後3氏が互いの発表内容について意見交換を行った。

白峰先生は既に「問い鉄砲」「小山評定」は無かった(フィクションである)と主張しているのに続いて、豊臣武断派武将の石田三成襲撃事件もフィクションとの説を提示。白峰先生の手にかかると、関ヶ原の「見せ場」はみんな無くなっちゃう(笑)。でも、言われてみれば現実の動きはそんなに劇的な展開であるはずもないよな、と納得してしまう。

このほか、加藤清正という人物は過大評価されているとか、上杉景勝が徳川家康との戦いを決意した動機を探るべき、との興味深い観点も出された。確かに歴史上の人物は、その行動は把握できても、何を考えていたかまではなかなか分からない。

関ヶ原だと自分は、福島正則が何を考えていたかが結構気になる。豊臣秀吉子飼いの武将である正則は、なぜ徳川家康に味方したのか。石田三成憎しから? そんな単純な話じゃないだろう。家康が一番多く手紙を出した相手は正則だった。いつ手のひらを返すか、気が気でなかったらしい。実際、関ヶ原では最後まで東軍先鋒を務めた正則の動きが、戦局の行方を大きく左右したわけだし。加藤清正が過大評価される一方で、福島正則は過小評価されていると思う。

それはそうと、本日のシンポジウムでは、関ヶ原合戦の白峰説、高橋説の相違点についてストレートな議論があるかも、と期待してたけど、それは無し。そこは少し残念な感じでした。

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2019年6月22日 (土)

「やさしくなりたい」

年を取ると、はやりの音楽にとんと疎くなる。なので、たまたまある曲を「発見」すると、それがかなり前の歌だったりすることにも気づいて、こんな曲があったんだ~と今さらながらに感心してしまうという、いささか間抜けな経験をするわけだ。

自分が最近気に入っている曲で、斉藤和義の「やさしくなりたい」という歌がある。これは2011年に出た歌だそうだ。何でこの曲を今頃になって知ったのかというと、今月DVD及びブルーレイが発売された桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」の中で取り上げられていたのを聞いた、という案配だ。

とにかく何かよく分からんけどカッコイイ曲だな、と思って斉藤和義のCDも何枚か買って聞いてみた。基本的に日本のロックという印象なのだが、何かこの歌だけテイストが違う感じがある。ドラマの主題歌ということも知らなかったのだが、余計な印象抜きで曲そのものを聞けたのは良かったかも、と思う。

この歌を「ひとり紅白歌合戦」のセットリストに入れた桑田さんにサンキューである。

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2019年6月15日 (土)

「老後2000万円」問題?

「老後に2000万円必要」との記載が「騒ぎ」になっている、金融審議会の市場ワーキング・グループ報告書。「高齢社会における資産形成・管理」とのタイトルが付けられたこの報告書のメインテーマは、「高齢社会における金融サービスはどうあるべきか」であり、長生きできる社会の中で、個々人がリタイア後に望む生活水準を実現維持するためには、現役時代から資産形成に取り組む必要があり、その手段としては長期積立分散投資を柱として、国は制度面から環境をさらに整えると共に、金融業はサービス面から個々人を一層強くサポートしていかなければならない、ということを提言している。

なので、年金がどうこう言ってるのではないし、ましてや「老後2000万円」だけを切り取られて騒がれるのは、報告書の関係者にとって実に心外なことだろうと思う。金融業者である証券会社社員である自分も、「何だかなあ」という気分になるのである。

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2019年6月13日 (木)

「デフレ均衡」と「貨幣愛」

昨日12日付日経新聞記事「エコノミクストレンド」(執筆者は小林慶一郎・慶大客員教授)からメモする。

先進国、中でも日本は、緩和型の金融財政政策のもとでデフレが長期的に続く「デフレ均衡」に陥っているとみるべきだろう。

長期のデフレ均衡という現象を理解するためには、「人間の選好は不変」としてきた通常の経済学のモデルではなく、「人間の選好は可変的」という考え方に立つことが必要なのではないか。なんらかの環境変化で人間の効用関数が変わるなら、人間が過剰な「貨幣愛」を持つようになる可能性がある。貨幣愛とは、本稿では「貨幣や国債など金融資産を保有することから感じられる(根拠のない)効用」とする。これは一種の「バブル」あるいは幻想である。
人々が金融資産に価値を感じるのは、通常は将来の財・サービスの消費を可能にしてくれるからだ。しかし、例えば資産保有が社会的なステータスを表現するシグナルとなっている社会では、人々は金融資産の保有に社会的「価値」を感じる。
筆者が最近研究しているモデルは、人間は「自分の子孫が貨幣愛を持つ」という世代間の期待によって、自分自身も資産に過剰な価値を感じるようになるというものだ。

社会的ステータスや世代間の期待からバブル的な貨幣愛が生じると、資産(政府債務)が過剰に蓄積されてしまう。資産が増えても財・サービスの購入には使われず、無限に蓄積されてデフレが続く。こうして長期的なデフレ均衡が発生するわけだ。

・・・バブル崩壊以降、平成は基調的にデフレの時代だった。令和の時代になった今も、デフレ完全脱却とは言えない状況が続いている。「異次元」の金融緩和でも大きく動かせない、この経済的現実を、通常の経済理論で説明するのは容易ではないようだ。今、この世界で一体全体何が起きているのやら。

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2019年6月12日 (水)

ガバナンス改革の虚実

「コーポレートガバナンスの目的は、中長期的に企業をどう成長させるかにある」と言うのは、オリックス出身の経営者、宮内義彦・日本取締役協会会長。本日付日経新聞記事「そこが知りたい・ガバナンス改革なぜ進まぬ」からメモする。

「政府などから要請される格好でガバナンスの形は作ったが、中身がない。多くの企業がとりあえずガバナンスコードの基準をクリアしたことに安心しているように見受けられる」
「企業のトップにとって、お目付け役のような社外取締役の存在は疎ましいだろう。それが普通の反応だ。しかし、マネーが世界を駆け巡るなか、日本企業の経営も透明性を確保しなければならない」
「社外取締役も勉強不足だ。米国ではむしろ社外取締役は重責で、成り手が少ない。しっかり経営を監督していないと株主から訴えられるからだ。日本のように最高経営責任者(CEO)の友達や知り合いに社外取締役を頼むといったなれ合いなどない」
「社外取締役の役割はCEOの業績評価と後継者の育成や人選だ。執行側の見解や行動をじっくり見ていればいい。経営への助言やアドバイスなどはコンサルタントにやらせればいい」

・・・数ヶ月前の日経新聞紙上で、日立出身の経営者、川村隆・東京電力ホールディングス会長も「ガバナンス改革で大事なのは形ではない。一番大事なのは、社長をいつもちゃんと見ている人がいるかだ。良い社外取締役が一人いれば十分で、何人が必要などとルールばかりつくろうとするから話がややこしくなる」と語っていた。

経営の監視役の頭数ばかり揃えてもガバナンスが機能するとは限らないわけで、当然その質が評価されなければならないのだが、それは結局外部からは分かりにくいのが悩ましいところだね。

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