2023年3月22日 (水)

中間層の再生=少子化対策

本日付日経新聞経済面「やさしい経済学」(衰退する日本の中間層)から、以下にメモする。

日本の中間層の経済的安定性が揺らいでいます。実質賃金が伸び悩む一方で、社会保険料、住宅・教育コストの圧迫で、生活が苦しいと考える世帯が増えています。その生活防衛の帰結が、統計開始以来最少の出生数という少子化なのではないでしょうか。

現在、政府はリスキリング、日本型職務給の確立、成長分野への労働移動などを通じて、賃金の構造的引き上げを目指しています。加えて中間層の家計を支えるには、次のような社会政策が必要でしょう。

第一に、長時間労働の是正や子育て支援の充実です。男性の育休取得や柔軟な働き方の促進を通じ、生活時間の確保が必要です。第二に、高等教育支援策の充実です。近年、高等教育の授業料などの減免、給付型奨学金が実施されていますが、さらなる充実で子育て不安を解消する必要があります。第三に、住宅手当の導入です。職務給が広がるなら、賃金の住宅手当も廃止されるでしょう。政策としての住宅手当がますます必要になります。

・・・「住宅」と「教育」が、子育て世代に大きくのしかかるコストであるということは、随分以前から分かっていたことだが、結局有効な手立てが打たれてこなかった、ということなんだろう。誰かが言ってた「分厚い中間層」の復活は望み薄だが、それでも中間層再生を目指す政策イコール少子化対策であることは疑いない。

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2023年3月21日 (火)

瀬戸市に行く

今日は祝日、春分の日。藤井聡太六冠王誕生から二日後、天才棋士の地元である愛知県瀬戸市に出かけた。藤井君のタイトル戦の時に、いつもニュースに出てくる地元商店街を、一度は見学してみたいと思っていた。本日当地では、JR東海さわやかウォーキングも開催。愛知環状鉄道の瀬戸市駅でコースマップを貰って、商店街を目指して3キロ程歩いた。

写真は上から、地元信用金庫内にある藤井聡太応援コーナー。「銀座通り商店街」の垂れ幕と、シャッターの将棋盤面図。そして名鉄尾張瀬戸駅近くの「喫茶スマイル」。六冠王記念メニューの「六カップ盛り」というのは何だかよく分からないけど。「瀬戸焼そば」もちょっと気になったが、昼ごはんには早い時間だったので見送り。そのまま尾張瀬戸駅から、名古屋に引き揚げた。

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2023年3月19日 (日)

藤井聡太、20歳の将棋六冠王

渡辺明棋王に藤井聡太竜王が挑戦していた将棋棋王戦5番勝負第4局は、藤井竜王が勝利、3勝1敗でタイトルを奪取した。これで藤井竜王は、王位、叡王、王将、棋聖そして棋王の6つのタイトルを保持することになり、羽生善治九段が24歳で達成していた六冠王の座に、20歳で付くことになった。ただただ驚愕するしかないのだが、一方で当然の結果のようにも思えてしまう。

本日はNHK杯テレビ将棋トーナメントの決勝戦、藤井竜王対佐々木八段(収録時七段)戦も放映されたが、こちらも藤井が勝利して優勝達成という結果で、まさに藤井デー。

藤井竜王は来月4月、名人戦で渡辺名人に挑戦することが決まっている。現在、藤井竜王の強さは文字通り「無敵」と言うほかない。このまま名人も獲得して、七冠王になるのも既定路線としか思えない。えらいこっちゃー。でもやっぱり、当然そうなるという印象しかない。

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2023年3月14日 (火)

「帝国」と「帝国主義」

「世界戦争は不可避的である」と、柄谷行人は1990年頃から考えていたという。『文藝春秋』4月号掲載のインタビュー記事からメモする。

その時期、ソ連の崩壊によって冷戦が終結し、世界は民主化するという「歴史の終焉」という説が話題になりましたけど、私はそれに反対でした。
要するに、この時期に終わったのは、第二次世界大戦のあとの均衡状態であり、その後に生じるのは、世界大戦の反復です。

私は、帝国と帝国主義を区別したい。
私は以前に、『帝国の構造』という本で、帝国主義とは異なる「帝国」について書きました。たとえば、ペルシア帝国、ローマ帝国、モンゴル帝国ほかの帝国では、異なる民族が、お互いのアイデンティティーを保ったまま、平和的に共存できた。
帝国は古代と中世にあったものであり、帝国主義は、資本主義以後に生じたものにすぎないのです。そして、帝国主義は、帝国を否定するものです。

帝国は、遊牧社会にあった、国家や部族による差異・区分を超えて生きる思想を受け継ぎ、多数の民族・国家を統合する原理を持つにいたった。それに対して、近世以後の国民国家には、このような原理がない。したがって、自国中心主義、そして、民族紛争に傾きやすく、国家間の戦争が避けられないのです。

旧帝国は近代以降の帝国主義とは異なる。その意味で、今のアメリカやロシア、中国は帝国的ではないが、帝国主義的なのです。

・・・もうだいぶ前になるが、国家という枠組みを超えて運動するグローバル経済が生み出す秩序を「帝国」と呼ぶ議論があった。そして、その秩序の中心にあるのは、アメリカと言って良かった。しかしグローバル経済は、アメリカ国内にも格差と分断を生み出し、トランプ前政権は自国優先主義的な動きを強めた。その一方では、グローバル経済の恩恵を受けて世界第2位の経済大国となった中国が、自国中心主義的な振る舞いを拡大させている。グローバル経済=「帝国」秩序は、「帝国主義」の大きな挑戦を受けていると言ってよいだろう。

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2023年3月13日 (月)

「交換」を生み出す「謎の力」

先頃、「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した柄谷行人。何でも「哲学のノーベル賞」との触れ込みで、賞金も100万ドルという破格の金額。文芸評論家から出発し、80年代には現代思想ブームの一翼を担った柄谷氏は、今や大思想家になったのだなあ。近年、柄谷氏は「交換」という視点から社会システムの歴史を分析。以下は、『文藝春秋』4月号のインタビュー記事からのメモ。

現在の世界は、貨幣による市場経済(交換様式C)によって立つ資本主義、そして国家(交換様式B)の二つが巨大な力を持っています。互酬交換(交換様式A)の力が非常に弱くなってきている。
一方、私が未来の社会として考える交換様式Dというのは、A(贈与と返礼)が高次元で実現される、つまり共同体的拘束はないけれども、助け合いがあるような、自由で平等な社会です。

マルクスは〈交換は共同体と共同体の「間」で始まる〉と書いています。つまり交換とは共同体の内部ではなく、本来、見知らぬ不気味な他者との交換であり、それが成立するためには相手に交換を強制するような「力」が必要なのです。

最近になって気がついたのですが、私は、文芸評論や哲学的エッセイ『探究』を書いていた若い頃から、ずっと交換の問題を考えていたんですね。たとえば、言語の問題に取り組んでいたときも、言語によるコミュニケーションを、一種の「交換」としてとらえていた。
コミュニケーションとは、お互いを見通せない中でなされる不透明なもので、それが成立するにあたって、個人の意識を超えて「人間を突き動かす謎の力」が働いている。

・・・80年代に浅田彰や岸田秀が広めたポストモダン的人間観として、「ホモ・デメンス」(狂ったサル)というのがあります。人間は狂っている(本能が壊れている)からこそ、秩序を求めるのではないか。交換を成立させる力とは、秩序への意志なのではないか。ニーチェの言うアポロとディオニソスみたいだけど。

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2023年3月12日 (日)

映画『アンノウン・ソルジャー』

フィンランドの戦争映画『アンノウン・ソルジャー』。2019年の日本公開作品だが、昨年の夏、新宿の映画館で「戦争映画特集」の一本として、3時間のディレクターズ・カット版が公開された。ウクライナ戦争で、ロシアとフィンランドの関係にも注目が集まっていたこともあり、自分も新宿まで観に行った。先頃この3時間版がDVD化されていたことを知り、もう一度観てみたという次第。

1939年11月末から1940年3月まで、フィンランドは侵攻してきたソ連と戦った。これが「冬戦争」。次に独ソ戦の開始と共に1941年7月、フィンランドは領土奪還のため再びソ連と戦争を始める。これが、映画で描かれる「継続戦争」で、1944年9月まで続く。当時フィンランドは、ナチスドイツと組むしかなかった。「敵の敵は味方」でやってきたのが、ヨーロッパ。地続きで多くの国が隣り合わせになっている国々の意識は、島国日本とは当然のように違う。

アンノウン・ソルジャー、つまり無名戦士の日常生活は戦闘が中心だ。戦闘準備、戦地に向けて行軍、戦闘、休息、そしてまた行軍。森の中を歩き、山を越え、川を渡り、原野を進む。たまに一時帰休はあるにしても、一度家を離れたら、簡単には戻れないハードな生活だ。

フィンランドは森の国。森の中の戦闘は、敵の居場所が見えにくいだけに、恐怖は倍増し、勇気も一層必要になる。主要人物は何人かいるが、主人公と言える古参兵ロッカ伍長は、上官から「勇敢だな」と称えられると、「俺たちはただ、死にたくないから敵を殺してるだけです」と答える。若い新兵にはこうも言う。「人でなく敵を撃つ。賢い連中は言ってる、❝敵は人間じゃない❞って。割り切って敵を殺せ」と。まさに人ではなく、敵を殺すのだと思わなければ、戦争などやれないだろう。ロッカは、自分の振る舞いを上官たちに咎められても、「お偉方のために戦ってない。家族のために戦ってる」と言い返し、最後の場面では銃弾の飛び交う中、負傷した相棒を背負って川を渡るなど、男気のある人物として描かれている。

映画の後半はフィンランド軍の撤退戦。戦果も無いまま負傷者が増えるばかりの撤退戦の行軍は悲惨だ。「体に悪いからタバコはやめろ」と人に言っていたロッカも、撤退戦の過酷さからなのか、たびたびタバコを口にする。上官が現場の状況を無視した「死守」命令を叫んでも、疲れ切って行軍する兵士たちからは「何言ってんだコイツ」的ムードが漂う。負け戦の軍隊が惨めで気違いじみているのは、洋の東西を問わないようだ。

映画の原作小説は、フィンランドでは知らない人はいない作品だという。どのような形であれ、戦争に係る国民的記憶は残しておかなければならないと、つくづく思う。

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2023年3月10日 (金)

関ヶ原「布陣図」の謎

関ヶ原合戦といえば、有名な東西両軍の布陣図を思い浮かべる向きも多いだろう。しかし、あの図がどこまで正しいのか、充分な検討がなされたとはいえない。徳川家康の虚像と実像を分析する『家康徹底解読』(堀新、井上泰至・編、文学通信・発行)から、以下にメモする。

合戦が具体的にどのようなものであったのかは、ほとんどわからない。合戦の説明の際に必ずといってよいほど示される「布陣図」も要注意である。白峰旬が指摘したように、一般に知られている布陣図は明治期に参謀本部編『日本戦史関原役』が作成した歴史的根拠の乏しいものである。江戸時代に作られはじめる布陣図もやはり創作である。白峰は、布陣図による先入観を排し、それ以外の各種の史料の検討により関ヶ原エリア・山中エリアの二段階で戦闘が行われたと推定している。これについて小池絵千花は、当初は戦闘があったのは山中だと考えられていたが、のちに関ヶ原であると改められた、つまり地名の認識の変化によるものだと指摘している。そして、翌年には作成されはじめる太田牛一の『内府公軍記』の記載を重視すべきだとする。

・・・上記で言及されている小池氏の論文(「関ヶ原合戦の布陣地に関する考察」、『地方史研究』411号、2021年6月)を読んでみると、徳川家康は決戦日当日、吉川広家は二日後の書状で「山中」の地名を使っていたが、その後は使っていないと指摘。また、合戦から最も早い時期に成立した『内府公軍記』をベースに、後から情報が付加されていき、現在に至るまでの「関ヶ原合戦像」が形成されていったと述べている。

『内府公軍記』によれば、石田・小西・島津が関ヶ原に、宇喜多・大谷が山中に布陣したという。太田牛一は『信長公記』の作者でもあるから、信頼できる史料なのだろう。でもそうなると、「山中主戦場」説が依拠する島津家家臣史料の記述と、どう整合性を取ればいいのか。素人には分からない。困る。

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2023年2月28日 (火)

プーチンの欧米憎悪

27日付日経新聞オピニオン面掲載フィナンシャルタイムズのコラム記事(プーチン氏、「脱欧米」へ執念)から、以下にメモする。

ロシアのプーチン大統領は21日の年次教書演説で、ウクライナ侵攻の継続を強調しただけでなく、同時に自国の政治や経済、社会の目指すべき方向性も示した。それは、西側諸国との完全な決別の意志を改めて裏付けるものだ。

同氏は軍事作戦が、国内の反体制派を一掃し、「敵対的」あるいは「退廃的」な西側の影響力を遮断することと密接に結び付いていると力説した。
換言すると、ウクライナの領土の恒久的な支配だけを狙っているのではない。欧米の影響をこの先、一切排除する形でロシア社会を再構築することも意図しているのだ。

演説の眼目は自国が軍事、政治、経済、文化のあらゆる面で西側の攻撃にさらされており、欧米の手先として動いているのがウクライナの現政権だという主張に置かれた。
演説で目を引いたのは、西側に渡ってぜいたくな暮らしを続けようとする新興財閥(オリガルヒ)を何度も見下したことだ。対照的に、ロシア正教に古くから根差す民族的アイデンティティーは繰り返したたえた。
プーチン氏は、国家と社会を自身の理想に沿って造り替えた暁には、親欧米的な価値観の入り込む余地は一切ないと、経済界のエリートらに警告を発した。

・・・プーチンの欧米憎悪は、一体全体どこから来ているものなのか。そして、この思念はロシア国民にどこまで共有されているものなのか。わからんなあ。

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2023年2月27日 (月)

PBR1倍宣言!

本日付日経新聞ビジネス面コラム記事「経営の視点」(始まった「JTC」の逆襲)から、以下にメモする。

「ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー」を略したJTCはネットでよく使われる言葉だ。日本の伝統的な大企業に共通する、内向きで硬直的な組織運営や企業文化を皮肉る時に、使われることが多い。もうすぐ創業150年を迎えるコングロマリット企業の大日本印刷は、投資家が考えるJTCの代表格だ。経営トップが株主の前に出てくるのは、年に1回の株主総会の時だけ。決算説明会を初めて開いたのは2019年と、日経平均構成企業の中で最も遅かった。

そんな大日印が出してきた、「自己資本利益率(ROE)10%とPBR(株価純資産倍率)1倍超」をめざすという次期中期経営計画の基本方針。市場は、後者の方にひっくり返った。

株価を解散価値である1株純資産で割ったのがPBRだ。市場が決める株価が左右し、企業はほぼコントロールできない。実際、これまでPBRを経営目標に掲げた企業は皆無だろう。しかも、大日印のPBRが過去10年で1倍を超えたことは一度もない。

大日印の変身に、2つの「外圧」が強く影響したのは間違いない。世界最大のアクティビストである米エリオット・マネジメントの株取得と、PBR1倍割れの企業に「改善計画」の開示を強く求めるという東京証券取引所の新方針だ。

大日印のある幹部はいう。「非連続の変化が必要だという意味で、市場と我々の利害は一致する」
変化が必要と腹落ちした大企業の組織力は侮れない。JTC逆襲の「のろし」は上がった。

・・・東証の要請以来、バリュー株相場が展開中。ROE向上とPBR1倍回復を目指す計画表明が、単なる株買いの材料に止まらず、実際の経営改革から企業価値向上につながることを強く望む。

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2023年2月26日 (日)

二・二六事件

NHK・BS1スペシャル「全貌 二・二六事件」を観た。ちょうど3年前に放送した番組の再放送とのこと。

昭和11年(1936年)2月26日に起きた二・二六事件。陸軍「皇道派」の青年将校たちが天皇を中心とする軍事政権の樹立を目指し、政府要人数名を暗殺して国会議事堂などを占拠したクーデター事件である。当時、海軍軍令部が事件の推移を綿密に記録した極秘文書が見つかり、それを基に番組は事件の4日間を辿る。そして最後に、事件の一週間前に海軍は、陸軍皇道派の決起計画の概要を把握していたことが示される。

事件発生当時、決起部隊の動機や思想に、陸軍の一部が理解を示し、他の部隊がさらに合流する可能性もあったという。それだけでなく海軍にも同調する者がいたようだ。しかし天皇は早くから海軍に鎮圧を期待していた。海軍の陸上戦闘部隊である陸戦隊が出動する。さらに芝浦沖の海上から、国会議事堂に艦砲射撃を加える計画もあったという。

2月28日、天皇は反乱鎮圧の意思を示す奉勅命令を出す。陸海軍の鎮圧部隊と決起部隊は一触即発、東京が戦場となる内戦寸前の状態に。翌29日(うるう年なのですね)午前中に決起部隊の投降が始まり、午後1時に反乱は平定された。

「昭和維新」を目指した青年将校たちは軍法会議の裁判で処刑されたものの、その後の日本は、天皇を頂点とする軍国主義に突き進んでいった。それは結局は青年将校たちが望んでいた国家の姿だったと言ってもいい。

二・二六事件から9年半後の昭和20年(1945年)8月、日本が降伏して戦争は終わった。時の首相は鈴木貫太郎。二・二六事件の際に重傷を負ったが一命は取り留めた鈴木侍従長その人が、天皇と共に終戦工作を何とかやり遂げたというのも、歴史の不思議な巡り合わせだと思える。

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