2009年12月17日 (木)

「P I G S」

ユーロの対ドル相場下落について、本日付日経新聞からメモ。

(ユーロに対する)不安の発火点となったのはギリシャ。2009年の財政赤字は国内総生産(GDP)比で12%超に達する見通しとなり、今月8日、一部格付け会社がギリシャ国債を格下げした。
これを受けて市場では多額の財政赤字を抱える国を不安視する動きが続いている。不動産バブルが崩壊し、失業率が20%に迫るスペインも国債格下げが取りざたされる。ポルトガル、イタリアを含めたPIGSと呼ばれる南欧諸国の経済基盤の弱さが懸念されている。

PIGS
ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインの南欧4ヵ国の頭文字をつないだ造語。アイルランドを加えてPIIGSと
呼ばれることもある。金融市場が混乱した2007年以降、不動産バブルが崩壊し失業率も上昇した。08年半ばごろから欧米メディアに登場した。当該国には「差別的な名称」と反発する声もある。

・・・そりゃそうだよな、「ブタ」呼ばわりかい、ってなるよ。しかし正直、この言い方は初めて知った。少しネットを眺めてみると、確かに早い人は去年から使ってるんだ、へぇ~。

古代ギリシャ、ローマ帝国、中世のスペイン・ポルトガル王国も、今は昔(または大昔)の話で、21世紀のヨーロッパではお荷物扱いかあ・・・。

しかしながら、「多額の財政赤字を抱える国」と言われれば、日本だって他人事ではない。そうでなくても、新たに「衰退国」デビューを果たした国と、一部では見なされてるし。下手すりゃ「ブタの国」の仲間入り?

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2009年12月15日 (火)

ぺイリン、今も人気(らしい)

昨年の米大統領選挙で、共和党の副大統領候補に指名されたサラ・ペイリン。自伝本のサイン会には数千人のファンが押し寄せるなど、保守派のスターぶりは健在とのこと。本日付日経新聞国際面のコラム記事からメモ。

ワシントン・ポストの11月の世論調査で共和党を代表する指導者は誰かを聞いたところペイリン氏(18%)が最多だった。マケイン上院議員(13%)やハッカビー前アーカンソー州知事(7%)は昨年の大統領選の負け組。2012年の有力候補になりえない。

ペイリン氏の行動には、政治家として疑問符が付くものも多い。党のカネで高級服を買い集め、政策論は迷走。今年7月には、はっきりしない理由でアラスカ州知事職を放り出した。

ペイリン氏の品のない語り口は笑いのネタにされることが多いが、共和党の支持基盤でもある白人貧困層にはたまらなく魅力的らしい。決めせりふの「You betcha」は流行語になった。意味は「当然よ」だが、語感は「あたりめ~よ」だろうか。

自伝の題名は「Going Rogue(ならず者で行く)」。既成政治への反発を吸収するため、アウトサイダーを名乗るのはよくある手法で、オバマ大統領も使った。だが、いくらライフル銃片手にシカを狩るのが趣味とはいえ、これでは西部劇に出てくるアウトローだ。

2012年の大統領選へ突っ走るのか。米政界は彼女の動向に神経をとがらせている。

・・・女だてらに保守派の荒くれ者を標榜するペイリンちゃん。まあさすがに次の大統領、なんてことにはならないと思うけど、どこの国でも政治の世界というのは、部外者には理解しにくい動きや流れがあるもんだな。

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2009年12月14日 (月)

能力+努力≠結果

佐々木常夫・東レ経営研究所社長は、勝間和代の考え方には共感するところが多いとしながらも、「起きていることはすべて正しい」という主張には違和感を覚えるとのこと。今週の「週刊東洋経済」(12/19号)連載「ワークライフバランスを実現する仕事術」からメモする。

この考え方は、世の中にはいろいろなことがあるが、起きていることはその人の能力や努力の結果であるから、いわば起こるべくして起きたことで、それはすべて正しいというのである。
しかし本当にそうだろうか。
私は自閉症の長男と、肝硬変とうつ病を患った妻のために、必死で仕事と家族の両立を図り、どちらもそこそこの結果を出したが、それはたまたま幸運に恵まれていたからだと思っている。

人は誰もが家族や仕事に対し責任を果したいと思っているし、懸命にその努力もしている。しかし、そのような中で壁にぶつかり、もがき、苦しみ、愛し、喜び、悲しみ、疲れていく。私自身もそうであった。どんなに頑張っても満足する結果につながらないことが多いのだ。

少し間違えばわが家は家族崩壊の道をたどっていただろう。さまざまな人の支援や思いやり、そしてさまざまな偶然で私の家族は何とか再生しつつある。
だから私には到底「起きていることはすべて正しい」とは思えない。勝間さんのような特別に優れた人で華麗に成功した人が一般の人に向かって「起きていることはすべて正しい」というのは少し言い過ぎのような気がする。

それぞれの人生は努力や意欲でつかみ取っていかねばならないのだろう。だが、多くの場合、そばにどんな人がいたか、そのとき何が起こったかなど、さまざまな運、不運も大きく影響していると思う。私は自分自身以外の大きな力を感じている。

・・・佐々木社長の言葉には経験から来る重みがある。香山リカの「勝間批判」が軽い感じに思えてしまう。

頑張っても結果が出ないことはあるのが現実。全く、「起きていることはすべて正しい」などと言えるのは「成功者」のみである。要するに結果論。まあ超ポジティブなのは、勝間さんの「営業戦略」だと思いたい。しかし本気だったらキモいぞ。

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2009年12月13日 (日)

雇用拡大にはデフレ脱却

元「現代思想」青年の僕は、浅田彰と蓮實重彦(対談)、三浦雅士(エッセイ)の名前を見つけて、「中央公論」1月号を購入し該当記事を読んでみたのだが、あまり心に引っかかる言葉が無かったものだから、同じ雑誌の中で人文から経済へと目を転じて、原田泰エコノミストの論文「格差是正で成長を目指せ」から以下にメモすることにした。

日本の本当の問題は、所得が伸びていないこと、すなわち成長率が低下していることだ。しかし、成長率を引き上げるのは難しい。規制緩和、民営化などの構造改革は成長率を引き上げるはずだが、効果はそれほど明白ではない。

成長産業を選ぼうという発想もある。政府が成長力の大きい産業に資金を投下して、成長産業を育成しようというのだ。しかし、これは社会主義の発想であり、社会主義が失敗したように、成長産業を選ぶという試みも失敗している。一橋大学の竹内弘高教授は、過去の20の成功産業(半導体、VTR、ファクシミリ、家庭用オーディオ機器、カーオーディオ、産業用ロボット、家庭用エアコン、炭素繊維、カメラ、テレビゲーム、自動車・・・)において、政府の役割はまったく存在しなかったと書いている。

結局のところ、どうやったら成長率を高めることができるのかは実はよく分かっていない。ポール・クルーグマン教授は、生産性が「長期的には・・・・・・ほとんどすべてだ」が、できることは生産性が上昇するように「せいぜいが祈るくらい」と書いている。
ただし、中期であれば、かなり確実に成長率を引き上げることができる。それは雇用を拡大することだ。

(そのためには、)まず(実質賃金を上昇させて労働投入を減少させる)デフレから脱却することが重要である。最低賃金の引き上げ、派遣労働の禁止、正社員での雇用を義務付けることなど、無理やり賃金を引き上げることになる政策は雇用を縮小させる可能性が高い。むしろ、デフレから脱却することによって、雇用を拡大することができる。

・・・メディアでは「成長戦略」とか簡単に言うけど、じゃあ政策で何をやれば良いのかというと難しい。何しろ「産業政策」はほぼ無効だし、生産性を高めるには「祈るくらい」しかない(苦笑)。デフレを止めるのは中央銀行に頼むとして、国の借金を増やす公共投資には限界があるから、結局政府にできるのは制度改革だけだろう。おとなしく「構造改革」を継続するしかないと思う。

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2009年12月12日 (土)

「カティンの森」事件

アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」を観た。

う~む、やっぱり何の救いも無い映画だった。(しばし絶句)

購入したプログラムを見ながら、「カティンの森」事件について記す。

第二次世界大戦下、場所はソ連領内のカティンで1943年春、当地を占領していたナチス・ドイツが森の中に埋められた大量のポーランド将兵の遺体を発見。その数およそ4,000人。ドイツはソ連が行った捕虜虐殺であると発表したが、ソ連は否定。カティン奪回後は、逆にドイツの犯行であると主張した。戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは、「カティン」を語ることはタブーとなった。長い年月が過ぎて冷戦終了後の1990年、ようやくソ連は自国の犯行であることを認め、ゴルバチョフ大統領が謝罪。1992年にはロシアのエリツィン大統領が、スターリンの命令によって行われたことを言明した。

明らかとなった事実。1939年9月、ドイツに続きポーランドに侵攻したソ連は、翌1940年4-5月に、捕虜とした将校1万人以上を殺害して、遺体をカティン他3ヶ所に埋めた。

終戦直後のニュルンベルク裁判でも、カティン問題への責任追及は行われないまま終わったという。勝者の犯罪は裁かれることは無く、罰を受ける者は誰もいなかった。

映画の最後に、その虐殺再現場面が置かれる訳だが、次から次へ処刑というか殺害を機械的に「処理」していく無慈悲な有り様は、人間がどこまで残虐になれるのかという一例を示している。この事件は、スターリンという、猜疑心の強い粛清マニアにも思える男が最高権力者の地位にいたために起きた、のだろうか。確固とした理由も乏しいまま、組織的な大量殺人が行われたと見えるだけに、得体の知れない恐怖感を抱かせる。

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2009年12月11日 (金)

「外需」って何?

「外需」という概念は誤解に満ち満ちている。本日付日経新聞市況面コラム「大機小機」(「外需」概念の混乱)からメモ。

第1に、多くの人は「輸出」と「外需」を同義と見ているようだが、この二つの概念は全く異なる。経済成長率を内需と外需の寄与度に分けるときの「外需」とは「輸出マイナス輸入」であり「輸出」ではないからだ。

第2に、多くの人が、外需寄与度が高いことが「輸出にリードされた経済成長」であり、内需の寄与度が高いことが「内需がリードする経済成長」だと考えているようだが、これも誤りである。
外需とは「輸出マイナス輸入」なのだから、輸出が増えて内需があまり増えない場合であっても(つまり輸
出にリードされた成長であっても)、輸入が輸出と同じように増えれば、外需の寄与度はゼロとなり、一見「完全内需主導型の経済」となってしまう。
同様に、輸出が増えなくても、輸入が減少すると外需の寄与度が高くなるので、一見「輸出主導型の経済」となってしまう。

第3に、多くの人は、内需にリードされた経済成長を実現するために、輸出に力を入れず、内需の振興に力点を置くべきだと考えているようだが、これまた誤りである。
高度成長期には輸出が大いに増えて所得を生み出し、その所得が内需を拡大させ、輸入も増えた。輸出、内需、輸入の三者が同時に増加することこそが、真の意味での内需主導型の経済成長をもたらすのである。

・・・ということで、混乱を生む「外需」という概念は使わないほうが無難かも知れない。

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2009年12月 8日 (火)

戦争を語るということ

昨日の夜、NHK「日米開戦を語る」を見た。この夏場に放送した「海軍反省会」を改めて題材にして、半藤一利、澤地久枝、戸髙一成の3氏の話を聞くという内容。

昭和55年から11年間、130回以上行われた「海軍反省会」について、「生き残りエリートの会議」と評した澤地さんが、番組の終わり近くで、「せっかく反省会をやったなら、もう少し人間的痛みがあって欲しい。死んだ人たちも辛いだろうけど、残された人たちの悲しみが、この人たちには伝わっていない」と苛立ちを滲ませながら発言したのが一番印象的だった。

夏の番組を3回とも見た自分も、当事者たちの「反省会」に何となくすっきりしないものを感じていたので、その証言内容の評価とは別の角度から、澤地さんの言葉に頷けるものがあった。自分的には戦争を情緒的に語るのは基本的にバツなのだが、この「反省会」に参加した(血も涙も無い?)エリートたちに対する批判としてはアリだな、と。

この「反省会」の内容には貴重な証言も含まれているのかも知れないが、雰囲気としては何処にでもある会社のOB会の茶飲み話と、それ程異なった印象を受けるものではない。「反省会」を開くこと自体は結構な事だろうけど、それも開戦から40年近く経ってから、というのはいかにも遅い。当事者たちがそろそろこの世を去ろうという頃になって、それぞれの言い分を語り残しておこうという感じが強い(大体「反省会」という名称がユルい。小学生か)。この会合は結局は非公開のまま終わった訳だが、それでも参加者の中には保身的姿勢を崩さなかった人もいたようだ。半藤さんは「日本の組織は失敗を隠す」と指摘して、「反省会」を行った事自体は評価するが、澤地さんは「オープンな反省会をやらないと、日本人はいつまでも同じ事を繰り返すのではないか」と懸念を示す。

「事実としての戦争」を記録する仕事をしている半藤さんは、戦争を知っている人が少なくなるにつれて、「物語としての戦争」が多くなってきていることを危惧している。これは確かに、どうしようもない現実であるとは思うが、とにかく戦争の記録を見たり聞いたり読んだりする側では、これは本当にあったことなんだと自分に言い聞かせるしかない。

そうか、半藤さんも澤地さんも自分の親の世代(昭和ヒトケタ生まれ)なんだな。
自分も、子供の頃は「戦争が終わって14年も経ってから生まれたんだ」と思っていたが、年月を経て戦後60年以上過ぎた今では、「戦争が終わって14年しか経ってない時に生まれたんだ」という感じが強くなってきている。(苦笑)

思えば、自分たちの世代であれば、戦争は「一般教養」だった。子供の頃、教室で学ぶとかではなくて、マンガ、映画、プラモデルで当たり前のように戦争について知った。そんな経験から、「物語としての戦争」から何とか「事実としての戦争」に辿り着く想像力は最低限、身に付けたような気もするが、その辺は今の若い世代はどうなのかな・・・。

どっちにしろ時間は経っていくので、残された記録からどれ程リアリティを感得できるのかという問題は、これからますます大きくなっていくのだろう。

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2009年12月 7日 (月)

最初の捕虜、その後の人生

昨夜のNHKスペシャル「真珠湾の謎」は、最近発見された、海底に沈んだ特殊潜航艇を中心に内容が構成されていた。1941年12月7日に真珠湾に突入した特殊潜航艇は5隻。2人乗りで、計10名の若い軍人が出撃。うち9名は帰らぬ人となったが、大本営は彼らを「九軍神」として祭り上げる一方、ただ一人捕虜となった酒巻少尉の存在を隠蔽した。生き残った少尉はその後どうなっちゃったのかなあと思ったら、ウィキペディアにちゃんと項目があって、つい10年前まで存命だったので「へぇ」という感じだった。

酒巻和男さんは1918年生まれ、1940年に海軍兵学校を卒業。
真珠湾攻撃では乗っていた潜航艇が座礁、自爆装置を仕掛けて同僚と共に脱出。漂流中に同僚は行方不明となり、酒巻少尉は海岸に漂着して捕虜となった。太平洋戦争における最初の日本人捕虜である。
日本軍、日本人が「生きて虜囚の辱めを受けず」という考え方に洗脳されていた時代。酒巻少尉も捕虜収容所で自決を試みるが思いとどまり、他の日本人捕虜にも自決を止めるよう説得。通訳としても働き、アメリカ軍関係者にも賞賛された。
終戦後の1946年に復員後、トヨタ自動車に勤務。ブラジル現地法人の社長も務める。1987年退職。1999年81歳で死去。

・・・終戦直後に本を出した以外は、戦争や捕虜生活について多くを語らなかったらしい。戦時中は捕虜、戦後は大企業サラリーマン。何とも数奇な人生を送られた方だなという思いがする。

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2009年12月 6日 (日)

トラ・トラ・トラや!

日本海軍の真珠湾攻撃を描く映画「トラ・トラ・トラ!」から学ぶ、リスク情報をトップに伝えることの重要性。日経新聞11月30日付コラム記事「リーガル映画館」(中島茂・弁護士)からメモ。

ハワイの真珠湾に対する奇襲は1941年12月7日早朝(米国時間)に始まったが、様々な予兆があった。

早朝、米軍の1隻の駆逐艦から本部に「真珠湾の入り口で敵潜水艦を発見、攻撃を行った」との報告が入ってくる。本部の担当者は直ちに上官に報告するが、上官は「見誤りも多いからな。警告を出すのは確認してからでいい」と司令官に伝達しない。

1人のレーダー担当者は真珠湾に向かってくる無数の飛行機を発見。情報センターに「北方から大編隊が接近中」と報告する。それこそ日本軍の攻撃隊だったのだが、センターの上官は「それは心配ない」と取り合わない。偶然、同じ時刻に米軍の爆撃機が本土から飛来する予定があり、友軍と勘違いしたのだった。

結局、米軍は奇襲にまったく気付かず、真珠湾に停泊中の艦隊は大打撃を被ってしまう。こうした事態を避けるためには、兆しを示す情報について、現場は重要か否かの判断を加えることなく、未確認であっても直ちにトップに伝える仕組みが必要だ。

・・・映画の中で空襲が始まった後にも、潜水艦の件の担当者と上官のシーンがある。本部に駆けつけた上官。事務所の窓の外には炎と煙に包まれる真珠湾。呆然とする上官に向かって、担当者は「確認したいと言いましたね。見てください!これで確認できたでしょう!」と言い放つ。(昔テレビで見た吹き替えで、そんな感じのセリフでした)

ハワイの中で現場と管理の意思疎通に齟齬があったことに加えて、ハワイとワシントンの間でも情報を共有する意識に距離があったことが、映画には描かれている。組織内、組織間のコミュニケーションの問題は今も昔も、戦時でも平時でも、アメリカだろうが日本だろうが、変わらないと思える。

(真珠湾に突入した小型潜水艦のことは、今夜のNHK番組でやってた。日本海軍は戦争の始めから「特別攻撃隊」を作って、作戦後は彼らを「軍神」として祭り上げたという事で、海軍も相当罪深いよ)

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2009年12月 5日 (土)

ブログは続くよだらだらと

最近、人様のブログで「ブログが終わる時」という記事を読んだ。
あるブログは、「自分の才能のなさに絶望した」とひとこと記されて、程なく更新が止まる。終わってしまうブログには、それぞれに窺い知れない背景や事情や理由があるのだろうなあとしみじみ感じた。

自分は名古屋在住時にブログを始めてから5年が過ぎた。
名古屋で2年半、東京で2年半と、丁度半々になったところ。
何となく続いているのは、基本的にメモだから。
自分のようなただのサラリーマンに大した考えも文章力もない。
(自分の才能の無さにはとっくに絶望してらあ)
人様のものの見方を引用して集めているだけのブログである。
まずはとりあえず自分の備忘録であるということ。
それが検索などで偶々誰かの役に立つことがあればマイプレジャである。
今年の春頃に脊髄腫瘍のエントリで、同じ病で手術を受けるという若者とコメントのやり取りをした。
自分の経験をブログ記事にしたことで、少しは人の役に立てたかも知れない。
そういう気持ちを持てたことは自分には有り難いことだった。
それはそれとして彼は元気なのだろうか。時にふと気になってるぞ、ヒロ君。

基本的に人様の意見のメモなので、書くことが尽きることはない。
どんな分野にも専門家がいて、世の中にはいろんな意見が溢れているので。
逆にいえば、いろんな意見に自分の感受性が反応できなくなったらお終いだけど。
そうならない限り、能動的に止めようと思うことは多分ないだろう。
そんなゆるいスタンスで、これからもだらだら続くと思う。

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