2020年1月14日 (火)

「アンナ・カレーニナの原則」

『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で、現代の「知の巨人」の地位を獲得したともいえるユヴァル・ノア・ハラリ。新著『21 Lessons』(河出書房新社)の中でハラリは、今日の主権国家が受け容れている単一の政治パラダイムとして、議会、人権、国際法などを挙げて、次のように述べる。

世界にはさまざまな種類の「機能不全国家」が散在しているかもしれないが、国家としてうまく機能するためのパラダイムは一つしかない。このようにグローバルな政治は、「アンナ・カレーニナの原則」に従っている。すなわち、機能している国家は互いにみなよく似ているが、機能不全の国家のそれぞれが、主要な政治パッケージの要素のどれかを欠いているために、独自の形で機能していないのだ。

・・・「アンナ・カレーニナの原則」というのは、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に出てくる言葉、「幸福な家庭は似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれに違う」を元にした半分洒落の造語かと思ったんだけど、検索してみると、ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』の中で書いているらしい。ただしそれは、家畜化できた動物には共通の特徴があり、家畜化できない動物はそうではない、ということを言い表すために使っているようだ。

ある程度の人生経験があれば、不幸な家庭における不幸の有り様や理由は実に様々であると推測できる。幸福な家庭の有り様は分かりやすいのに対して、不幸な家庭の事情は外からは分かりづらい。それゆえ不幸な家庭は恐ろしく孤独だといえる。自分も、どちらかといえば不幸な家庭で育ったという記憶があるものだから、「アンナ・カレーニナ」の言葉は結構切実に感じられるのです。

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2020年1月 4日 (土)

明智光秀が示す「理性の狡知」

雑誌「現代思想」増刊号の特集は「明智光秀」。って、何で「現代思想」で明智光秀なの? 往年の三浦雅士編集長時代も遠い昔だが、それにしても明智光秀の特集とは、目が点になる(古い)ばかりだ。以下に、現代思想っぽいところで、大澤真幸の論考(理性の狡知――本能寺の変における)からメモする。

(桃崎有一郞の説によれば)武士は、結局、「王臣子孫」と「伝統的現地豪族」の合成によって(摂関時代の平安期に)生まれた。「武士は、地方社会に中央の貴姓の血が振りかけられた結果発生した創発の産物として、地方で生まれ、中央と地方の双方の拠点を行き来しながら成長した」。

さて、そうだとすると、武士は、天皇(朝廷)を原点にして遠心力と求心力との両方が作用しており、両者が独特の均衡をとったときに生まれる、ということがわかる。地方豪族の王臣子孫への関係の中には、天皇への従属を支える(天皇への)求心力と、天皇から離れようとする遠心力が、同時に作用していることになる。

武家政権は、天皇制を排除したり、皇室関係者を全員殺害したりすることは、できなかった。武士が武士たりうるための一つの要件が、天皇への求心力の中に入ることだったからである。

こう見てきたとき、信長が例外的な武士であったことに気づく。信長は、天皇への求心力に従わず、それを全面的に相対化した最初にして最後の武士である。信長を継いだ秀吉も家康も、旧に復し、それまでの武士と同様に、天皇の求心力の中で活動することになる。

武士を成り立たせている最初の前提は、朝廷からの独立性の方にある。その意味では、遠心力の方が基礎である。この基底的な遠心力が強くなり、ついに求心力との間の均衡を維持できなくなったとき、信長が出現したのである。

しかし、列島の歴史の理性は、こうした逸脱を許容しなかった。まるでヘーゲルの歴史哲学を例証するかのように、理性の狡知が鮮やかに作用し、光秀は信長を葬り去ったのである。

・・・信長の目指していたのは、それまでの武士を超えた存在、あるいは朝廷を完全に排除した純然たる武家政権だったのか。永遠の謎である。

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2020年1月 3日 (金)

大和、武蔵、信濃

大晦日の午後、NHKBSでは、いずれも再放送で「巨大戦艦・大和」(2012年8月)、「戦艦武蔵の最期」(2017年1月)、「幻の巨大空母信濃」(2019年8月)の3本、合計7時間を一挙放送。しかし何で大晦日に、大和、武蔵、信濃なんだろ・・・と思いつつ、雑感を少々。

存命の元乗組員の年齢は80代後半から90歳台の超高齢者。でも元気な人はすごい元気。大和は沈没時乗組員3,300名超のうち生存者は1割以下の276名。武蔵は同じく2,400名のうち戦死が1,000名以上。生存者のうち640名はその後、地上戦に投入された。だから、存命の方の証言はとにかく貴重。(しかし大和と武蔵は同型艦なのに、沈没時の乗組員数にかなり差があるのはなんでだろう)

大和も武蔵も戦闘時、甲板の上は手足の千切れた死体の山と血の海だった、という証言には身が震える思いがする。そんな話を聞いてしまったら、もう大和や武蔵のプラモデルは作れないな。

フィリピンのシブヤン海に沈む武蔵発見時(2015年3月)の映像記録の分析により、このドキュメンタリーが作られたわけだけど、あの武蔵を発見するプロジェクトって、金持ちの道楽にしてもケタはずれというか、よくやるな~と思う。何でやったのか、ちょっと不思議。

大和型戦艦3番艦から計画変更されて、空母として誕生した信濃。完成直後に、母港横須賀から呉に移動する処女航海の途中、米潜水艦の魚雷攻撃を受けてあえなく沈没してしまった「幻の巨大空母」だ。番組内では、横須賀で信濃について人に尋ねても、「知らない」という答えが返ってきていたが、確かにプラモデルを作る人くらいしか知らない船だろうと思う。(苦笑)

番組を見ると、とにかく信濃は突貫工事で「完成」させて、船体構造に不安を抱えたまま出港したことが語られていた。とはいえ、無事だったとしても、信濃が活躍する機会があったとは思えない。信濃が沈没したのは1944年11月。そのひと月前に武蔵が撃沈されたレイテ海戦では、神風特攻隊が初出撃していた。既に日本には、まともな航空兵力は残っていなかった。ハード(空母)を一生懸命作っても、ソフト(航空兵)が揃えられない状況だった。

沖縄を目指した大和が沈んだのは1945年4月。この時点で日本は降伏すれば良かったのに。と言ってもしょうがないけど。

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2019年12月30日 (月)

じゃこうねずみの哲学

ただ今「ムーミン展」が名古屋で開催中。(松坂屋美術館、2020年1月19日まで)

ムーミン谷の住人の中で、自分のアイドルは「じゃこうねずみ」。しかし残念ながら、じゃこうねずみのグッズは非常に少ない。フィギュアが欲しいと思っているのだが、見たことがない。やっぱりあんまり需要が見込めないのかな。今回の展覧会では、「たのしいムーミン一家」挿絵を使ったポスターカードがあったので購入した。

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「へんくつな哲学者」であるじゃこうねずみは、『すべてがむだであることについて』という本を愛読している。おそらくじゃこうねずみは、ニーチェとかショーペンハウアー系の哲学者なのだろう。

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2019年12月10日 (火)

明智光秀の人物像と謀反の動機

雑誌「歴史道」最新号の特集は「明智光秀」。同誌掲載の磯田道史と呉座勇一、両先生の対談から、呉座発言の一部をメモする。

明智光秀はどういう人物だったのか。なぜ謀反を起こしたのか。この二つは実は密接にからまっているのではないかと、私は思っています。もし巷間いわれるように、光秀が保守的な人物だったという前提に立つならば、信長の改革路線についていけなくなり、いわゆる路線対立によって謀反に至ったという解釈も成り立ちます。足利義昭が黒幕だとか、朝廷が黒幕だという「陰謀論」も、こういった捉え方に親和的だと思います。

しかし、ルイス・フロイスなどの記述によると、光秀は裏切りや策謀を好む人間であったといいます。そうなると、天下取りの野心のために謀反を起こしたという解釈になります。つまり、非常に大雑把に分けるならば、光秀が保守的であったか進歩的であったかが、本能寺の変の動機を規定する重要な要素となっているわけです。これは視点を変えれば、光秀が信長と正反対の人物だったとみるか、比較的近い人物だったかという違いでもあります。

おそらく光秀の人物を、現在知られているような伝統的・教養的・道徳的な人物として作り上げていったのは、信長や秀吉のイメージと鮮やかなコントラストを描きたかったからでしょう。
あくまでも史料に即して歴史を描く歴史学者としては、どこかで見直しを図る必要もあると思います。

・・・この対談のテーマは明智光秀のため、織田信長については詳しく言及されてはいないが、最近は信長についても、革新的人物というイメージに対する批判が提出されている。すると今までの光秀=保守的、信長=革新的という対比が、逆転とまでは言わないにしても、かなりの修正を迫られるかもしれない。そうすると、本能寺の変の原因についても、また違った角度からの見方も出てくる、ということになるのだろう。

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2019年11月29日 (金)

築地本願寺の「ドラッカー経営」

今年定年になった自分は、独り者ということもあり、いわゆる「終活」という感じで、既に自分の骨を納める場所を確保している。その「墓地」は、築地本願寺境内にある「合同墓」。自分は築地の聖路加病院で生まれたので、人生の初めと終わりは同じ場所にするか、という自分でも納得できるようなそうでもないような理由付けもしている。

その築地本願寺、昨夜のテレビ番組「カンブリア宮殿」が特集していた。MCの村上龍、小池栄子が迎えたのは、お寺のトップである宗務長の安永雄玄氏。

いま、築地本願寺はとにかく商売熱心なお寺になっている。共同墓のほか、展開する「ビジネス」はカフェ、グッズや書籍の販売、カルチャー教室、本堂利用の結婚式など多岐に亘る。これらのビジネスを推し進めている安永氏のキャリアの出発点は銀行。そこからコンサルタント業に転じ、多忙な日々の中、通信教育により50歳で僧侶の資格を取得。これが2005年のこと。そして2012年から築地本願寺の経営に関わり、2015年に宗務長に抜擢されたという、フィクションでも思いつかないような展開だ。

安永氏の目指す経営は「顧客主義」。ドラッカーの言う「顧客創造」と「イノベーション」の実践だという。多くの人をお寺に呼び込んで縁を結ぶ(顧客にする)ためには、顧客が何を望んでいるかを見極めてサービスを提供しなければならない。まさに、お寺の経営にビジネス感覚を持ち込んだという感がある。そこにはまた、「檀家制度」が崩壊している中でお寺が昔のやり方を続けていると、築地本願寺でさえ消えてなくなる、という強い危機感がある。

今のお寺には今の時代に相応しい役割があるだろう、と自分も思う。築地本願寺のビジネス展開は、現代社会におけるお寺の在り方を追求する試みでもある。その事業展開と経営力がどのような成果を挙げるのか、とても気になる。

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2019年11月26日 (火)

大河ドラマ踏んだり蹴ったり

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の、帰蝶(濃姫)役の交代に絡んで、今回の不祥事によるものとは違うが、過去の交代事例もネットニュースで紹介されている。特に1974年「勝海舟」は主役の交代だったので、自分もちょっとびっくりした記憶がある。当初主役の渡哲也が病気のため、放映途中から松方弘樹に変わったのだ。自分は「勝海舟」はあんまり見てなかったけど、江戸っ子勝海舟役は、何となく松方の方が「べらんめえ」感があって良かったような気がする。やはり病気による途中交代では、1991年「太平記」の新田義貞の配役が萩原健一から根津甚八に変わったのも、かなりのイメチェンだった。主役ではないけれど、重要人物ではあったし、これも自分には結構強い印象を残した。

今回は放映前の交代だし、「代役」の女優さんは最初からのキャスティングのつもりで、がんばってほしいと思う。

「麒麟がくる」は撮り直しが必要になったため、年初からの通常通りの放映開始は断念されたようだが、見る方は誰も困らない(と思う)し、遅れること自体は別に構わないような気がする。だいたい、今どき一年間のドラマなんて長すぎるだろうと。現在放映中の「いだてん」は低視聴率に喘いでいるが、中身は一生懸命作られているし(阿部サダヲのハイテンションの演技も結構好き)、たぶん半年間の長さにしてテンポよく進めたら、ドラマの魅力がより増したのではなかろうか。要するに長すぎるんだと思う。来年も、明智光秀という前半生は殆ど分からない人物を主人公にして、ドラマを一年間持たせるのは結構大変な感じがする。過去、坂本龍馬が主人公の時も、短い生涯なので同じようなことを思ったわけだが、とにかくこれを機会に、大河ドラマは一年間やることに拘る必要があるのか、そんなことも考えていいような気がする。

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2019年11月24日 (日)

映画「去年マリエンバートで」

映画「去年マリエンバートで」(1961年作品)のデジタル・リマスター版上映を観た。ずいぶん昔、自分がこの映画を観たのは1983年のリバイバル上映。同じアラン・レネ監督作品「二十四時間の情事」(ヒロシマ・モナムール)との二本立てだった。(関係ないけど、ヒロシマ・モナムールというハード・ロックの曲がある。グラハム・ボネットが歌う、割と名曲)

さて「マリエンバート」、36年ぶりに観ても、相変わらずの謎映画という印象。ていうか昔観た記憶は、ラスト近く以外殆ど忘れてた(苦笑)。でも結局これ、お話としては「駆け落ち」の話ってことだね。こういう類の映画を解釈してもしょうがないのかも知れないが、ひとつは約束を巡る男女のすれ違いを見てとれるかも知れない。女にとって一年後の再会という約束は真剣なものではなかったのだろう。しかし、男は約束を果たすために女の前に現れて約束の履行を迫る。男の方が一途で「純情」なのだ。しかも女の態度は、男の本気度を試しているかのように見えないこともない。一筋縄ではいかないのが女の気持ちというものか。
モノクロ映像はスタイリッシュで、画面には静かな非現実感が漂う。この印象から「マリエンバート」を語る際には、マグリット、デ・キリコ、デルヴォーなどシュルレアリスム系の絵画が、しばしば引き合いに出されることになる。この映像に被せて、ナーバスで不安感を誘うオルガン曲が流れ続ける。映し出されているのは、得体の知れない世界であることを暗示するかのように。何が起きているのか、ひたすら字幕を読むしかないので、こういう独白ブツブツ系映画は、吹き替えにした方がいいのかもと思ったりする。でも日本語にしちゃったら、雰囲気が壊れるかな。
結局「駆け落ち」の話を恐ろしく思わせぶりに描いている、それだけの映画といえばいえるかも知れないが、その思わせぶりの描き方を極める(のがいかにもフランス的)ことにより、一つの確固たる世界を構築し提示しているという意味では、唯一無二の映画と評価もできる。

(今年は、「東京裁判」(1983年公開)のデジタル・リマスター版も観たのだが、なぜか自分が昔同じ年に観た映画2本が、36年後の同じ年にリマスター版で現れるというのも、妙な経験だな)

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2019年11月22日 (金)

冷戦終結と「ハプスブルク」

ベルリンの壁崩壊から30年が過ぎたということで、最近の欧米における右傾化、ポピュリズムの席巻と絡めて状況の変化を論評する向きが、このところ目に付いたように思う。冷戦終結時にそこそこ流行った「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)という思想は、自由な民主主義が社会主義やファシズムに勝利した、と考えていたが、30年後の現実は、その自由な民主主義が危機的な状況にあることを示している、というものだ。

30年前の当時について、少し別なことを思い出す。東西冷戦の終わりと共に「中欧」の復活が言われたことだ。それはかつて中欧を支配したハプスブルクの版図の記憶が浮上する、ということだ。実際、「冷戦の終結は、ハプスブルク史研究を大々的に活性化した」(『ハプスブルク帝国』岩﨑周一・著、講談社現代新書 2017年)のである。以下、同書からメモする。

「鉄のカーテン」の消滅は、旧ハプスブルク圏の全面的な交流を可能とした。またマルクス主義史学の影響力の減退により、王権、宮廷、そして貴族を扱った研究が活発になった。
ヨーロッパ統合の進展――とりわけEUの発足と(東方)拡大――は、ハプスブルク君主国をこれと関連づけて考察する動きをもたらした。
近代化と国民国家を理想ないし規範とする見方に疑問が呈され、複合的国制など、「前近代的」とされてきた事象に対する認識が刷新された。またこれに関連して、かつてはもっぱら否定的な概念として用いられてきた「帝国」を、多種多様な国・地域・民族を包含する超域的な政治的枠組みと意味づけ、その可能性を探る議論も、今日「連邦制」や「統合」などをキーワードとして、活況を呈している。

・・・冷戦終結後の経済のグローバル化及び国民国家の存在感の低下と共に、ハプスブルク帝国に新たな光が当てられたようにも見える。近年、グローバル化に対するポピュリズム的抵抗運動(右サイドからの疑似ナショナリズム、左サイドからの反資本主義的な格差是正の要求)が高まっているだけに、ハプスブルクの歴史に学ぶことで、多民族が共存する、多様性を活かす社会体制構築のヒントを得られる・・・かもしれないけど、岩﨑先生は、ハプスブルクを多民族共存のモデルケースとみるのは多分に美化され単純化された見方である、と釘を刺してもいる。

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2019年11月18日 (月)

「秘境駅号」に乗ってみた。

いわゆる「秘境駅」に自分も少しは興味を持っている。けど、是非行きたいという程でもない。でも行くなら今、名古屋に住んでる間かな。と考えて、乗ってみました「飯田線秘境駅号」。JR東海が春と秋に企画する観光列車だ。何でも運行10年目に突入ということで、根強い人気が窺える。

今年の「秘境駅号」のスケジュールは11月16日、17日、23日、24日、週末土日の4日間、いずれも午前の下り(豊橋から飯田)、午後の上り(飯田から豊橋)、合計8本が運行される。自分は17日日曜日の午後、上り列車に乗車。切符を取る時に、乗客は団体客が多いと聞いていたが、実際に当日お昼過ぎに出発駅の飯田駅に着くと、JTB、クラブツーリズム、JRツアーズなどのお客さんが集まっていた。

午後1時過ぎに飯田駅を出発した「秘境駅号」は途中、千代(ちよ)、金野(きんの)、田本(たもと)、為栗(してぐり)、伊那小沢(いなこざわ)、中井侍(なかいさむらい)、小和田(こわだ)、合計7駅の「秘境駅」に停車。乗客は各駅5分から15分程度の下車観光ができる。秘境駅は特急停車駅でいうと天竜峡駅と中部天竜駅の間に集中していて、秘境駅の観光自体は飯田駅出発から約3時間で終了。列車は午後6時前に豊橋駅に到着した。

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為栗駅。山と湖に挟まれた風光明媚な?秘境駅。

 

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田本駅。コンクリの崖の下で秘境駅が混雑してる。(笑)

 

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小和田駅。郷愁を誘うかのような駅舎を持つ秘境駅。

秘境駅、とりあえず行ってみました、という感じではある。今度は天竜峡温泉立ち寄りも含めて、飯田線秘境駅(を車窓から見る)の旅を自分でプランしてみようかな。

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