2009年11月 9日 (月)

朝鮮出兵と石田三成

文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第四章(陶工と朱子学)から、朝鮮出兵における石田三成の立場と思想についてメモ。

石田三成は奉行として全軍を督励する立場にあったから、その指揮を受けることを不快に思う者たちは多かった。一方、三成は徳川家康、前田利家が一兵も渡海させないことを不快に思っていた。彼が島津に対して「国家」の軍役ということを強調していることからも、三成がこれを日本国全体の戦争と考え、それに対する負担は公平であるべきだと考えていたことが知られる。いうなれば彼は、戦争をてことした日本全国の中央集権的な支配をもくろんでいた。
三成は文禄・慶長の役を日本の戦争という形にしようとしたが、それは結局、秀吉の戦争に終わった。

・・・かつて司馬遼太郎は「三成には近代人のにおいがする」と述べた。まあ近代人だから良いってわけでもないけれど、朝鮮出兵における三成の構想が現実化していたら、明治維新よりはるか以前に、日本は「近代国家」へと変貌したのかも知れない。

なお、家康と利家の兵が動かなかったことについて、最初の時点で朝鮮攻撃への賛同を取り付けるため、秀吉が両者に特別の配慮を約束したのではないか、と上垣外先生は推測している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

秀吉「唐入り」の時代背景

P1030326 去る11月3日(文化の日)、2年半ぶりに肥前名護屋城を訪ねた。写真は本丸・天守台。秋晴れの下で、玄界灘は遠くの壱岐まではっきりと見渡せた。今回のメインの目的は名護屋城博物館の企画展(肥前名護屋城と「天下人」秀吉の城)。図録も購入。全く知らないで日程を立てたのだが、当地は「唐津くんち」開催中で、唐津駅には祭り見物に繰り出す人々がうじゃーといた。(汗)

無謀とも思える「唐入り」を企てて、豊臣秀吉は朝鮮攻撃に踏み切った。その時代背景について、『文禄・慶長の役 空虚なる御陣』(上垣外憲一・著、講談社学術文庫)の第一章(開戦前夜)から要点を拾ってみる。

中国・朝鮮の官僚制・国家体制は極めて安定的に存続していたため、伝統的な東アジアの国際秩序に関する観念も保持し続けていた。これに対して日本では応仁の乱以後、従来の政治支配関係が一気に解体。戦国時代に登場してきた群雄は、伝統的な国際秩序など理解もできなければ理解しようもなかった。

中国・朝鮮が海外との交渉に消極的だったのに対し、日本は統制力ある中央政権の欠如という状態にも助けられて、海外に対してはるかに開かれていた。キリシタンの急激な増加と、鉄砲の急速な普及はその典型的な例である。当時の日本は、いわば「意図せざる脱亜入欧」の状態にあった。

豊臣秀吉は「太陽神の子」を自称し、日本は「神国」であるとして、中国皇帝を最高の支配者とする伝統的な東アジアの国際秩序を否定する。秀吉は、日本において自分が中心であるように、世界においても自分が中心でなければならないと夢想した。秀吉にとって、朝鮮や中国は、四国や九州と同様に服属させる対象であり、そこには日本とは民族的にも文化的にも異なった人々が住んでいるという意識は欠如していた。秀吉の要求は屈服か戦争であり、そこに交渉というものが入り込む余地は無かったのだ。

・・・今月最後の日曜日には、秀吉の朝鮮攻撃についてのNHK番組(シリーズ日本と朝鮮半島2000年)も放送予定だし、この近代以前に日本が起こした最大の戦争について、ぼちぼち学んでいこうかと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 1日 (日)

講座「三成・兼続と関ヶ原合戦」

10月31日、長浜城歴史博物館で講座「三成・兼続と関ヶ原合戦」を聴講した。講師は太田浩司・学芸員。NHK大河ドラマ「天地人」の中の場面は、どこまで史実か、という観点からのお話。10のエピソードについて検証されていたが、3つメモしてみる。

(疑問)「関ヶ原」の一年前に、石田三成と直江兼続は、徳川家康挟撃の「密約」を既に交わしていたのか。
(答え)「密約」は文書に残さないだろうから、実証不可能。とりあえず「関ヶ原」直前の慶長5年7月から8月にかけては、三成と兼続が頻繁に連絡を取り合っていたことは、書状類から窺われる。

(疑問)「直江状」の真偽はいかに。
(答え)原本が伝存しないことや過激な文言から、偽文書説が有力だったが、最近は実在に対して肯定的な意見が多い。直江状は家康側からの文書に返答する形になっているが、その家康側の文書は残っているので、直江状の存在も確実ではないか。

(疑問)大谷吉継は負けることを承知で、三成に味方したのか。
(答え)豊臣政権内で吉継は若い頃から三成と行動を共にしていて、もともと非常に親しい仲だった。負けると思っていたとまでは言えない。

・・・そうですよねえ。と思ったのは吉継の話だけど、お家の存亡に関わる重大事を、殿様の「友情」だけで決められたら大谷の家中の者は堪らないよなあ。吉継はたぶん、「流れ」は徳川の側にあることは意識していたと思う。そうでなければ、三成に挙兵を思いとどまるよう説得したりはしないだろう。しかし三成の側に付くことを決心した後は、勝つために全力を挙げると共に、敗北すれば即ち滅亡、という覚悟も決めたに違いない。実際、関ヶ原の戦いにおいて西軍の敗勢が決定的となった時、大将クラスで自害したのは吉継のみであり、その覚悟の深さが窺い知れる。

しかし、歴史の専門家の研究というのは、結局文書の解読という地道な作業なんだなあと思う。まあ専門家が書いてくれた一般向けの本を読んで、あーでもないこーでもないと好きなことを言う歴史ファンでいるほうが楽でございますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月31日 (土)

大谷吉継の首塚

今日はJR東海さわやかウォーキングに参加。朝7時33分東京発ひかりで米原に向かう。10時前に到着。米原駅からスタートして、琵琶湖岸沿いを長浜まで歩いた。

P1030282 今日のコースのポイントの一つが、大谷吉継の首塚。米原駅から歩いて5、6分の所、下多良神社の近く、畑の中にぽつんと立っている祠がそれ。死んだ場所である関ヶ原には、敵方の東軍の武将が建てた吉継の墓があるけど、その吉継の首塚が何でこんな所にあるの?・・・案内板も何も無くって、ホントにこれがそうなのって感じで、言い伝えということなんでしょうけど、ちょっと謎。

P1030307 ゴールに設定された長浜の曳山博物館の広場では、戦国武将のグッズ販売が行われていた。首塚を見てきたことだし、ワタシはちっちゃいぬいぐるみのキャラ「大谷にゃんぶ」を買ってみました。なかなか凛々しいカワイイ感じです。「石田みつにゃん」「島さこにゃん」もあったけど、西軍だったらやっぱり大谷だよ。

ウォーキングを終了した後は、急ぎ長浜城(歴史博物館)へ向かい、午後1時30分からの講座「三成・兼続と関ヶ原合戦」に参加。大河ドラマ「天地人」の中の場面はどこまで史実か、というお話を聞きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月30日 (金)

内田樹の「婚活」批判

「チームを作れない若者よ、結婚して修行せよ」と唱えるのは、内田樹・神戸女学院大学教授。しかし内田先生は「婚活」には批判的。雑誌「SIGHT」秋季号掲載のインタビューからメモ。

僕は婚活なんて推奨してませんよ。婚活っていうのは、世界のどこかにベスト・パートナーがいるから一生懸命探しましょうっていうイデオロギーでしょ。僕はそれとは違うもの。誰と結婚しても同じですよって言ってるんです。目の前にいる異性10人のうち7人とだったら「まあ、結婚できるかな」と思えるようになれたら「人生の達人」だって(笑)。

婚活というのは就活と同じなんですよ。「適職」っていう言い方があるじゃないですか。要するに、「世界中であなただけにしかできない仕事がどこかにあるから、それを求めて探し続けなさい」っていう。この「適職イデオロギー」と、婚活の「ベストパートナー・イデオロギー」って、実は同じロジックでできているんです。「この世界にあなただけの、赤い糸で結ばれた宿命のパートナーがいます」と。就活と同じでしょ。

それに対して、僕は「誰と結婚してもあまり変わらないんだから、いいから早く結婚しなさい」って言っているわけです。全然、悲観的じゃないですよ。むしろ楽観的なんです。どんな人にもみんなそれぞれ「いいところ」があるんだから、「いいところ」を見つけて、そこを軸に共同生活してゆけば、まあなんとかなるんじゃないのって。

・・・なるほど、これはなかなかリアリズムというか、ポジティブな智恵ですな。

「適職」にせよ「ベストパートナー」にせよ、人生における最高最適を目指す理念は、その現実性が低い場合には往々にして、人生に対して抑圧的なものとして働く・・・そんな逆説を孕んでしまう理念が、「イデオロギー」と呼ばれてしまうのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月26日 (月)

日本は「NDC」

今週の「日経ヴェリタス」(10/25号)からメモ。

最近、「NDC」という言葉がマーケット関係者の間で広がっている。Newly Declining Countryの略で、「新たに出てきた衰退国」を意味する。

海外のリサーチ会社が「日本はNDC」と指摘した。もともとは、ドイツのキール世界経済研究所の所長を務めたヘルベルト・ギアーシュ氏が2000年代はじめのドイツを形容する際に使った表現だった。

バークレイズ・キャピタル証券の森田京平チーフエコノミストは、「民主党の政策の中身と方向性が見えず、日本に対する投資家の不安が募っていることが背景にある」と話す。

・・・去年の「Japain」に続いて、日本に対するネガティブ目線の言葉が出てきたな。(ため息)

「政権交代」は実現したのに、何となくスッキリしない、モヤモヤ感が漂ってる。かつて小泉政権は改革イメージを明快に打ち出していた。それは「幻想」だったのかも知れないが、「小泉劇場」の頃が懐かしいという感覚もある。何よりあれくらい明快だと、外国人投資家が日本株を買ってくれるという効果もあった訳だし。

話は少し違うけど、先週末の「朝まで生テレビ」を録画して見たのだが、「若者に未来はあるか」というテーマのはずなのに、「民主党に改革はできるか」みたいな話に仕切られていて、何だこりゃあって感じだった。どうも「朝生」は人が多すぎる。とりあえずアズマさんとジョーさんの話をもっと聞きたかったけど。まあ何というのか、こんな番組を眺めても、日本は救い難い状態になってるような気がするよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月25日 (日)

秀吉、ザ・グレート!

歴史上の人物に対する「世評」は果たして妥当か。『本当は偉くない?歴史人物』(八幡和郎・著、ソフトバンク新書)は、古代から昭和・平成に至るまで70人の人物を取り上げて考察。とりあえず戦国時代の三英傑を見ると、織田信長の「世評」は「やや過大評価」。徳川家康も「過大評価」で、「過小評価」されているのは豊臣秀吉。著者の見るところ、秀吉は「ナポレオンに比肩する近世社会建設者」なのだ。以下にメモ。

近年、橋下大阪府知事や河村名古屋市長、あるいは小泉元首相が典型的だが、「破壊者」であることが人気を博しており、だから織田信長の人気がある。

だが、当たり前のことながら、破壊は建設のための手段にすぎない。そういう観点からすれば、秀吉は戦国の諸大名や信長の事業を「いいとこ取り」するかたちで、法令の整備、兵農分離など身分制度の整理、権威としての朝廷の尊重、通貨制度の確立、統一税制の樹立、度量衡の統一、交通インフラ、江戸や大坂といった拠点都市の選定や整備などをすべて一人で成し遂げた。それはナポレオンに匹敵するものだ。

ナポレオンの業績も、アンシャン・レジームに萌芽があったり、ジャコバン政府によって開始されたものがほとんどだが、それを国家や社会の仕組みとして体系的なものに仕上げたのは彼であり、秀吉の仕事もそれに似たものだ。

秀吉の死によって、家康が天下を取ったことから、秀吉による近代化政策は後退し、日本が国際舞台で一流国として振る舞えるのは明治維新を待たなければならなかった。

そもそも、秀吉人気は江戸時代ですら抜群のものであった。幕府の禁圧にもかかわらず、『太閤記』は人々に愛された。戦後は、高度成長時代のサラリーマンにとって憧れの的だった。それが、日本人が後ろ向きになったのと軌を一にして人気が低下したのである。もし、秀吉人気が信長や家康を上回るようになれば、それが日本復活のときだろう。

・・・戦国という永い混乱の時代の果てに現れた「織豊政権」は、驚異的な牽引力でポスト戦国の新しい日本国を建設した。冷戦終焉とバブル崩壊の混乱が続いた後の日本が本当に復活するためには、織豊政権並かそれ以上のパワーと勢いが欲しいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月21日 (水)

グローバル化とシチリア

日経新聞「やさしい経済学」欄で、10月第二週から始まった「歴史から見る現代」の連載が今日で終了。執筆者は高山博・東京大学教授。中世シチリア王国研究の第一人者。「やさしい経済学」で歴史の話?・・・いやいやそれが我々には必要なんです。メモしませう。

(グローバル化の影響を受けて)歴史学の世界も今、大きな変容を遂げようとしている。近代国民国家を主たる準拠枠として発展してきた近代歴史学が急速に力を失い、国境を越えた動きを整合的に説明できる歴史が強く求められるようになってきたのである。

ヨーロッパでは、近代国民国家が成立する時期に、それまでの様々な歴史が、国の歴史へと整序されていった。19世紀のヨーロッパでは、国家成立史を中心に歴史学の急速な発展を見たのである。この時代には、時間の流れや集団の記憶としての歴史を含む様々な差異が、近代国家の枠組みで統合され、平準化されていった。つまり、それまで重層的に存在していた多様な法慣習・言語・文化の広がりが国境によって分断され、国ごとに固有の時間や歴史が再編されたのである。

グローバル化の進展は、そのような国ごとの歴史に大幅な修正を求めることになるだろう。今私たちが新しい歴史の枠組みを必要としているのは、私たち一人ひとりが自分の生きる世界を認識するために、従来とは違った歴史像を必要としているからなのである。必要とされているのは、複数の人間集団や国家、様々な文化圏を包含する世界史である。

多くの人たちは、歴史学を含む人文学などを役に立たない趣味の学問だと考えているようだが、人間や人間集団、社会を研究対象とする学問であり、人間が生きていく上で非常に有用な知や洞察力を与えてくれる。それらは、長期にわたって有効性が持続する知である。虚学どころか、きわめて実践的な学問だということができる。

私の主たる研究対象は、イスラーム文化、ビザンツ文化、ヨーロッパ文化が接触・交流し、アラビア語、ギリシャ語、ラテン語の史料が残る中世のシチリア島である。この中世シチリアは、現在の世界を見るための理想的な場所でもある。グローバル化が進展し統合が進む現在を理解するには、複数の国や文化圏を含む過去との比較が必要となる。中世シチリアのような過去の世界と比較することによって、私たちは現在の自分たちの位置や状況をより正確に認識できる。

・・・自分の年代(50歳絡み以上)ならば、「ゴッドファーザー」という映画の影響はかなり強いはずで、シチリアへの関心もまずはそこからになるのだが、加えて最近は、シチリア出身の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を知り、高山先生の研究成果にも触れて、シチリアという場所への興味を、改めてかきたてられつつある。できればシチリアに行く機会を作って、グローバル化の「これから」についても何かを感じてみたいもんだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月20日 (火)

カツマVSカヤマ

勝間和代と香山リカ、この間「アエラ」で対談してたよなと思ったら、今度は「週刊現代」にも対談記事。こういうのって珍しいんじゃない?って感じ。それだけ今話題の「対決」ということか。「週刊現代」では、二人はお互いの違いについてこう発言している。

香山 私と勝間さんの最大の違いは、一日8時間、月曜から金曜まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルと捉えるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。
勝間 でも、そうしないと、単純に社会がサステイナブル(持続可能)ではないですよね。
香山 私は、もう少しばらけていてもいいと思います。
勝間 私は、人間はみんなすごい能力を持っている、と思っています。私と香山さんの発想の違いは、そこにあると思うんです。自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。

「人間はみんなすごい能力を持っている」というのは、才能のある勝間だから言えること。強い向上心を持って努力し続けるのが、人間の「標準モデル」であるはずもない。それは香山の言う通りだろう。みんながみんな自己啓発に励まなければ社会は持続できない、とも思えない。結局は向上心の強い少数の人間がいれば社会は回っていく。要するにエリートと普通の人という在り来たりの図式になる。エリートを目指す人は「カツマー」になって頑張ればいいし、頑張らない人は「カヤマー」でいい。それだけの話だ。

でも、そこに「幸せ」という言葉が投げ込まれたために、話は妙にややこしくなっている印象がある。幸福というのは所詮、個人の価値判断。「頑張る」「頑張らない」、どっちが「幸せ」かいうのは、結局それぞれの人が考えること。「決着」が付くような話でもない。

とはいえ、「カツマー」大量発生の背景には、今の世の中が「競争社会」「能力主義社会」だということはあるのかも知れない。特にエリートを目指さなくても、頑張らないと脱落するという一種の強迫観念が社会を薄く覆っているとしたら、異様にポジティブな「カツマー」も社会的病理の現れと見えないこともない。

まあ正直、余りにもポジティブで向上心の固まりみたいな人は苦手だよ。(苦笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月19日 (月)

とうとう50年間も

生きてしまったよ。

最近の日経新聞「交遊抄」の中にあったチェスタートンの言葉によると、「たった一人の女、たった一人の友」でも、「懸命に生きなければ手に入らない」とのことで、どうも結果から見ると自分は懸命に生きてこなかったかもな、と内心忸怩たるものを感じるのであります。

少なくとも、誰かと何かを深く共有することに失敗した人生、とは言えるかな。

でもまあ結局、自分自身について確かめてきた年月だったような気がする。俺ってこういう人間だったんだ、最初から大体分かってたんだけど、やっぱりねって感じ。

それはそれとして、年を取れば男は誰でも「変なおじさん」になるのだなと、最近自覚したところ。(苦笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«小田原一夜城まつり