2017年2月19日 (日)

『応仁の乱』に注目

中公新書『応仁の乱』(呉座勇一・著)が、販売部数10万部を超える注目の本に。同書は、先日発表された「新書大賞」(中央公論新社主催)でも、昨年発行の新書ランキング5位の評価を獲得している。毎日新聞サイト本日付発信記事(「不人気」応仁の乱、異例のヒット)から以下にメモ。
 
本書の読みどころは、広く知られた定説を覆すところにある。
まずはこれまでの説をおさらいしてみよう。銀閣寺(京都)を建てたことで知られる室町幕府八代将軍の足利義政が文化に力を入れるあまり政治に関心を示さなくなり、弟義視(よしみ)を後継者に決めた。しかし、「悪妻」とされる日野富子が、その後産んだ義尚(よしひさ)を後継ぎにしようと「ごり押し」したことで、それぞれの後見である細川勝元(東軍)と山名持豊(宗全、西軍)をはじめとする有力大名が争った――と伝えられることが多かった。
 
しかし、呉座さんは「日野富子の悪女説は(歴史上の合戦を題材にした文芸作品である)軍記物『応仁記』が起源です。近年の研究で虚構性が指摘され、歴史学界での富子への評価は、経済面から幕府を支えた存在に変わりつつある」と解説する。きちんとした史料には、富子が直接的に開戦に関与した形跡は見当たらず、義政も政治に無頓着なわけではなかったという。
開戦の直接的なきっかけは、有力大名だった畠山氏の家督争いだが、さまざまな思惑を持って多くの大名が戦乱に参加し、京都は焼け野原になってしまう。
1467年に始まった戦乱は1477年まで延々と続く。そして結局、勝者も敗者もはっきりしないままに終戦を迎えた。一言で言えば「ぐだぐだ」である。

売れ行きは好調だが、決して易しい本ではない。開戦26年前の六代将軍・義教(よしのり)暗殺(嘉吉の乱)など戦乱に至るまでの背景も丹念に描き、巻末の人名索引は約300人もの名前を掲載する。入り組んだ人間関係を過度に図式化することは避け、興福寺(奈良)の高僧が残した日記などを基に「同時進行ドキュメント」のような一冊にしたのは、呉座さんが「この先に何が起こるのか知るよしもない当時の人々の視点から、乱を描きたかった」ためだ。

・・・確かに、応仁の乱は「ぐだぐだ」ゆえによく分からない戦いだから「不人気」であるのだと思う。でもだからこそ知りたいという潜在的欲求があり、それに応えたのがこの本であるということなんだろう。でも店頭でぱらぱら見たけど、確かに簡単に読める本じゃないんだよね。ということで、自分はとりあえずもう少しやさしめな『戦国時代前夜 応仁の乱がすごくよくわかる本』(じっぴコンパクト新書)を買いました。(苦笑)

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2017年2月12日 (日)

『1984年』、米国で再読気運

新宿の書店「ブック・ファースト」で、最近アメリカで売れている小説として、ジョージ・オーウェルの『1984年』がディスプレイされているのを見て「へぇ」と思っていたら、今朝のTBS「サンデーモーニング」でも、その話が取り上げられていて、ますます「へぇ~」という感じだった。
 
1949年に出たというこの小説を、自分は読んでないけど、とりあえず鮎川信夫の晩年の名コラム「時代を読む」から1983年末に書かれた文章(「オーウェル『一九八四年』」)の一部をメモしてみる。
 
(『一九八四年』は)六十二ヵ国に訳され、何千万の人に読まれたというから、迫りくる全体主義国家の恐怖のイメージは、世界じゅうの人たちに悪夢を植えつづけてきたといってよいだろう。
オーウェルの描いた全体主義国家の像は、明らかにスターリン体制をモデルにしている。偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)はスターリンだし、人民の敵ゴールドスタインは、トロツキーである。党の三大スローガンは、戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力であるだが、一党独裁の国家なら、これぐらいの詭弁は朝飯前のことだろう。党員は、テレスクリーンや隠しマイクで看視されていて、偉大な兄弟や党に反逆すれば、容赦なく粛清される。
完全な虚構(フィクション)であり、極度に劇画化されているが、これはどうみてもスターリン体制以外のものではない。
歴史も、現実も、人間も、スターリン体制下では、いかようにも変造可能である。こうしたオーウェルの認識は、きわめてペシミスティックで、暗い。洗脳されて、考えることをやめた主人公は、最後には偉大な兄弟を、本当に愛するようになってしまうのである。
 
・・・『1984年』は概ね、超管理社会、全体主義、国家による洗脳を描いた物語だと思われるが、アメリカにおける関心の高まりは、「オルタナティブ・ファクト」(別の事実)や「ポスト・トゥルース」(真実軽視)という言葉が流通する昨今の社会状況が背景にあるんだろうから、ひとまず「洗脳」に対する理解の手がかりとして注目されているような感じ。
 
最近、目に付いた指摘によれば、SNSに熱心な人は自分の意見と同様の意見を集める傾向があるという。そうだとすると今は自分で自分を「洗脳」するような感じになるのかな。まあとにかく、いつでも自分とは異なる意見に接してものを考えないといかんね。

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2017年2月11日 (土)

大統領令の威力

TPP離脱、メキシコ国境に壁を建設、イスラム圏からの入国制限等々・・・トランプ大統領が次々に打ち出す大統領令の威力はどれほどのものなのか。本日付日経新聞の「親子スクール」(米国の大統領令って何?)から以下にメモする。
 
憲法は大統領の幅広い権限を認めている。大統領が出す命令、大統領令は法律と同じ力を持っている。
米国の議会は二院制で、法律は上院、下院の賛成を得て、大統領の署名によって成立する。でも、例えばオバマ前大統領は民主党だけど、議会は野党議員が過半数の「ねじれ」状態だった。法律が通りにくいから、オバマ前大統領も大統領令を出すことはあった。
トランプ大統領は共和党出身で、いまは議会も共和党が過半数を占めている。法律を通しにくい状況とも言えない中で、大統領令を出すのは、有権者へのアピールと見られている。大統領令を使って、公約を本当にやるという意志を見せているのだ。
そもそも、米国では法律をつくるのは議員の仕事で、大統領じゃない。だから法律をつくるには議会にお願いするしかない。「一般教書演説」は、大統領がこれからやりたい政策を挙げて、そのための法律をつくるよう議会に訴えかけているのだ。
議会は大統領令を覆す法律をつくれる。また、最高裁判所が「この大統領令は憲法違反」と判断すれば、無効となる。トランプ大統領の思い通りになるかは分からない。
 
・・・いちおう司法や立法のチェックも働く仕組みになっているから、大統領令がすべて完全に実現するとは限らないとはいえ、大統領が就任直後から選挙公約をすぐさま「実行」に移すことは、確かに支持者には大いに満足感を与えるだろうなと思う。

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2017年2月 2日 (木)

吉祥寺人気に陰り

「住みたい街」の代名詞と言えば吉祥寺・・・だったはずだが、その人気にも陰りが見えてきたようで。朝日新聞デジタルの本日付配信記事からメモ。
 
首都圏で賃貸で住みたい駅は目黒、荻窪、武蔵小杉の順で人気が高く、ランキング上位の常連だった吉祥寺は2年連続で11位以下に転落・・・。不動産情報を扱うオウチーノ総研が、オウチーノの賃貸サイトへの2016年のアクセス数を基にランキングを発表した。
 
1位 目黒駅  2位 荻窪駅  3位 武蔵小杉駅  4位 赤羽駅  5位 池袋駅  6位 恵比寿駅  7位 大泉学園駅  8位 北千住駅  9位 三鷹駅 10位 中野駅
 
ランキングを始めた12年の首位は吉祥寺で13~14年も2位だったが、15年からトップ10圏外に転落。代わって14年に圏外からトップに躍り出たのが目黒で、15年も2位につけた。
一方、15年から4位に急浮上したのが赤羽。清水菜保子・主任研究員は「家賃が手頃なのに加え、漫画やドラマの影響もあるのではないか」と言う。
清水さんは「吉祥寺は駅前が発展しすぎて、駅近の物件が少なく、休日の混雑などからも住む街としては魅力が下がったのでは。通勤の利便性なども含め、幅広い選択肢の中から自分に合った街を選ぶようになっているようだ」と分析している。
 
・・・トップ10のうち、目黒と恵比寿はシングル向け家賃の相場が15~16万円台とのことで、「住みたい」けど「住めない」街だな。(苦笑)
 
自分が吉祥寺にある大学に通っていたのは、もう40年近く前のこと。随分昔だなと自分でも唖然とするが。昔の吉祥寺の雰囲気は賑わいと落ち着きが程よくブレンドされていたと思うのだが、今では開発されすぎたという感じかも。上記トップ10に荻窪と三鷹が入っているのを見ると、中央線ライフを楽しむなら荻窪か三鷹に住んで、吉祥寺に遊びに行くというイメージが浮かぶ。どうやら吉祥寺は「住みたい」街ではなく、「遊ぶ」街に変わってしまったようだな。

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2017年2月 1日 (水)

ジョン・ウェットン死去

訃報が飛び込んできた。常にプログレッシブ・ロック界の第一線で活動してきた男、ジョン・ウェットン。1月31日、がんにより急死。享年67歳。
 
2015年春、中野サンプラザで行われた再結成UKのラストコンサートを自分も目撃。まさかあれからたった2年で、ジョン・ウェットンがこの世を去るとは夢にも思わなかった・・・哀しくも残念としか言いようがない。
 
ジョン・ウェットンのキャリアにおいて、代表的なバンドとして名前が挙がるのはキング・クリムゾンであり、エイジアであるかも知れない。しかし70年代ティーンエイジャーである自分にとって、クリムゾンというカリスマ・バンドに比べたら、エイジアの音楽はとてもじゃないがプログレとは呼べないのが正直なところ。
自分が実際にジョン・ウェットンのステージに接したのは1979年のUK来日(日本青年館)、そして30年の時を経た2011年、2012年の再結成UKの来日(川崎クラブチッタ)ということもあり、自分にとってはジョン・ウェットンと言えば、エイジアよりもUK、という印象は強い。
今となっては、UK復活はジョン・ウェットンがこの世を去る直前に我々に遺してくれた奇跡のような置き土産だったと改めて感じるばかりである。合掌。

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2017年1月17日 (火)

競争戦略の目的とは

今や企業経営者の主要な仕事とも言える「事業戦略」や「競争戦略」の構築。その目指すところは高収益。では、高収益を実現する王道とは何か。本日付日経新聞市況面コラム「一目均衡」(「競争戦略」とは何か)からメモ。
 
戦略とは何だろう。私見ではその会社ならではの「価値ある独自性」の追求である。横並びから脱却し、他では提供できない価値を顧客に届けることだ。それが収益力の源泉にもなり、社会貢献にもなる。
 
例えばベビー用品大手のピジョンを見てみよう。同社の売上高は1千億円に満たないが、営業利益率は15%を超え、日本のメーカーとしては例外的な高収益体質を構築した。何が原動力になったのか。山下茂社長は「生後18ヵ月までの赤ちゃんに的を絞ったことだ」という。この年齢の赤ちゃんの哺乳に関わる事項は世界共通であり、「いい哺乳器」を開発できれば、国籍を問わず通用する。
現に母国市場の日本が少子化で赤ちゃんの数が減っているなかでも、海外事業を大きく伸ばし、過去5年で全社の売上高を1.5倍に増やした。
 
見逃せないのは、「何をするか」が明確になれば、「何をしないか」もはっきりすることだ。ベビー服は哺乳器よりはるかに市場規模が大きいが、技術による差別化が難しく、かつ市場ごとに消費者の好みが違うので、参入しない。もっとも山下社長は「最初から明確な戦略があったわけではない。様々な失敗を経て、今がある。今後も試行錯誤は続くだろう」という。
 
・・・独自性の確立こそが事業戦略の目的であり、高収益への道である。しかしその道を見い出すためには、試行錯誤は避けられない。やはり失敗を恐れてはいけない、ということだな。

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2017年1月14日 (土)

ヒロシの語る「ネガティブ哲学」

お笑い芸人ヒロシのインタビュー記事が、なぜか「東洋経済オンライン」から(笑)本日付で発信されているのでメモする。
 
僕は、まだブレークする前、1ヵ月7万円だけで東京で生活していたのです。信じられますか? 毎月いくらの家賃で生活していたんだろうという話ですよね。
一番売れていた時の月収は4000万円。今は手取りで月収60万円くらい。
これだけ金額に差があると、元に戻りたいでしょう、という方はいるかもしれませんが、そんなことは思わないんです。
考えてみれば、おカネはほどほどあれば、いいんですよね。
ただおカネが欲しい、上昇したいというのではなく、自分が大事にしたいことができるかということが、本当は大事なのではないかと思います。だから、また再ブレークという気配があったら、僕はかえって休んでしまうのではないかと思います。しんどいし、普通の生活ができなくなるし。
「頑張らないと、上にいけない」「明るくないと、人に好かれない」
世の中ではいろいろと「こうしなければ、幸せになれない」みたいな話がありますが、それについていけない人はいると思うんです。でも、それについていかなかったとしても、その人なりの幸せや生き方があるのだと思います。
僕もそうですが、ネガティブな人って、やさしかったり、自信がなかったりして、自分の意見が言えないことも多いんです。
そういう人を応援したいなと思っているんです。
(自分のネタのフレーズで)やさしくてうまく動けない人が、笑って元気になってもらえればうれしいです。

・・・小生も「ネガティブな人」なので(苦笑)、ヒロシのいわゆる「自虐ネタ」に応援してもらっている一人です。

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2017年1月13日 (金)

グローバル経済か国内優先か

アメリカの経済学者ダニ・ロドリックは、グローバル化、国家主権、民主主義のトリレンマ(3つ同時に成り立たない)を唱えている。昨日12日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事からメモする。
 
いま欧米で起きているのは、明らかにグローバル主義やグローバル化への反発といえる。
メッセージは「自分たちの問題に注意を払うリーダーが欲しい」ということだ。グローバルな組織や経済勢力を最重視せず、自国の問題に自国の政策で対応する。グローバル経済が自分たちを苦しめるのではなく、役に立つものになってほしい。言い換えれば、政策の優先順位の再調整だ。

具体的にはグローバルな組織や経済統治を改善する努力と、国内経済や社会を改善する努力を再調整することだ。摩擦を生むならグローバル化の優先順位を下げなければならない。
開かれたグローバル経済を繁栄させる最善の道は、国内経済を繁栄させることだ。国内経済がうまく機能しないのなら、健全なグローバル経済など望めない。その状況で自由貿易協定を締結し、より良い国際経済の協調体制をつくっても国内経済の助けにはならない。

市場がトランプ氏の政策に対する期待に沸いたことは意外ではない。選挙でたくさんの約束をするポピュリストが経済刺激への期待を生むことはよくある。

トランプ氏は国内政策の余地をつくろうとしているが、国内優先がすべて正しいわけではない。彼は権威を攻撃し中間層に寄り添うとアピールしながら、政権中枢に金融専門家や大富豪を据え、富裕層の減税を口にしている。(米国で進む)脱工業化の問題も、単にメキシコや中国からの輸入品に高関税をかけても対処できない。彼の政策は目標を実現するようには設計されていない。

・・・経済政策においては、グローバル対応と国内対応のバランスが大事。と言葉では簡単に言えちゃうが、本質的かつ有効な政策を作って実行するのは難しいよなあ~と思う。「我が国に工場を作れ」と、次期大統領がツイッターで強権的に?つぶやくだけで上手くいくのかどうか。

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2017年1月12日 (木)

新たな保護主義の時代?

フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドは、「先進世界では保護主義と開国、つまり自由貿易が代わる代わるやってきた。」「今始まろうとしているのは一つの時代だ」と指摘する。本日付日経新聞「ニュース複眼」面掲載のインタビュー記事から以下にメモ。
 
(米大統領選のトランプ氏勝利、英国のEU離脱決定について)これはポピュリズムではなく民主主義が正常に機能した結果だ。ポピュリズムから民主主義を守ると言っていたエスタブリッシュメントの人々は、実際は少数の権力者の代表としてみられるようになった。

私は資本主義に反対しない。大衆の利益を考慮したエリートが管理する合理的な資本主義に賛成だ。
 
グローバル化は特に英米で途方もない格差を生み、日仏独にもある。この格差は資本の移動の自由と、低賃金の労働力を使うことで生まれた。

自由貿易は絶対的な自由貿易しかない。しかし保護主義にはいくつもの種類がある。ばからしいものも節度あるものもあるのだ。
自由貿易が利益になる段階はあるが、行き過ぎると格差が生まれ、最先進国での工員の給与を抑制し、最終的に世界的な需要不足につながる。
行き過ぎた自由貿易は経済を停滞させる。ドイツや日本、韓国の低い出生率は自由貿易と関連がある。経済的な生き残りに必死になると、子供をつくる時間がない。

自由貿易は忘れねばならない。我々の前にあるのは良い保護主義と悪い保護主義の議論だ。給与水準を守ったり、内需を刺激したりする合理的な保護主義は貿易を活発にする。保護主義が国家間紛争になるというのは嘘だ。保護主義は協力的で敵対を意味しない。

・・・保護主義があれこれ取り沙汰される昨今。しかしグローバル化が進み相互依存が深まる世界の中で、そもそも保護主義なるものが可能なのか。何となく疑わしいんだけど。

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2017年1月10日 (火)

「老後」と宗教の無力化

宗教学者の島田裕巳は、「老後」というものが現代日本人の死生観を大きく変えた、と見ている。雑誌「アエラ」(1/16号)のインタビュー記事からメモする。
 
「老後」という言葉が朝日新聞に登場したのは1984年。戦後、第1次産業から第3次産業へと産業がシフトして都市化とサラリーマン化が進むなかで、「定年」という制度が生まれました。それまでは、基本的に死ぬまで働いていたわけですから、「生」と「死」の二分法でした。
ところが、戦後のサラリーマン世代が最初に定年を迎える80年代中盤以降に「老後」が誕生したことで、人生が3段階になった。老後に「死ぬまでの心配」をしなければならなくなったことは、大きな変化です。
 
同時に、家制度の弱体化も「死の意味」を変えました。日本人の死生観は「西方浄土」「極楽」という仏教的観念と家制度が結びついて醸成されてきました。「死んだら極楽浄土に行ける」「ご先祖様になって家や子孫を守る」と考えることで、「死」は意味を持ちました。
 
日本人には、「世の全てのものは移り変わり、いつまでも同じものはない」という無常観が根底にある。死が身近でいつ死ぬかわからないから、無常の世の中ではない「極楽浄土」に生まれ変わることを期待してきたのです。
 
だが、平均寿命が70、80歳と延びるにつれて、家の"新陳代謝"は滞り、核家族化や病院死の増加によって、死はどんどん遠いところへと追いやられていった。「極楽浄土」や「ご先祖様」という意味は見いだせなくなり、生きることが最大の価値になった。これが今の日本人の死生観なのです。
 
・・・昔は人間は簡単に死んだ。戦争、災害、伝染病、飢饉等々。だから昔の人の気持ちになれば、来世を信じないでやってられっか!というわけで、今生は来世や天国に行くための準備の時間と意味づけられる。しかし今では、新生児はほぼ無事に成人できるし、リタイアしてからの時間も延びた。要するに人間は長生きできるようになった。科学的知見の普及もあり、来世や天国を信じる切迫感は昔よりも大きく低下。これに伴い、人生から宗教的な意味というか目的(あの世の救済)も失われた。今では人生の目的というと「長生き」、加えて「金持ち」というところだろう。これが文明進歩の果てに人間の抱く願望なのか。それは違うぞと思うなら、自分で自分の人生の意味を見つけるほかない。そういう意味では実存主義は今でもそれなりに有効なのかなと思う。
 
しかし有象無象の人生に大した意味があるとは思えない。それこそアメリカ大統領くらいにならないと、自分の人生に意味があるとか言えないなあと。この頃そんな気がしているのであった。

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