2024年5月19日 (日)

大物ロックバンドの「終活」

雑誌「アエラ」5/20号記事「ロックバンドが終活を始めた」から以下にメモする。

大物バンドたちが、次々に“終活”に乗り出している。KISSは昨年12月、コロナ禍での中断もあって長く続いたファイナル・ツアーにようやく終止符を打ち、バンドとしての活動を停止。エアロスミスは、やはり昨年フェアウェル・ツアーをスタートしたが、ボーカルのスティーブン・タイラ―が声帯を痛めて中断。今年9月から来年2月までの新日程が発表されたところだ。

また、ともにヨーロッパの大物バンドであるスコーピオンズとジューダス・プリーストには、フェアウェル・ツアーを行いながら前言を撤回し、その後も活動を継続しているという“前科”がある。それほどバンドの“終活”は見極めが難しいものらしい。

ここまでに名前を挙げたバンドを振り返ると、なぜかハードロック/ヘヴィーメタル系が多いことに気がつく。そして同じように“終活”に意識的なバンドが多いもう一つのジャンルが、プログレッシブ・ロック(プログレ)だ。キング・クリムゾンは2021年11月から12月に来日公演を行ったが、クリムゾンとしての活動はそれ以来行われていない。またジェネシスは2022年3月のロンドン公演でフェアウェル・ツアーを終了。

ただプログレのバンドには、違う形で特徴的な“終活”もある。東京・目白のプログレ専門店「WORLD DISQUE」店長、中島俊也さんはこう話す。「バンドを引っ張ったカリスマ的なリーダーが亡くなった後も、彼らと最後に活動していた若いメンバーがそのイズムを受け継いで、オリジナルメンバーが一人もいなくてもその名前を継続させるという形ですね。フランスの『ゴング』やドイツの『タンジェリン・ドリーム』といったバンドが好例です」

・・・70年代から活躍しているハードロックバンド、プログレッシブロックバンドが終活する、とうとうそういう時代がやってきたんだなあ。まあそもそも最近まで現役だったというのが驚きというか、昔だったら考えられなかったね、70歳超えてハードロックやってるとか。(苦笑)

終活ではないが、ブルーオイスターカルトやユーライアヒープは、50周年ライブやらツアーやらをやっているなあ。ロックバンドが50年続くなんて、やっぱり考えられないよなあ。凄いことだなあ。

ディープパープルも、7月にアルバムを出すというから驚きだ。今のディープパープルなど特に聴きたいわけでもないが、この先ディープパープルの新譜を買うという体験はできないかもしれないので、買ってみようかなとも思う。(苦笑)

プログレだけでなく、ハードロックバンドも、オリジナルメンバーがいなくなっても、音楽継承のために名前を残して続けていく可能性はあるかもなあ。第30期ディープパープルとか。もう伝統芸能で。(笑)

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2024年4月21日 (日)

石垣原古戦場

1600年(慶長五年)9月13日に黒田・細川軍と大友軍が戦った「石垣原の戦い」。「九州の関ヶ原」とも言われる(関ヶ原本戦は9月15日)。

石垣原って、別府にあるのか。別府って古戦場なんだ、知らなかった。(苦笑)

ということで先日、別府を訪れた。目的は温泉ではなく、古戦場。(苦笑)

今は市街地となっている古戦場の、広い範囲に散らばっている陣跡等を見て回る・・・程の気持ちは無い(苦笑)ので、とりあえず黒田・細川軍の陣地である実相寺山を訪ねておくことにした。別府駅(西口)からバスに10分程乗り、「光の園前」下車。そのまま前進して15分程歩くと、ゴルフ場入り口の看板があるので、そこを入って山頂へ。下の写真は、山頂からの古戦場の眺め。向かいの左手の山の麓辺りに、大友軍の陣地があったという。

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戦いはまず、黒田・細川軍が大友軍の陣地前まで攻め込んだが、大友軍が反撃して逆に実相寺山の陣地まで押し返した。黒田・細川軍は追加の兵力を投入する大激戦の結果、黒田・細川軍が大友軍を破り、戦いは決着した。

ところで実相寺山の山頂には大きな仏舎利塔がある。広島、熊本でも、山の上に同じような塔があるのを新幹線の中から見たことがあるので、「あれは何」という感じだったが、ある宗教団体のものらしい。まあ良いとも悪いとも、何とも言えないんですがね。

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2024年4月20日 (土)

杵築の城下町

3月の春分の日前後に初めて大分県に行き、岡城、中津城、昭和の町を見て回ったが、もう少し見ておきたい所が出てきたので、先日大分を再訪。

杵築は「坂の城下町」として知られている所。というか自分は知らなかったわけだが(苦笑)。武家屋敷や寺町、商人の町などのエリアがある。

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杵築城のエリアから、北台武家屋敷に通じる勘定場の坂。

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酢屋の坂。向かい側にある塩屋の坂から見た眺め。

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「きつき城下町資料館」付近から、杵築城(模擬天守)方面を見る。

1600年(慶長五年)当時の木付(現・杵築)は細川忠興の領地であり、細川家の重臣松井康之と有吉立行が城を守っていた。「関ヶ原」の争乱が始まると、旧領の回復を目指す大友義統が西軍側として9月10日、東軍側である細川氏の木付城を攻めたが直ぐに撤退。細川は黒田からの援軍と共に9月13日、「石垣原の戦い」で大友軍を破った。

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2024年4月14日 (日)

Z世代と核兵器

戦争や核兵器に対して、若い世代は深刻な感覚を持っていないみたいだし、それは世界的傾向のようでもある。「ニューズウィーク日本版」4/16号の映画『オッペンハイマー』特集記事の一部を、以下に引用する。

アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアム世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。

彼ら若い世代の70%近くが核兵器は非合法化しなければならないと考えているが、一方で、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督の息子の言葉にうなずく人も多いだろう。Z世代である息子は父親の新作のテーマを聞いて、「核兵器や戦争について本気で心配する人はもういない」と言った。

ノーランはこう答えた――「たぶん心配したほうがいい」。今は若い世代にも心配している人が増えただろう。『オッペンハイマー』の観客の3分の1以上は32歳以下だ。

・・・自分の子供の頃は、第3次世界大戦はアメリカとソ連が核ミサイルを撃ち合って決着をつける、という話がフツーに流布していたし、映画やマンガやプラモデルで戦争を学んだという記憶がある。確かに冷戦が終わりソ連が終了して、「最終戦争」が起きる可能性は殆ど無くなったし、それに伴い、戦争や核兵器についてあれこれ考える必要性が低下したとは思う。けれども昨今、ロシアやイスラエルの行動を見ても、今度はポスト冷戦の時代が終わったと思わざるを得ない状況だ。言い換えれば、またもや戦争や核兵器について本気で心配しないといけない時代に入った、ということかもしれない。

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2024年4月12日 (金)

映画「オッペンハイマー」

昨年夏にアメリカで公開された映画「オッペンハイマー」。今年春にアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門受賞。そして3月末にようやく日本でも公開の運びとなった。何しろ上映時間3時間。自分も年なので、2時間を超える映画を観るのはしんどくなってるし、洋画なので字幕だし、吹き替え版もないしで、それなりに覚悟して映画館に出向いたのだが、演出テンポが良いということなのか、それ程長いという感じはなく観終わった。

物語は、天才科学者オッペンハイマーがリーダーとなって進める原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」を中心に、戦後の「赤狩り」に巻き込まれたオッペンハイマーの聴聞会(クローズドヒアリング)そして公聴会(オープンヒアリング)の三つの流れが、時系列を前後させながら展開されていく。

公聴会場面の中心人物はストローズという政治家で、オッペンハイマーを窮地に陥れた人らしいのだが、果たしてこの人物の話は必要だったのか。この場面はモノクロ映像になるのだが、どういう効果を狙ったのかよく分からなかった。

聴聞会の場面でも、小さな部屋でヒアリングを受けているオッペンハイマーが突然素っ裸になって、なぜかその場にいないはずの昔の恋人とヤリ始めるというヘンなシーンがある。厳しい追及から逃避する気持ちでも表わしているのか何なのか、でもこれ必要かなあと思った。この場面の撮影って、役者さんたちはみんなどんな気持ちで演じていたのだろう、などと余計なことを考えてしまった。

オッペンハイマーとトルーマン大統領の対面場面。「私の手は血塗られている」と言うオッペンハイマーに対し、トルーマンは「日本人が恨むのは爆弾を作った者ではなく、落とした者だ」と言い放つ。よっ、大統領、さすがよく分かってらっしゃる。確かにトルーマンは、日本人にとって最悪の大統領だ。でも、もしルーズベルトが生きていたとしても、やはり原爆を落としたのではないか(小林よしのり『戦争論3』を読むと、そう思う)。

アメリカの原爆開発は、ナチスドイツへの使用を想定していた。しかしドイツは降伏。その後原爆実験は成功。新兵器の威力をソ連に見せつけたいアメリカ。結局、敗北を認めようとしない日本に、原爆は使われることになった。実験が成功してなかったら、日本がさっさと降伏していたら、とは思うのだが、全てのタイミングの連なりは、日本にとって最悪の結末に行き着いた。

ヒロシマ、ナガサキの惨状は描かれないのだが、この映画はオッペンハイマーの原爆開発の物語であり、クライマックスは原爆実験成功であるから、その後の原爆投下は物語の本筋からは外れるということなのだろう。その原爆実験成功の場面は、「我は死、世界の破壊者」のモノローグと共に、まさに黙示録的な様相で迫ってくる。実験成功を喜ぶ科学者たち。お金と時間を使ってきた一大プロジェクトの成功を祝うのは、当然のことだろう。そして戦後、オッペンハイマーは共産主義者との関係を問われ、スパイ疑惑もかけられる。オッペンハイマーの人生、その栄光だけでなく転落も描き出して、映画は終わる。

公聴会のシーンが無ければ、内容ももう少しまとまりが良くなり、上映時間も短くなって(苦笑)、文句の付けられない作品になったと思う。

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2024年4月 8日 (月)

過去30年は企業変革期だった(のか)

シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』の著者、経営学者ウリケ・シェーデは、日本企業の過去30年間は「失われた時代」というよりも、抜本的な企業変革の期間に見える、と言う。「日経ビジネス」電子版4月5日付記事(「失われた30年」は企業変革の期間)から以下にメモする。

1950年代から80年代まで、日本は30年かけて製造技術の面で欧米に追いついた。そして今、最先端技術で競争するために、飛躍的イノベーションの新体制に向けてピボット(方向転換)している。そのために必要なのは新しい戦略、イノベーションの手順、企業カルチャーの変革であり、新しいコーポレート・アイデンティティーを創出することだ。

この変革は20年以上前から始まり、その成果が今、目に見える形で表れてきている。日本企業は賢く機敏かつユニークなプレーヤーとして再浮上し、それに応じてグローバル・イメージも変わりつつある。

この変革スピードの遅さは、日本のリーダーの意図的な選択によるものであり、そこには日本社会の好みが反映されている。あえてゆっくりと変わる利点は、社会に与える大きな打撃がより軽減されることにある。他方、この安定に対して日本が払ってきた代償は、低成長が長期化することだ。しかし今、日本は比較的平等な社会で、失業者も少ない、新しいプレーヤーとして台頭している。遅いことは停滞ではない。それは相違点にすぎず、日本の強みになり得るのだ。

日本経済の現状は「20対80の法則」(パレートの法則)に似ている。これは、少数のインプットでアウトプットの大部分が説明されるという法則だ。例えば、日々の営みを見ると、20%の活動が生産性の80%を左右している。通信、航空、ホテルなど多くの業界では、20%の顧客が売り上げの約80%を占める。現在の日本経済も20対80の法則が働いているような状態にあり、少数企業が日本の好業績の大きな割合を占めていると見られる。日本が前進するためには、先頭ランナーをよく知り、学ぶことが役立つだろう。願わくは、経済全体で好調企業と不調企業の割合を40対60くらいに素早く移行させることができるとよい。

・・・株価が最高値を更新すれば、「失われた30年」も企業変革期だったと見えてくる。というか、現在の立ち位置が変われば過去の意味付けも変わってくる、ということはある。とはいえ変革期としても、低成長の30年は長かったと感じる。

それはともかく、日本企業の20%が好業績で、日本経済を引っ張っているというのは、その通りなんだろう。日経平均株価が最高値を更新する、つまり指数採用の225社の業績が好調としても、日本経済が全体としてそんなに景気が良いとも思えないのは、20対80の法則で理解しておけばよいのだろう。

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2024年4月 3日 (水)

中国人民解放軍は台湾を「解放」する

本日付日経新聞「中外時評」(中国は米国の衰退を待たず)から、以下にメモする。

名は体を表す。「中国人民解放軍」も例外ではない。言わずもがな、中国の軍隊である。ただし「中国軍」と呼ぶのはふさわしくない。中華人民共和国という国家でなく、中国共産党という政党に属する軍隊だからだ。戦う相手は「党の敵」であり、必ずしも外国勢力とは限らない。もともと、共産党が国民党を倒すためにつくった軍隊だ。国内を含め敵の支配下にある人びとを解放する。それを任務とするから「人民解放軍」である。

なぜ国防軍ではだめなのか。研究者に尋ねたことがある。次の答えが返ってきた。「台湾を解放するまで、名前を変えるわけにはいかない」

解放軍の最も重要な任務は台湾の統一だ。それを悲願とする習近平(シー・ジンピン)国家主席は、解放軍に絶対的な忠誠を求めている。習氏にすれば、解放軍の国軍化はありえない。台湾を取り戻すために、武力を使う選択肢は常に党の手中に置いておく必要がある。

防衛省の防衛研究所で解放軍の動向を分析する杉浦康之主任研究官が注目するのは、ロシアのウクライナ侵攻が解放軍の戦略に与えた影響だ。遠隔で操作する最先端の兵器を使って攻めるだけでは勝てない。大規模な部隊を台湾に送り込み、市街戦も覚悟しなければならない。

一方、ウクライナ戦争をへて中国が核戦力の重要性を再認識した点は見逃せない。習氏が台湾有事の際、プーチン氏にならって核の脅しを考えてもおかしくない。杉浦氏は「米中の核戦力が拮抗すれば台湾有事の危険性は増す」と警鐘を鳴らす。

少し前まで、中国の国内総生産(GDP)は2030年ころに米国を抜くとみられていた。習氏を含む中国人の多くは米国が放っておいても衰退し、台湾を守る力は弱まると考えていたはずだ。実際は、米国に追いつく前に中国の成長力に陰りが出てきた。人口の減少が始まり、深刻な不動産不況を起点とする経済の苦境は出口がみえない。

米国が弱くなるのを待っていては、台湾を統一する時機を逸してしまう。習氏がそう判断したとき、台湾有事は現実味を増す。

・・・中国人民解放軍は、中国共産党の、習近平氏の「私兵」である。習氏が一度心に決めれば、いつでもどこへでも動かせる軍隊であると思うと、やはり脅威であるというほかない。

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2024年4月 2日 (火)

エスカレーターでは「並ぶんジャー」

先日訪れた福岡では、地下鉄駅構内にエスカレーター利用のマナーを呼びかけるポスターが貼られていた。(下の写真)

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「ならぶんジャー」という「戦隊ヒーロー」がキャラとして登場し、エスカレーターは立ち止まって両側利用で乗ることを呼びかけている。最近各地のエスカレーター、特に駅では「歩かない」「手すりにつかまる」などの表示が目に付く。名古屋市では、条例でルール化もした。

エスカレーターの片側空けが始まったのは、自分の記憶では1990年代の前半の前半くらいか。テレビニュースで、片側空けが国際ルールであると各局から一斉に伝えられたのがきっかけだったように思う。つまり30年くらい続いている「習慣」ということになる。しかし片側に乗るために長い列ができるなど、合理的とは言えない場面も目に付く。長期間に亘る習慣だからか、各種呼びかけにも関わらず、今のところ、両側立ちに大きくシフトしているとは言い難い。けれど、並んで乗る方が合理的なんジャー、ということで自分も心掛けたい。

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2024年4月 1日 (月)

「幻の天守閣」現る(福岡城)

先週末、福岡城に行った。今は「舞鶴公園」ということだが、結構広い城跡で立派な石垣が残っている。見ると天守台の上に、足場やパイプで組み立てられたと思われる天守型の構築物が。何でも5月31日までの予定で夜の6時から10時、「幻の天守閣ライトアップ」を行っているという。期間限定のイベント用「あやしい天守閣」が出現したという感じ。

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福岡城「幻の天守閣」(天守台南側からの眺め)

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「福岡城さくらまつり」も開催中。(天守台北側からの眺め)

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城の西側にある下之橋御門と櫓。

そもそも、福岡城には天守閣(大天守)は無かった、とされていたが、大天守はあったとする説も最近出ているとのこと。大天守の有無を巡る説は、概ね以下の4つに分けられる。(『九州の名城を歩く・福岡編』、吉川弘文館発行)

①建設された大天守が何らかの事情によって取り壊された。
②当初から大天守は存在しなかった。
③大天守の建造計画はあったが実行されなかった。
④建築の途中で取り壊された。

ということで、大天守があったとしても、ごく短い期間だったようだ。それにしても「幻の天守閣」イベントからは、イメージだけでも天守閣を「再現」したいという、日本人の城に対する思い入れを感じられるな。

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2024年3月31日 (日)

日本株、最高値更新の意味

3月28日付日経新聞コラム記事(株高持続、ドラッカーの教訓)から以下にメモする。

株式市場の歴史から考えるべきことがある。米国最大のバブルは1929年が頂点。そのあとに来たのが大恐慌だ。米ダウ工業株30種平均が次に最高値を取り戻すのが1954年。つまり25年間の月日を費やした。

この54年という年は重要だ。米経営学者ピーター・ドラッカー氏が「現代の経営」を刊行した年に当たる。ゼネラル・エレクトリック(GE)などが取り組んだ経営の分権化を軸に、現代的な管理の重要性を説いた。「マネジメントを発明した」と呼ばれ、米国の企業経営が洗練されていく。「50年代以降の米国の株価上昇は、30年代の大恐慌を経て本当に苦労して米国企業が作り上げた組織革命の成果だ」。米倉誠一郎・一橋大学名誉教授は話す。

50年代は同時に、米国の証券市場も変化していく時期だ。米国の証券史に詳しい日本証券経済研究所の佐賀卓雄名誉研究員は、米国人から繰り返し聞いたフレーズがある。「祖父が大恐慌で株で大損した」
深く記憶に刻まれ、株式には「絶対手を出すな」の世代だ。実際、50年代までの米国の家計は預貯金中心だった。

ただ1世代が入れ替わる歳月が経過し、米企業自身が新たなビジネスモデルで収益力を高めると市場の風景が変わった。持続的な株高局面になるにつれ、「市場に構造変化が起き、時間分散と銘柄分散によって長期的に保有することでリスクを抑えられるとのアイデアが広がっていった」(佐賀氏)。

ゼネラル・モーターズ(GM)が年金基金に自社株を組み入れるなど、それまでは債券中心で安定志向だった年金基金が、50年代から徐々に株式の保有を高め始めた。

市場の価格形成への信頼回復も大きい。バブルとその後の暴落を招いた不正行為を暴き、証券市場制度を整えた。

日本はどうか。もちろん70年前の米国株と簡単に比べられるものではないだろう。ただ日本の株高が持続する条件を照らす手がかりになる。

・・・アメリカ株の最高値更新まで要した時間が25年、日本株はそれを上回る34年。日本のバブル崩壊は、アメリカの大恐慌以上の影響があったのかもしれない。日本株の最高値更新までのプロセスは、会計制度の整備やコーポレートガバナンス改革など、日本企業がグローバル基準に適合していくプロセスであり、今ようやくグローバル投資家から「合格」の評価を得ることができたようである。いずれにしても株高持続のためには、これからも企業組織の改革や証券市場制度の整備を不断に続けていくことが求められるのだろう。

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