2017年8月12日 (土)

ブロントサウルス、「復活」期待

ブロントサウルスといえば、かつては首の長い恐竜の代名詞的存在だったけど、実は先に発見されたアパトサウルスと同じ種類だったということで、その名前も今では正式には使われなくなってしまった。はずだったのだが、最近新たな動きが出てきたらしい。『ここまでわかった![図解]恐竜の謎』(三笠書房・知的生きかた文庫)から以下にメモ。
 
アメリカの古生物学者オスニエル・C・マーシュは1877年に数個の化石を見つけただけでアパトサウルスと命名。その2年後には、新しく発見した別の化石に新種としてブロントサウルスと名づけた。
 
ところが、1903年にアメリカのフィールド自然史博物館が調査を行ない、両者は同一種であるとする結果を発表した。ブロントサウルスはアパトサウルスの若い個体にすぎないという判断であり、学術界のルールにより先につけられたアパトサウルスの学名が生かされることとなったのだ。
 
しかし博物館の調査結果は一般にはあまり注目もされず、ブロントサウルスは子どもや恐竜ファンの間では高い知名度を誇るままだった。1970年代になり、別の専門家が両者の頭骨の酷似を改めて指摘、ブロントサウルスも本来はアパトサウルスであるとして、ようやく広まりだし、恐竜図鑑などからブロントサウルスの姿が消えていったのである。
 
しかしさらなるどんでん返しが。2015年、ポルトガルのヌエバ・デ・リスボン大学の古生物学者オクタビオ・マテウス氏らの研究チームが、両者は別種であるだけでなく、異なる属に分類されるほど似て非なるものだと発表したのだ。
 
ブロントサウルスは完全復活を果たすのか、現在も研究が続いている。
 
・・・新たな発見が続いて、今では恐竜の種類も驚くほど多くなってるけど、それでもやっぱり自分のような昔の「恐竜図鑑」世代には、ブロントサウルス、ステゴサウルス、ティラノサウルス、トリケラトプスが恐竜「四天王」だなと思われるわけで、ブロントサウルスには是非「復活」してほしいな。

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2017年8月11日 (金)

アメリカ大統領は「外弁慶」

アメリカ大統領というと強大な権力を持っている。ように思えるけど、実はできることは極めて限られている、らしい。「日経おとなのOFF」9月号特集「日本と世界の大問題なるほど!講座」の中の解説を、以下にメモする。
 
アメリカ大統領が強い権限を持つのは、外交と軍事だけ。外交では条約を締結する権限を持ち、軍事では軍の最高司令官となっている。
アメリカから見て外国にいる人々(例えば日本人)が、アメリカ大統領のニュースに接するのは、まさにその外交と軍事の場面だろう。
 
だが、その外交と軍事に対してさえ、権限は絶大とはいえない。例えば外交だと、条約の締結はできるが、上院で3分の2以上の賛成による批准が必要。
また軍事でも、大統領は軍の最高司令官なのに、宣戦布告する権限を持っていない(議会が持っている)ため、戦争を始めるときには、事前に議会の同意を得るようにしている。
 
国内政治に至っては、できないことばかりだ。まず予算の編成ができない。予算編成権は議会が持っている。法案を議会に提出できない。アメリカではすべて議員が法案を発議する議員立法である。
 
では、国内でできることは何か。まず、一般教書や予算教書という形で、議会に対して勧告すること。ただ、あくまで勧告なので、議会にとっては参考意見の扱いだ。次に、議会が作った法案を拒否すること。3つ目は大統領令を出すこと。ただし、これは行政部門に対する命令でしかない。
 
こうして見ると、アメリカ大統領は、外国では華々しく活躍する、内弁慶ならぬ"外弁慶"と評するのがぴったりのようだ。
 
・・・ということでアメリカ大統領は、とりあえず外交と軍事では充分圧倒的な権力を行使する姿を演出できる。とすれば、内政面に停滞感が強いトランプ大統領が外交面に突破口を見出そうとする、つまり北朝鮮攻撃に踏み切る可能性も低いとは言い切れないだろうなあ。

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2017年8月10日 (木)

名古屋城、石垣保全も大事と

名古屋城天守の木造復元に向けて邁進する河村たかし・名古屋市長の前に、「天守復元より石垣修繕の優先」を訴える有識者が立ちはだかる――本日付日経新聞記事からメモ。
 
名古屋市は9日、名古屋城天守閣の木造復元に絡む石垣整備を議論する有識者委員会(石垣部会)を開いた。
これまでの部会では、委員から市の石垣調査計画に対し、「石垣保全より木造復元を優先している」と批判が相次ぎ、2022年12月の天守閣竣工の工程を見直すべきだとの結論になった。

河村たかし市長が掲げる木造復元で目下最大のハードルになっている石垣部会。この日、市側は天守閣の周辺15ヵ所で発掘調査を、10ヵ所でボーリング調査をする計画を説明した。大きな異論は出なかったが、奈良大の千田嘉博教授が、現在進んでいる石垣の史実調査の
主体を尋ね、市が「竹中工務店と一緒にやっている」と答えたところ、会議の雰囲気が一変した。

千田教授は「特別史跡の名古屋城は国民共通の財産だ。名古屋市が責任を持ってやる以外にない」と強調。佐賀大の宮武正登教授も「手が足りないから外注というのはだめだ」と苦言を呈した。市は名古屋城担当として考古学が専門の学芸員を専任1人、併任1人充てているが、日常業務も多く、木造復元に向けた調査や資料の作成は竹中工務店が多くを受け持つ。
竹中の担当者が示した資料の内容にも委員から批判が相次ぐなどし、この日は用意していた議題を全部こなせずに時間切れ。今後の議題になお火種を残す格好となった。
 
・・・千田教授といえば、お城好きにはお馴染みの先生。そのお方の意見を、あだやおろそかにはできますまい。
しかし、お城は基本的に戦いのためのものであり、天守など建物の内部は殺風景そのもの。現在進行中の本丸御殿の復元は、建築物として見所があるから良いと思うけど、天守はわざわざ木造復元する程の価値があるのかどうか疑問。

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2017年8月 3日 (木)

ROE対ROA

ROEかROAか、それが問題だ――本日付日経新聞総合面コラム記事「ROEは万能か?」からメモする。
 
政府が6月に公表した成長戦略「未来投資戦略2017」は、企業の稼ぐ力を測るモノサシの一つである「総資産利益率(ROA)」の改善を新目標に掲げた。企業統治改革で重視してきた自己資本利益率(ROE)とは異なる指標が突然目標に据えられ、投資家や企業には戸惑いの声も広がる。
 
ROEは、企業の最終的なもうけである純利益を、株主が投じた資本と利益の蓄積を合計した自己資本で割って算出する。企業が自己資本をどこまで効率的に使って利益を稼いでいるのかを表す「株主目線」の指標だ。
一方、ROAは純利益を総資産で割って算出する。総資産とは株主の持ち分である自己資本だけでなく、銀行借入金など他人資本も使って企業が積み上げてきた工場、店舗、在庫、現金などの企業の財産だ。この全ての資産を活用してどこまで企業が効率的に稼いでいるのかを示すのがROAで、事業を行う「従業員目線」に近いとされる。
 
ROAとROEには密接な関係があり、ROAに負債の活用度合いを示す「財務レバレッジ」を掛け合わせるとROEになる。このため苦労して利益を増やさなくても、負債を増やしたり、自社株買いや増配で自己資本を減らしたりする、財務テクニックでもROEは改善する。
日本企業は内部留保が厚く、財務レバレッジが低いと思われがちだ。実際は海外企業とほぼ変わらず、問題はROAの低さにある。ROEだけを目標にすると、低収益という最大の問題を覆い隠してしまう恐れがある。
 
2%台のROAを欧米並み(4%台)に引き上げるための最大の原動力は事業再編だ。日本企業は投じる資本に見合った収益を上げていなくとも、黒字であれば事業縮小や撤退には踏み込まず、供給過剰の事業環境を招いてきたからだ。
政府はROA目標の設定に合わせ、企業が円滑に再編に動けるよう制度改正で後押しする。
 
・・・分母が自己資本か総資産かで悩むより、まずはシンプルに売上高利益率をひたすら上げることを考えるべき。ですかね。

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2017年7月31日 (月)

ROEが示す企業の行動パターン

日本企業の自己資本利益率(ROE)は10%に満たない水準であり、米国企業のおよそ半分にとどまる。2016年度の日本の上場企業のROEは8.68%で、これはバブル最盛期の1988年度の8.65%とほぼ同水準。しかしその中身は大分異なるものだという。日本経済新聞電子版7/30付記事「日本企業のROEはなぜ1桁なのか?」からメモする。
 
ROEという指標は事業の総合的な採算を表す「売上高純利益率」、資産の効率利用の度合いを測る「総資産回転率」、負債の多寡を示す「財務レバレッジ」の3要素に分解して考えるのが一般的です。
この3要素に分解すると、昨年度がそれぞれ「4.37%、0.78回、2.55倍」だったのに対して、88年度は「1.88%、1.14回、4.02倍」となっています。バブル期に比べ直近の数値が上昇している、すなわち計算上はROEの押し上げにつながる項目は「利益率」だけで、「回転率」と「レバレッジ」は低下しています。
 
ここから、過去四半世紀余りの日本企業の行動パターンが浮かび上がります。まず、過剰債務の解消に向けて銀行などからの借り入れをひたすら返済してきた姿です。これがレバレッジ低下になって表れています。財務体質の改善は経営にとって決して悪いことではありませんが、適度な借り入れによって負債と資本のバランスを調整することは、洗練された財務戦略の一つでもあります。良くも悪くも、日本企業の財務行動にはこの視点が欠けています。
 
もう一つ気になるのは、総資産回転率の低下です。通常、この回転率が1倍を下回ると、企業が収益を生みにくい資産を持ちすぎていると解されます。
何が無駄なのでしょう。企業によって事情はさまざまなのでしょうが、思い当たるのは過去最高水準に積み上がっている手元資金です。昨年度末は1年前から約3兆円増えて112兆円になりました。一般的に手元資金は平均月商の1倍強もあれば十分とされますが、112兆円という水準は2倍にも相当します。
 
手元資金積み上がりの理由を企業に聞くと、最も多いのは「不確実性への備え」です。リーマン・ショックに続き東日本大震災も経験した日本企業は、先行きへの警戒心が非常に強く、万が一への備えとして現金を多めに持つ習性がついているのです。
 
借入金を返し、収益を生みにくい資産を抱えるなかでROEを高める方法は、売上高純利益率の上昇しかありません。王道は値上げや、利益率の高いプレミアム製品・サービスを世に出して利益率を高めることです。
 
・・・バブル崩壊後の日本企業の行動は、基本的にリスク回避傾向の強いパターンのまま現在に至っている、と言えそうだ。

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2017年7月30日 (日)

山名宗全の「クーデター」

昨日29日、ベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著者、呉座勇一先生の講義を聴きに行った(於:京都駅前の「メルパルク京都」)。
 
呉座先生が応仁の乱に係わるテーマとして「足軽」の話をすると、余りウケないとか。で、多くの人の関心が向くのは「日野富子・悪女論」。応仁の乱が起きたのは、室町幕府八代将軍足利義政の妻である日野富子の振る舞いが大きく影響している、という見方は正しいのか。当日の話もこの辺が中心だった。
 
結論的に言えば、足利将軍の後継者問題と、有力守護大名の勢力争いを結びつけて応仁の乱の要因とする理解、つまり義視(義政の弟)を支援する細川勝元VS義尚(義政の子)の母である日野富子が頼った山名宗全という図式は、事実を映したものとは言い難いということだ。
 
まず以下のような事情がある。
足利義視の妻は日野富子の妹である。(富子と義視は義理の姉弟)
細川勝元の妻は山名宗全の養女である。(勝元と宗全は婿と舅の関係)
山名宗全は次期将軍候補である足利義視に早くから接近していた。
という状況から、各人の関係は悪いものではなく、将軍職の継承についても足利義政→義視→義尚の順番はほぼ既定路線として了解されていたという。
 
むしろ義尚の養育係である伊勢貞親(義政の側近)が、義視の排除を義政に働きかけて、これに山名宗全、細川勝元が強く反発。逆に貞親ら側近たちが失脚する事態となった(文正の政変)。政変後も足利義政は将軍職に止まり、これを細川勝元と管領の畠山政長が支える政権の形となったのだが、この細川派優位の体制に宗全は不満を感じていた。
 
そこで宗全は巻き返しを図る。文正元年(1466)年末から翌年正月にかけて、畠山政長のライバル畠山義就に上洛を呼びかけると共に、義政に働きかけて、畠山家の当主を政長から義就に、さらに管領も政長から斯波義廉(宗全の娘婿)に代えることに成功。政権の中枢を山名派で占める宗全の「クーデター」である。畠山政長は上御霊社に陣を敷き抵抗の姿勢を示したが、畠山義就軍に攻められて京都から撤退(御霊合戦)。
 
もちろん細川勝元も黙っていない。同じ年(1467)、改元後の応仁元年5月、細川派が反撃を開始して、以降10年以上に及ぶ戦乱が始まる。
 
というわけで、将軍後継「問題」は乱の主要因ではないし、日野富子がその中心にいたわけでもない、というお話。
 
呉座先生は8月は静岡、浜松、東京で話をする予定(いずれもカルチャーセンターの講座)。自分も浜松にまた話を聞きに行くつもり。別に呉座先生の追っかけをやってるわけではないが(苦笑)、とりあえず今年は「応仁の乱の年」だなと思って、この「ブーム」に付き合うって感じ。

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2017年7月17日 (月)

リベラリズムと「全体性なき全体」

『新潮』8月号掲載「特別鼎談 浅田彰+東浩紀+千葉雅也 ポスト・トゥルース時代の現代思想」、リベラリズムについての東の発言をメモしてみる。
 
アメリカでは、リベラリズムの問題がジョン・ロールズの『正義論』で頂点に達するわけですね。しかしロールズの『正義論』が出たあとに、ロバート・ノージックとマイケル・サンデルから別々の形で批判が提出される。リベラリズムというものが、あそこでリバタリアニズムとコミュニタリアニズムに枝分かれするわけです。
現代におけるグローバリズムとナショナリズムの対立は、70年代から80年代にかけてのリベラリズムの分裂によってすでに政治思想的には表現されていたと言えるのであって、そこで普遍的な人類というものがなくなり、個人と共同体の問題へと分かれたんですね。
 
結局、何が問題なのかと言うと、もともとカントまで遡ったときのリベラリズムのプロジェクトは、個人が社会に出る、社会が国家をつくる、そして国家のあと人類まで至るという「上昇」の秩序の連鎖で考えられていた。ヘーゲルの弁証法がその完成形です。けれど、現実にはわれわれは国家まで到達しても、その次にある人類というレヴェルにまでは行けないんですね。なぜかというと、これは基本的にカール・シュミットの分析が正しくて、要は、国家は「敵」がいるからまとまれるのだということ。
 
われわれはネーション-ステートまでは自分の想像力を拡大できるけれども、人類までは行けない。なぜならば人類には敵がいないからです。こうした限界が見えたのが、70年代だったと思います。それが政治思想的には、リベラリズムがコミュニタリアニズムとリバタリアニズムに分裂するという形で表れ、現実ではナショナリズムとグローバリズムの分裂という形で出てきている。
 
ポストモダンの思想は全体性ではない全体性という概念についてやたらと語ってきた。ちょっと位相が変わった「全体ではない全体」として人類というものを捉え直す必要があるんではないか。個人が家族に拡張され、家族が村落共同体に拡張され、それが国家に拡張される、そこまではいいけれど、それと同じ形では、国家を人類まで拡張することはできないんです。国家から人類への拡張には別のルートを作らなきゃいけない。だから、ぼくは「観光客の哲学」というものを考え、そのプロセスを観光客や郵便という言葉で呼んでいる。
 
・・・やっぱり、宇宙人が侵略してこないと、人類は一つにまとまれないですかね。(苦笑)
 
さて東の思考はさらに「偶然性に開かれた実存哲学」や、「偶然性をベースにした連帯」の原理を模索しているという。このほか浅田がアーレントを語る中で述べた「全体性なき共同性」、千葉の「有限性」の問題など、鼎談において提出された様々な概念について具体的に考えてみることにより、リベラリズムを改めてリアルなものに仕立て直す試みが準備されるのであろう。

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2017年7月16日 (日)

徳川宗春の功罪

18世紀前半徳川八代将軍吉宗の時代、幕府の倹約政策に異を唱えて消費拡大政策を進めた尾張藩主徳川宗春。8年の治世の後、幕府から蟄居謹慎を命じられて失意のうちに25年間を過ごし69歳で死去。「反逆者」宗春の影響は今も名古屋に残るというのは、名古屋出身の作家、清水義範。『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)からメモ。
 
この殿様は名古屋に対して、パッと遊べ、という号令をかけたのだ。名古屋には全国各地から人が集まってきた。江戸や大坂に負けぬ賑わいだから、自然に人口も増えるのだ。宗春の治世中に、名古屋の人口は40パーセント増えたという。
宗春によって名古屋は日本中が注目するほどの繁栄を見せたのだ。
しかし、その繁栄は長くは続かない。農業が経済の基盤だった時代に、流通ばかり活気づかせても、それは虚の繁栄なのだ。
もちろん、宗春もそのことはよく承知していた。一方で活性化政策を取りながら、もう一方では産業振興策も積極的に行った。
ところが、宗春のこういう努力はあまり知られていない。遊びを奨励したような面ばかりが伝わるのだ。目立つのはそっちだからやむを得ないのだが。
(産業振興策の成果が出るより前に)名古屋経済は借金まみれになってしまった。宗春の誤算だったと言うべきであろう。
 
宗春は名古屋人のあり方にも大きな影響を残している。そしてその影響には直接の影響と裏返しの影響の二種類があるのだ。
直接の影響としては、名古屋人の生活文化の豊かさがあげられる。(観劇を楽しむ、茶の湯など習い事に熱心等々)日々の生活を大いに楽しむというところに、宗春の時代の大いに楽しめ、という賑わいの残り香があるのだと思う。
そして、宗春の裏返しの影響とはこういうことだ。
名古屋の人には、宗春の時代に大借金を抱えた苦しみが骨身にしみついてしまったのだ。あんなことはもう二度とあってはならぬと、心の底から反省した。つまり、宗春が反面教師となっているのだ。
宗春は今の名古屋人の一部を作っているとも言えるのかもしれない。
 
・・・転勤で名古屋にいる自分は、名古屋人とのプライベートな付き合いはないので、名古屋人のメンタリティの細かいところまでは分からないけど、まあ大体のイメージとしては生活文化の豊かさよりも、堅実な部分、つまり宗春の反動の影響の方が大きいと見えるのだが、どうなんでしょ?

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2017年7月15日 (土)

名古屋は都会とはいえない

名古屋は都会とはいえない、ということを名古屋出身の作家、清水義範が『日本の異界 名古屋』(ベスト新書)の中で語っているので、以下にメモする。
 
名古屋市の人口は229万6千人で、日本で4番目の大都市だ。人口200万人以上なのだもの、文句のつけようがない大都市である。
なのに、どうしたわけか名古屋には都会性が感じられないことを、くやしいが私も認めるのである。
都会的であるということは、あらゆる価値観を受け入れられて、それを認めるということである。そういう間口の広さが、都会の特徴なのだ。
なのに、名古屋はほかに対して扉が閉ざされており、自分たちだけで世界を作って他者を受け入れようとしない。仲間だけで生きているのでは都会人だとは言えないわけである。
都会性はそこに住む人の意識の問題なのである。ツレが店を紹介してくれたで安く買えて得したわ、の世界にどっぷりとつかっている限り、名古屋は都会にはならない。
名古屋に対して、大いなる田舎、という悪口を投げかける人がいる。それは名古屋人の意識のあり方のことを言っているのである。そして、名古屋人は確かに大いなる田舎的な意識で生きているのだ。
私はもう、それでいいじゃないかと考えている。逆に、そのどこが悪いのだ、と言い返したくなるほどだ。
名古屋人は、洗練されていないのである。とにかく功利的で、得か損かを第一に考え、得しちゃうことを何より喜ぶという人たちが、洗練されているはずがないのである。
ただ、洗練はされていないが、名古屋には生きやすさがある。洗練されているということには、やせ我慢も必要なのである。実利には背を向けて、損なほうをさらりと取るといった、形の上の格好よさを選ぶことも洗練のうちである。
名古屋の人にそういう生き方はできない。できないと言うより、その反対の生き方が名古屋的なのだ。
そしてそれは、未来に向けても同じであろう。洗練よりも実利を取るのだ。そして、このほうが得だで嬉しいがね、と生きていくのである。
いいではないか。名古屋は大都市なのに、思想が都市化しないのだ。そのどこに不都合があろうか、というところである。
これから先も名古屋は田舎っぽいままで突き進んでいくのであり、それでいいのである。
人口200万人以上の田舎とは、他に類を見ないすごいことだとも言えるのである。
 
・・・都会の洗練には、名古屋は殆ど無縁である。最近は名駅周辺はお洒落になってるけど、これからも名古屋の街が全体としてお洒落になることはないだろう。というか、お洒落になったら名古屋じゃない、という感じもする。
 
ところで、「やせ我慢」とは、江戸っ子にとって最も肝心なエートスである。確かに何の得にもならないんだけどね。なので損得最優先の名古屋人の生き方は、ちょっとだけ羨ましいような。でもやっぱり抵抗感もあるというか、少々余裕のない感じもするかな。

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2017年7月 9日 (日)

都民ファーストの勝利に思う

今日の中京テレビ「そこまで言って委員会」で、都議選の自民党惨敗の原因について、司会の辛坊治郎が叫んでいた。「選挙結果について東京でやってる分析は全部間違ってる。森友も加計も稲田も豊田も全く関係ない。都民ファーストという自民党に代わる受け皿にみんなが投票しただけなんだ。それはかつて大阪維新の会がやったことが東京で起きただけなんだ」と。同感する。

この番組は東京では放送してない。自分は春から名古屋にいるので、この番組を見ているわけだが、もし転勤しないで東京にいて選挙の日を迎えていたら、候補者の情報を眺めながら、もう自民党のオヤジ政治も嫌だし、今回は若い人や女性に入れとくか、何か素人くさいし少々頼りないけどな・・・と思いつつ、都民ファーストに投票したのではないかと思う。

国政の問題、森友学園や加計学園が地方選の投票行動を大きく左右するとは思えないし、稲田大臣はまたかという感じだし、 豊田議員に至っては言及するのもバカバカしいというか。これらの問題が自民党惨敗の要因とか言われると苦笑するばかりだ。

結局自分のような消去法的な「今回はこっちでいいや」という態度の人も含めた票の積み重ねが、結果的に都民ファーストの大勝につながったという印象。だからとにかく急ごしらえながら、「受け皿」を作って用意した小池都知事の作戦勝ちであり、その実行力はやはり大したもんだとあらためて感じる。

ちらほら指摘されてるように、都民ファースト圧勝は、フランスのマクロン大統領率いる政党の大勝利と、確かによく似ている。その意味するところは、既成政党への不信感はどうしようもなく強いということ。そしてまた、とにかく既成政党ではない新しい「受け皿」が出てくれば、とりあえず任せてみる、という度量も先進国有権者にはある、ということなんだろうと思う。

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