2012年5月19日 (土)

独仏型資本主義の反撃?

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(資本主義の新たなシステム間競争)の執筆者「混沌」は、おそらく末村篤・特別編集委員のペンネーム。ということで内容も、末村氏執筆の8日付コラム「一目均衡」の続き、という感じなのでメモする。

仏大統領選のオランド氏の勝利は、金融危機後の世界の変化を映し、資本主義の新たなシステム間競争を予感させる。 

資本主義の多様性は新しい現実ではない。ソ連崩壊前後に評判になった「資本主義対資本主義」で、M・アルベールは、安定的だが活力に欠ける独仏型と、輝いてみえるが不安定な英米型を対比した。その後は、サッチャー・レーガン革命を先導した英米型が世界標準となり、今、その時代が終わろうとしている。 

オランド氏の主張は、社会を重視する新社会民主主義的な変革である。「生産と雇用と成長」で始まる公約は、共同社会の担い手として地域と中小企業に焦点を当てる。
企業に投資と雇用の拡大を求め、金融には実体経済への貢献を求める。富裕層や大企業への税制優遇を見直し、脱税対策を強化する「正義の改革」で、財政バランスに留意する。
公約は「大きな政府」への単純回帰ではなく、資本に偏重した従来型の成長から、資本と労働の公正な分配を通じた成長への転換構想といえる。
 

来年秋に総選挙を控える独との間で足並みがそろえば、欧州大陸に、金融主導のアングロ・サクソンモデルとは一線を画すフランコ・ジャーマンモデルの新資本主義が復活する可能性がある。

・・・ということで、日本もまた、「独自の哲学に基づく資本主義の確立を目指す」べきであると説かれている。

かつて冷戦終結時、ということはバブルの時代、日本型資本主義は欧州型に英米型を接ぎ木した最強の資本主義という話もあったが、それも今では夢幻の如くなり。

バブル崩壊を経て、一時はまともにアングロサクソン寄りの資本主義に向かった日本だが、それもリーマンショックで挫折。同時に、英米型資本主義がリードしたグローバル化の時代、「冷戦後」も終わった。

英米でもない欧州でもない資本主義の道はあるか。しかし「独自の哲学」を打ち出す、これがまた日本には難題だったりするよな。

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2012年5月14日 (月)

キリスト教ローマが中世の始源

5月12日、新宿・朝日カルチャーセンターで「西洋中世史」(講師:甚野尚志先生)を受講。以下にメモ。

通例の時代区分では476年、西ローマ帝国の「滅亡」が古代の終わりと解されている。しかし、この出来事により、社会が大きく変わったわけではない。社会の変化という観点からは、ローマ帝国のキリスト教化が重要。すなわち313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認から、392年のテオドシウス帝によるキリスト教の国教化まで、4世紀に起きた一連の出来事により、ローマ帝国は変質。時代は古典古代からキリスト教古代に移行した。この後期古代は7世紀まで継続する。

当初はキリスト教を迫害していたローマ帝国が、最終的にキリスト教を国教とする大転換が、なぜ起きたのかは歴史上の難問。

一番簡単な理由付けは、コンスタンティヌス帝が登場して変わった、という説明。伝えられるところでは、ライバルとの決戦を控えた皇帝は、天に十字架のしるしを見た。さらにお告げにより旗に十字架のしるしを付けて戦い、勝利したという。

(結局宗教には、多かれ少なかれ御利益宗教の面があるってことかいな。苦笑)

このほか古代奴隷制の行き詰まりと共に、人間の平等を説くキリスト教が人々の間に受け入れられていった、という見方もある。

とにかくローマ帝国のキリスト教化と共に、教会制度と国家体制が不可分のものになり、ここに中世キリスト教世界の原初形態が出現した。

・・・何しろキリスト教は、ローマ帝国の宗教になったからこそ、後々のヨーロッパ世界に広まったということで、ローマ帝国のキリスト教化は、やはり世界史の大事件。何でそうなったんやねんと言っても、起きてしまったことは動かせない。まあ後から見ると必然的でも、同時進行的に見ると偶々だったのかも知れないが・・・でもやっぱり何でやねんと思う。

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2012年5月13日 (日)

教育あるいは学びについて

先日のNHK「ニッポンのジレンマ」特別編(僕らの救国の教育論)を見て、教育を論じるのは難しいものだとあらためて感じた。その難しさの拠って来たるところは、制度としての教育システムを論じる際に、各人が自分の学びの経験から出発せざるを得ないということかと思う。

制度としての教育システムには目的がある。番組の中で言われたように、「子供を社会化する」ことが教育のミッションだろう。教育は個のためか社会のためかという問いかけもあったけど、優先順位としては社会のためにあるというのは疑いない。だから教育が何かしら「訓練」の性格を帯びるのは、目的があるから当然なんだけど、その一方で、個の学びには目的は無い。強いて言えば「昨日とは違う自分になること」、でもそれも目的というよりは結果に近い。要するに学びは自由だ。

教育という言葉を使った時に、いろいろなレベルや範囲の話が混ぜこぜになる嫌いはあるので、そこは「教育」の定義を少し限定しないとまずいかなと。例えば「夢の無いヤツに教育は何ができるか」みたいな話もあったけど、制度としての教育にそこまで過大な期待はできないわけで。

「競争ではなく、協同的な学び合いの場」とか「お互いの自由を認め合って多様な生き方を可能にする」とかいうのも、まあ理想論というか抽象的な話でしかないな、と。

多様な生き方といっても、現実的には多様な職業に就ける、「おいら、どんな仕事でもできまっせ」という能力を身に付ける機会を与えるということが、教育システムに求められていることなんだろう。それ以上のこと、実際にどこまでできるのか、夢を見つけられるか(苦笑)となると、個の問題としか言いようがない。

このほか創造性やコミュニケーション能力の話も出てたけど、とりあえずコミュニケーション能力が何のために必要かと言えば、お互いの自由を前提にすると、みんなが好き勝手にやれば世の中は成り立たないわけだから、そこでお互いの間に規準や規範を作り出すために求められる、のだろう。それは問題解決能力にもつながるということで、ブレーンストーミングとか言われてたけど、まあそういうことになるのかなと。

創造性ってやつも、これもピンからキリというか、でもとりあえず各人が得意分野を見つけて自分のレベルで創造性を感じられればいいのかな、という気はする。だから、子供が自分の創造性を見つける、その手助けをする、きっかけを与えるコーディネーターとしての役割が、今の教師に求められている、というのもその通りかなと。

もうベタに言うと、いい先生に出会えればそれが一番いい。いい先生が増えればいいんだけど、しかし現実は厳しいみたいだ。そのことは、いま教職志望者が減っているという話をTBS報道特集で見て感じた。教育学部の学生さんでも一般企業に就職する人多数とか。教育の現場では学級崩壊とか怪物親とか問題が多くて、教師の負担は半端じゃ無いとか。ある学生さんの「子供が好き、だけではやっていけないと感じた」という言葉が印象的だった。

何だか状況は厳しいが、いい先生に出会えることは人生における無上の幸運だろう。突然だけど、ウィキペディアの記事からノーベル文学賞作家カミュの話を書く。

カミュの家は貧しくて、子供を高等学校に行かせる余裕は無かった。しかし小学校のルイ=ジェルマン教師は、カミュの才能を見抜いて家族を説得し、奨学金を受けてカミュは進学することができた。カミュは師の恩を生涯忘れることはなく、ノーベル賞記念講演の出版時には「ルイ=ジェルマン先生へ」との献辞を添えている。

このような美しい偶然=幸運が多くの子供たちに与えられることを願うばかりだ。

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2012年5月 8日 (火)

新自由主義から新社民主義へ?

本日付日経新聞・投資財務面コラム「一目均衡」(経済成長のパラダイム転換)は、末村篤・特別編集委員の執筆。以下にメモする。 

経済危機が社会不安に発展し、財政と雇用のトレードオフが政治問題化した欧州で、経済成長のパラダイム転換への動きが台頭している。 

国際労働機関(ILO)のソマビア事務局長は、本紙への寄稿で世界の成長モデルの変革を訴えた。「労働を生産コストと捉え、競争力と利益を最大化するために、できるだけ低く抑えねばならないと考え、少数者への富の偏在を招いた現在のモデルから、人々の福利増進と格差是正を主目的とし、生み出された良質の仕事の量で成功が測られる異なるタイプのモデルへの転換が必要とされている」という。 

過去数十年の経済政策の結果、労働(人間)は商品ではないという基本的な概念が失われ、資本に偏った資本と労働のバランスの回復を目指すものだ。労働の商品化を加速する市場の改革を進めて、成長率をかさ上げするという新自由主義的政策とは対照的な、新社会民主主義の思潮といえる。 

民主政治の振り子も揺り戻し始めた。仏大統領選を制したオランド氏は、「60の約束」で生産と雇用と成長を最優先課題に掲げた。 

過去10年の富裕層や大企業への税制優遇の見直しを中心とする「正義の改革」と並ぶ公約は、企業を起点とする資本と労働の分配の是正を意図するものだ。 

思潮の変化が現実を変えるかどうかは定かでない。 

それでも、欧州発の変化は資本主義の自浄能力を示す兆しとして注目に値する。 

危機の深化とともに、「むき出しの資本主義」を「人間の顔をした資本主義」に軌道修正するパラダイム転換の可能性も高まる。

・・・新自由主義は様々な言い方で形容されてきた。例えば資本の専制(柄谷行人)、資本の反革命(水野和夫)、資本主義の純粋化(岩井克人)等々。

その新自由主義は、リーマン・ショックで曲がり角を迎えた。それは、アメリカ主導による政治経済のグローバル化が進行した「冷戦後」の終わりという印象もある。

ここからはあらためて「成長」が肝心になる。成長を実現できれば、「新社民主義」は内実の伴うものになるだろうし、それができないのであれば、新自由主義的効率追求の道に戻るほかはないだろう。

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2012年5月 6日 (日)

美術史は哲学史に似ている

先日、「大エルミタージュ美術館展」を見に行った(国立新美術館)。副題は「世紀の顔・西欧絵画の400年」。先に雑誌「ブルータス」の最近号(5/1号)の特集「西洋美術総まとめ。」を眺めていたので、少し西洋美術の歴史的な流れを見ておきますか、連休中は都内のスポットはそんなに人は来ないだろうし、と思って出かけたら、これがまた結構混んでいて、我ながら見通しが甘かったというか、日本人の文化的関心の高さに参りましたというか。

それはともかく、西洋美術史用語の主なものを並べてみれば、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、印象派、フォービスム、キュビスム、シュルレアリスム・・・とまあホントに多種多様。

しかし基本的な流れは、美術史というのは哲学史に似ているよな。その大雑把な流れとしては、まず古代ギリシャがあって、次にキリスト教があって、さらにルネサンスで両者が混じり合いながら、描かれる対象も神や聖書の世界から、自然や事物を含む人間の世界に中心が移り、対象を描き出すアプローチも客観的な写実から主観的な印象や情動に変わって、遂には抽象画に至るという感じだけど、特に描く内容が宗教から人間に移り、描き方も主観的な方法に変わっていく流れは、中世神学の後にデカルトが主観的哲学を確立し、さらにカントの主観が客観を構成する「コペルニクス的転回」への流れを、美術が追いかけているような感じがする。

ところで、「ブルータス」特集の中で、「絵の大きさや小ささは、実際に体験してみて初めてわかることであって、とても重要なポイントなのです。美術館に出かけ、実物を見ることは、やはり大切だと思いますね」(山口晃)との意見を目にして、このプロの画家の言葉に、自分はとっても心強いものを感じた。

なぜなら、有名な絵の実物を前にしても、絵の具や筆の使い方が分かるわけでもない自分のような素人にも、絵の大きさは問答無用で驚きをもたらすという実感はすごーくあるからだ。昔、ニューヨークの近代美術館で、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」を見た時は、こんなに大きな絵だったのかとビックリしたし、ダリの「記憶の固執」を見た時は、こんなに小さい絵だったのかと意外感があったし、もうド素人は絵の大きさしか記憶に残りません。(苦笑)

最近ではプラド美術館でティツィアーノの「カール5世」を見た時も、こんなに大きな絵だったのかと驚き圧倒された。絵の大きさがカール5世の偉大さを表していると、もう素朴に感動した。絵の実物を見る、それは絵の大きさの体験です。実感です。

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2012年5月 5日 (土)

「五賢帝」のおさらい

先日、映画「テルマエ・ロマエ」を観た。原作はもちろんヤマザキマリの同名マンガ。正直、タイムスリップ物はその無理矢理感がどうも好きになれないのだが、このマンガ及び映画については、風呂という一点において日本と古代ローマを結び付けたいという作者の熱意の現われとして受け入れよう、という感じにはなるかな。

阿部寛が演じる主人公ルシウスは古代ローマの浴場設計技師、ハドリアヌス皇帝の時代の人。ハドリアヌスはいわゆる五賢帝の一人で、ヤマザキマリお気に入りの人物とのこと。映画では市村正親が扮している。

で、映画のことはともかく、五賢帝について簡単におさらいすると、紀元前27年に初代皇帝に就いたアウグストゥスが在位40年余りで帝国の基礎を固めた後、カリグラやネロといった暴君出現により混乱した時期もあったものの、紀元後96年のネルウァ帝即位以後の約80年間、5人の皇帝が在位した時代にローマ帝国は最盛期を迎えた。これがいわゆる五賢帝の時代。皇帝名と在位年は、ネルウァ(96~98)、トラヤヌス(98~117)、ハドリアヌス(117~138)、アントニヌス・ピウス(138~161)、マルクス・アウレリウス(161~180)。教科書的には、トラヤヌスの時代に帝国領土は最大となり、マルクス・アウレリウスは『自省録』の著作で知られる、というところ。

いわゆる「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)というのは、18世紀の歴史家エドワード・ギボンが、五賢帝の時代を表現した造語(『ローマ帝国衰亡史』)。パクスとはローマ神話に登場する平和と秩序の女神。このローマの平和とは、戦争が無い状態ではなくて、ローマが最強という状態を指している。

しかし物事はすべてピークに達した後は混乱と衰退の道に入るというもので、ローマ帝国も3世紀の軍人皇帝の時代を経て、4世紀にはキリスト教が浸透。その国教化(392年)直後の395年、帝国は東西に分裂。既に375年からゲルマン人の大移動が始まっており、異民族の侵攻が続く中、476年に西ローマ帝国は滅亡した。

ローマ帝国500年の歴史において、最盛期とされる五賢帝の時代はその6分の1程度、意外と短い感じ。初代アウグストゥスから五賢帝までを「パクス・ロマーナ」としても200年と半分以下なので、ローマ帝国がむっちゃ強い国であり続けたという感じはしない。しかしそれでも帝国の強大なイメージは動かし難く、後の西欧に現れた国家支配者にも、ローマ帝国はブランドまたはトラウマとして作用し続けた、という感じはする。

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2012年4月27日 (金)

「米軍基地」の映画

イタリア映画「誰も知らない基地のこと」は、全世界に広がる米国駐留軍を題材としたドキュメンタリー。2007年イタリアの町ビチェンツァに持ち上がった基地建設計画と反対運動のほか、沖縄、インド洋のディエゴ・ガルシア島の基地問題を取り上げつつ、数多くの有識者や関係者へのインタビューにより構成されている。

現在、世界38の国に700を超える米軍基地が存在する。全世界に展開する米国軍兵士は約140万人。そのうち米国本土、ハワイ、アラスカに合計100万人、残り40万人は外国に駐留。「戦場」であるイラクに15万人、アフガニスタンに7万人の兵士がいるほか、主なところではドイツ5万2000人、日本3万6000人、韓国2万8000人、イタリア1万人の駐留軍が置かれている。

かつて冷戦下において、米軍基地の存在意義は明確だった。しかし冷戦が終結し共産主義という敵が消滅した後も、米軍は独裁者やテロリストなどの新たな敵に備えるという大義名分を掲げて、軍事力の強化と基地の維持を図り、さらに必要とあらば戦争を仕掛けて新たな基地を建設してきた。つまり結論的には、米国の軍産複合体が基地を維持し続けている、とされる・・・出たよ軍産複合体、って感じ。ケネディ暗殺に関与したとも言われているアレだ。

ところで正直言って、沖縄北部、高江のヘリコプター発着所移設問題の存在は、この映画を見て初めて知った。普天間返還アンド辺野古移転だけが問題じゃなかったんだ・・・しかしこういう視点のドキュメンタリーって、何で日本で作られないのかね。

この映画は2010年に製作されているが、仮に2010年に日本で公開されたら、観客を集めるタイミング的には一番良かっただろうな、とは思う。とはいえ2012年の今見ると、別の意味で考えさせられる。なぜなら、基地の維持は否応なく原発の維持とダブって見えるからだ。つまり、国家の意思とは何か、ということ。

基地を受け入れる、原発を稼働し続ける・・・国家の意思決定が、国民の生命や国土を損なう可能性が大きい(その最たるものはもちろん戦争)と思われる時、人々にできることはおそらく、ひたすら抵抗を続けることしかないような気がする。国家の意思に立ち向かう粘り強い抵抗が成果を挙げるためには、その抵抗から連帯の輪が生まれて大きく広がることが必要だろう。それなくしては希望を持つことも難しい。

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2012年4月25日 (水)

哲学を齧りなおす

人間、年を取ると若い頃にやってたことをやり直す、というのは、割とありがちなこと・・・(なのか?)。

自分の場合それに当たるのが、哲学の齧り直し。昨年度は朝日カルチャーセンターで西洋哲学史の講座に参加して、新年度もしつこく同じ朝カルで違う先生の西洋哲学史の話を聞いている。いちおう自分はニーチェで卒論を書いた人間、なんだけど思い出すと、へえそうだったっけ、いうくらい他人事みたいな感じだったりする。何しろ大昔のことだしさ。しかし安易な選択だったな~。できれば「ゲッベルスとナチスの宣伝戦略」(タイトルだけ考えた。笑)が書けると良かったんだけど、やっぱりそれ書くのは無理ですね。

で、若い頃齧った哲学を齧りなおすと、当然のように昔読んだ本や著者のこととか思い出す。渡邊二郎も川原栄峰も最近亡くなったんだな。木田元は健在だ。一昨年の秋、日経新聞の「私の履歴書」に木田先生が登場していて、その辺りから、自分も何となく哲学を齧りなおす気分が醸成されてきた感じ。

哲学思想というと、自分の場合、最初は御多分にもれずというか、実存主義っぽいところから入っていって、1980年代、自分が20歳代の頃は「ポストモダン」どっぷりという巡り合わせだった。上記の方々のようなオーソドックスな哲学者から、雑誌「現代思想」で活躍する「ニューアカ」の人々まで、適当に齧り散らしておりました。

その後、世の中は後にいう「バブル」の時代に突入し、これは経済のことを知らないとお話にならないということで、人文科学方面とはオサラバしてしまいました。世の中はさらにバブル崩壊、冷戦終結、グローバル経済へと激しく変化、すべてが訳わからん状態になっていく中で、とにかく株主資本主義やら市場原理主義やら新自由主義やら、経済方面からのものの考え方をチェックする、最近までそんな感じだったので、まさかここにきて哲学を齧りなおすとは思わなかった。

でも、きっかけとして思い当たることは、実は10年前くらいにあったりする。それはNHK番組で神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を知ったこと。これが結構大きい。フリードリヒの十字軍は外交により、10年間の平和を実現した。イスラムとは戦わないけど、教皇とは争ってばかりいたヘンな皇帝の出身地はシチリア。当時の先進的なイスラムの学問・知識を吸収していた彼の地から、宗教戦争の時代を超越する皇帝が出現した・・・いやもう「こんな人がいたんだ!」という驚きが、歴史を知る醍醐味だな。

で、ここから12世紀ルネサンスとか、イスラムからのアリストテレス哲学の逆輸入とかの、恐ろしく興味深い話(知ってる人には当たり前の話なんだろうけど)にも出会うことになり、そうなると近年の八木先生や山内先生の中世哲学研究も視野に入ったりという具合で、何となく気分は哲学っぽくなってきた、ということはある。

まあ、そんなこんなで哲学を齧りなおしているのですが、改めての印象としては、もはや西洋哲学史も文化史の一つ、西洋美術史とか文学史とか音楽史とかとおんなじようなもんです。土台、ニーチェやウィトゲンシュタインの後で、哲学史は絶対的真理追求の歴史、とか思えないし。で、基本的にはヘーゲルで哲学史は終わりだなと。古代ギリシャと中世キリスト教をベースにした伝統的形而上学はヘーゲルを完成者として終わり、後は例のニーチェ、マルクス、フロイト以降、哲学は人文科学の一つになったという感じです・・・。

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2012年4月20日 (金)

なぜいま「キリスト教」か

昨日19日付日経新聞に講談社の広告が出ていて、『ふしぎなキリスト教』30万部突破!!とある。30万部・・・結構な数字だ。なぜいま、日本人はキリスト教を知りたいと感じるのか?

不特定多数にアンケートをとるわけにもいかないので、自分の理由を述べるしかない。(苦笑)

キリスト教の「解説本」が売れるという背景は、現代日本人が、いまなぜ我々はこのようにあるのか?と自問した時に、その答えを日本的伝統の中に求めるよりは、西洋の歴史、その基礎にあるキリスト教の理解が必要だと、一般人のレベルで意識されるようになったということだろう、たぶん。

なぜそのように意識されるのかと言えば、一番単純に考えて、明治維新から相当な時間が過ぎた、つまり、日本は充分に西欧近代化されたから。何しろ現代日本人は余りに西欧化されているので、もはや日本の伝統にそれほどリアリティを感じていないと思われる。例えば、「和」のこころを知るというのか、日本的慣習や伝統の意味を、テレビの情報番組等で学び直さないと了解できなかったりするし。もちろん西欧に完全に同化したという話ではないにしても、衣食住の生活習慣が隅々まで西欧化されて、現実に資本主義や民主主義などの社会的諸制度の中に生きる現代日本人が、資本主義や民主主義、あるいは近代科学を生んだキリスト教に関心を向けるのは当然の筋道に思われる。言い換えると、明治以来「和魂洋才」で突っ走り、西洋文明を取り込むことにあくせくしていた日本人がここにきてようやく、洋才の根っこにある「洋魂」がまともに気になってきた、ということなのかなと思う。

明治以来の近代化の歴史を振り返れば、近代と伝統、都市と農村、家制度と個人主義、戦争と革命、西洋と東洋など、様々な価値観の相克が繰り返されてきた。近代化の進む社会の中を生きる人間の苦悩は、いわゆる近代文学の作品表現に結実した。戦争の惨禍を経て戦後の高度成長を達成した日本は、「明治100年」の1960年代終わりには、近代化をひとまず完成した。

その後、70年代の石油ショックと為替の変動相場制移行を経て、80年代の「ポストモダン」と「バブル」の時代には、日本は西欧近代を凌駕したとも言われた。

しかし90年代に突入すると共にバブルは崩壊、冷戦終結と共にグローバリゼーションの嵐が吹き荒れる。しかし「ポストモダン」の後に来たのが「グローバル近代」だったというのは、何だか妙な感じ。

それにしても、今や良くも悪くも充分に近代西欧化した日本人は、日本の伝統も西洋文化の基礎も、どちらも実感に乏しいまま頭で理解しなければならないという、微妙な立ち位置にあるなあという気もする。

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2012年4月17日 (火)

ザヴィエル像の来歴

日本史の教科書でもお馴染み、聖フランシスコ・ザヴィエル像が発見されたのは1920年だそうだ。歴史的には、意外と最近のことなのだな。本日付日経新聞文化面、南蛮美術愛好者の父を持った池長潤・日本カトリック司教協議会会長の文章からメモする。

父、池長孟(1891~1955年)は、希代の南蛮美術コレクターとして名を残している。16世紀後半から17世紀にかけ宣教師らによってもたらされた西洋文化に、日本の文化が触れて生まれた南蛮美術。その魅力にとりつかれた父は相続した資産をつぎ込んで絵画や彫刻、工芸品など4000点を超える作品を収集した。 

現在重要文化財に指定されている「聖フランシスコ・ザヴィエル像」や壮大な絵柄の「泰西王侯騎馬図屏風」「南蛮屏風」を私は書斎で目にした。重要な作品、価値のある作品を系統立てて収集するのが父の方針だったようだ。集められるものは全部集める。散逸してしまったら二度と一緒にはできない。そんなことを話していた。

父が神戸市に収集品を展示する私設美術館(池長美術館)を開いたのは昭和15年。隣地には作品を保管する倉庫、自宅も建てた。倉庫は頑丈な耐火構造にしていた。それが功を奏し、市街地のほとんどが焼失した大空襲でも倉庫は焼けずに残った。父は、美術品の無事を確認すると本当に喜んでいた。 

戦後は財産にかかる税に苦しみ、収集品を散逸させないため昭和26年、美術館と美術品を神戸市に委譲した。現在の市立博物館がこのコレクションを受け継いでいる。 

ザヴィエル像は大阪府茨木市千提寺の東家がキリシタン弾圧の時代から明治以降も「開けずの櫃」に入れて受け継いできた聖画だった。大正期、キリシタンの墓碑が確認されたことがきっかけでこの地が隠れキリシタンの里であることが知られ、様々な遺物が旧家の屋根裏などから見つかった。ザヴィエル像が発見されたのは大正9年(1920年)である。

・・・池長孟氏はザヴィエル像の所有者である東家の元に通いつめ、資金を作るため別荘を売り、ようやく聖画を手に入れた、とのこと。一般人から見れば常軌を逸したような執念を持つ収集家がいたおかげで、今日、我々は特定のジャンルの貴重な文化財を多数見ることができる、というわけだ。

このコレクションを含む展覧会「南蛮美術の光と影」は、昨秋東京でやってたけど、その時はあんまり見たい気持ちが盛り上がらなくてスルーしてしまった。同展は今週末から、コレクションの地元である神戸市立博物館で開催される。主催者に名を連ねている日経新聞の記事で何かちょっと興味が出てきたけど・・・神戸まで行ってみるか?

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